【記事引用】“山口氏によると「画像や映像を見ただけでは呪いはおこらない。安心してほしい。また今まで、不幸になっているのは興味本位で面を、直接生で取材したマスコミ関係者、メディア関係者、本人か、その周辺であり、一般の視聴者や読者には影響は無い」とのことであった。”(引用ここまで)…とあるので、画像を見ただけでは大丈夫なようだ。
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…「呪い面」のことはさて置き、リアルライブの記事を読んでいたところ、こんな興味深い記事を発見した。
『子供をしつける親の強い味方・妖怪「ガオ」』という記事だ。
この記事によると、滋賀県湖東地方では、「言う事を聞かないと、ガオが来るよ」と子どもをたしなめていたという。この「ガオ」の由来は、かの有名な戦国武将「蒲生氏郷」のことだというのだ!
【記事引用】このガオという妖怪の由来とは、戦国時代、滋賀県湖東地方の領地を近江六角氏の一党である種村氏が治めていた。現在の滋賀県蒲生郡日野町にあった近江国・日野城の蒲生氏郷(1556~1595)に攻められるようになった。戦火に巻き込まれた領民達は「蒲生が攻めてくるぞ」と常に恐れていた。この「蒲生が来るぞ」が変化して、「ガオが来るぞ」という言葉だけが残った。やがて、「ガオ」は恐ろしい妖怪・化け物と考えられるようになり、親の言う事聞かない子供の所や夜に寝ない で遊んでいる子供の所に「言う事聞かないと、ガオウが来るよ」と言って、脅し文句に使うようになった。ガオとは、子供が怖がる妖怪の総称で、特定した妖怪をさすものではないのである。(引用ここまで)
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蒲生氏郷と言えば、陸奥黒川城(現:会津若松市の鶴ヶ城)の城主だった人物である。
私の故郷は会津若松市なのだが、私の実家では子どもが言うことを聞かない時や悪さをすると、大人は「モー(もう)が来るよ!」、「モーに連れてかれるよ!」などというのが、脅し文句となっていた。
以前、このことが気になって親に聞いてみたが、なぜ「モー」と言うのかは分からないが、昔から子どもをたしなめる時には、そういう風に言っているという。「モー」について、ネットで検索してみたところ、「モー」=「蒙古」説や「笑説 越中語大辞典」にはこのように説明されていた。
(出典:「笑説 越中語大辞典」)
近畿地方の「ガオ」や越中の「もうもう(もうも)」、東北地方の「モー」、「モウコ」など色々と呼び名があって、由来にも諸説あるようだが、共通している点は言うことを聞かない子どもたちをたしなめるために大人が「○○が来るよ!」とか「○○にさらわれるよ!」と使っていることだ。
私は近畿地方の「ガオ」の由来が「蒲生」(がもう)に由来しているという説を知り、もしかしたら、会津で言われている「モーが来る」の「モー」とは「蒲生」(がもう)の「もう」の部分が残ったモノかも知れないと思った。(※私の超個人的な想像)
なぜなら、蒲生氏郷は天正18年(1590年)の奥州仕置において伊勢より陸奥会津に転封され、その際、旧領の日野・松阪の商人や漆器職人などを会津に招いたり、氏郷の家来なども会津にやってきたことを考えると、これらの人々の移住と共に、まだ「ガオ」や「モー」になる前の「蒲生が来る」と言った時代の近江一帯の言葉が会津に伝播したとも考えられる。また、会津入りした後は伊達政宗と度々対峙し、天正19年(1591年)の大崎・葛西一揆、九戸政実の乱を制圧しているので、この制圧の際に敵方が「蒲生が来るぞ」などと言っていたのが、東北地方では「モー」という言葉に転じたのかも知れない。
私は民俗学者や歴史学者、言語学者ではないので、ここに書いたことは専門的な見解でもなんでもなく、私の勝手な想像の範疇でしかないが、「ガオ」と「モー」には何となく共通性も感じられる。そして、子どもにとっては「ガオ」や「モー」といった得体の知れない脅し文句は、とても怖いものだ。そして、大人たちも自分達が子どもの頃に言われたように、子どもを躾けるための便利な妖怪として「ガオ」や「モー」を上手く利用している(笑)
皆さんの住んでいる地方では、子どもの頃に「言うこと聞かないと、○○が来るよ!」という、脅し文句はあっただろうか?
「ガオ」と「モー」の奇妙な共通点、とっても不思議だ。
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