血管撮影、血流の検査など検査の結果、やはり手術をするより方法は無かった。
ただ、脳の手術という事で、失敗すれば命の保証は出来ないし、手術したところで絶対に成功する保証もモヤモヤ病を根本的に治す事は出来ないと、主治医に言われた。でも、手術をしなければ、今後、また、モヤモヤ病の発作が起きて、身体が麻痺してしまったり、下手すれば脳梗塞や脳内出血を起こして、死んでしまう可能性も大きいと言われた。正直言って、迷っていた。当時の私は、まだ19歳で、20歳の誕生日も迎えていなかったし、まだまだ、やりたい事も山ほど有った。何よりも、死ぬのは嫌だったので、例え手術が成功と言えなくても、手術しようと決心した。このまま何もしないのも、選択の一つだったが、この先、病気が悪化して、長生き出来ないと言われて、そんな不安を抱えたまま、この先の人生を送るなんて、そんなのは私のポリシーに反していた。
それに、中国にいるダーリンが、私が元気になって戻って来るのを心待ちにしていた。それは、私にとって何よりの心支えだった。私はあんまり利かなくなった右手で、ダーリンに手紙を書いた。
『私は自分でやると決めたら、絶対に途中で音は上げない。』
私は、そう言う女で、性格は極めて男勝りである。しかも、何でも体験だと考えている所が有り、人に騙されようが、怪我しようが、何だろうが、他の人が体験していない事や、めったに体験出来無い事を経験した時、『良い勉強になった』、『良い体験をした』と思いながら、生きている。だから、この、モヤモヤ病の手術だって、私の見聞を豊かにしてくれたと信じている。
自分ももやもや病の患者で、2004年4月23日に直接吻合と間接吻合の手術を受けました。
確かに、辛く苦しい時間もありましたが、家族や病院の方々、友人に支えられ、生かされている実感を得ることができたのは、とてもありがたい経験ができたと思っています。生かしていただいた自分を、社会のためにどのように活かしていくかを考えていかないといけないですね。
40歳男性もや患者
私は手術したばかりの頃、言葉が話せなくなると言う焦りと苛立ちで、どうにも立ち行かない事が、沢山有りました。でも、周りの人に支えられて、こうやって生きて行けるって、とても素晴しい事なんですよね。