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3.11東日本大震災~あの日のできごと

2011年04月27日 21時34分47秒 | 東日本大震災
2011年3月11日、午後2時46分に起こった出来事は一生忘れることができない。―東日本大震災、宮城県沖を震源とするM9.0の巨大地震が東日本を襲った。その後、この巨大地震を起因とした巨大津波が岩手県、宮城県、福島県の太平洋沿岸部を襲い、東京電力福島第一原発の事故が発生した。そして、多くの人命が奪われ、人々の日常生活を奪った。

あの震災から一ヵ月以上が経つが、相変わらず巨大地震の余震、誘発地震が毎日のように発生し、原発の事故の収束は何時になるのかの見通しすらたたず、不安な日々を送っている。



あの震災の起きた日、私は本当に穏やかな普通の日常を送っていた。
午前中に近所のコンビニに行き、切手を買い、コンビニ横のポストに始めたばかりの通信教育の添削問題を投函した。収集時間は午後14時45分と書いてあった。何か因縁めいた時間だったが、気にも留めずコンビニから帰ろうとした時、偶然、友人の弟を会い、話をして家路についた。

それから、普段通りに昼食を食べ、風邪薬を飲んだ。数日前に風邪をひいたせいか、数日間、咳、鼻水、耳の不快感に悩まされていた。昼食後にテレビで映画の「エクソシスト」を観ていたが、何となく耳鳴りと頭痛、寒気がしたので、仕事が休みだった母に娘をまかせて寝室のベッドで横になることにした。

その日は天気が良く、寝室にはカーテン越しに柔らかい光が差し込み、私はすぐに眠りについた。

眠りについて一時間ちょっとした頃、突然、グラグラとベッドが揺れ始めた。すぐに地震だと思ったが、最初は大したことない、すぐに収まると思っていた地震が揺れを増し、立っていられないほどの凄まじい揺れになった。



「これはやばい!」普通の地震ではないと思い、私はすぐに飛び起きて茶の間に向かった。茶の間に行くと、茶の間中のガラス戸がガシャガシャと凄い音をだし、今にも割れそうな勢いで、家全体が経っていられないほど揺れていた。

こんな地震は体験したことがない。急いで玄関の戸を空け、いつでも逃げられるようにした。私の母は孫を抱きながら、茶の間の横にある縁側の戸を空けて身を伏せていた。外を見ると車も揺れているし、電柱もグラグラと撓んでいた。

2~3分してやっと地震が一度治まった。家族全員の無事を確かめ合いながら、顔を見合わせていると、また、大きな地震が来た。また、地震が来るんじゃないかと、怖くて、怖くて、寒風吹きこむ中、縁側の戸を閉めることもできず、テレビの速報に目をやった。
画面には気仙沼漁港の映像が映し出されていた。誰もいない静かな漁港に大津波が押し寄せた。堤防を乗り越えた津波がコンテナ、車、建物をどんどん流されていた。画面で目にした風景が嘘のようだった。

それから、ずっとテレビから目を離すことができなかった。

この一ヵ月あまり、色んな事が起こり過ぎて、何を書いて良いのかが分からない。

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