おめでとうございます
浦和学院が 関東高校野球にて 優勝しました
第65回春季関東地区高校野球大会最終日は22日、宇都宮市の清原球場で決勝を行い、
選抜大会優勝の浦和学院が前橋育英に4-1と勝ちました。
清原球場と言えば、息子が高校時代に 数回通った球場です。
駐車場が少なくて、交通も?でしたので
大会時には駐車場確保が大変でした
東日本大震災の影響で設備の一部が損壊し、数か月にわたる復旧工事が必要となり
第93回全国高校野球選手権栃木大会も開催が不可能となり、決勝戦が県営球場で行われました。
無事改修も終わって、今回の大会での会場となりました。
余談ですが:栃木には「九尾の狐の伝説」というものがあります。
那須岳の丘陵が湯本温泉街にせまる斜面の湯川ぞいに、
草木も生えず荒涼とした「賽の河原」と呼ばれている所があります。
その奥に、栃木県指定文化財・史跡「殺生石」があります。
「九尾の狐伝説」にまつわる名所旧跡です。
その昔、九尾の狐は中国の王の后に化けて悪行を尽くし、
その後インドへ渡り太子の后に化け再び悪行を尽くしたのち、ある夜突如姿を消しました。
その数百年後、少女に化けて遣唐使の船で日本に渡り鳥羽院の側に仕え、
やがてはこの世を治め、人の世を滅ぼそうと企んでいました。
ところが、陰陽師・阿部泰成にその正体を見破られ、
当時は住む人も少なかった那須野へと飛び去り悪事を続けました。
それを知った朝廷は「九尾の狐退治の勅命」を下し、
勅命によって那須へ集結した軍勢に追い詰められた九尾の狐は、
ついに鏑矢で射止められ、巨大な毒石に姿を変えました。
毒石に姿を変えてからも、その毒は村人たちに害を及ぼし続けました。
後年、そのことを伝え聞いた名僧・玄翁和尚による一喝で石は三つに打ち砕かれて飛び散り、
そのひとつがこの地に残り、いまだに毒気を放ち続けています。
で、前に清原球場へ行った時に「九尾の狐弁当」なるものが売られていて
売店の人に 教えてもらいました。
以下 速報より抜粋です

浦和学院は5回に
斎藤、右前打。西川、右前打。無死一、二塁。山口、送りバント。
一死二、三塁。9番服部、スクイズ狙うがファール。
その後もファールで粘りフルカウントから中前打、2者生還。
竹村、三ゴロ。二死二塁。贄、中前適時打。送球間に二塁を狙うがアウト。この回3点。

前橋育英は8回に
田村、中前打。工藤、フルカウントから四球。
無死一、二塁。浦学が伝令。育英、高橋知、送りバント成功で一死二、三塁。
土谷、中飛、三走がタッチアップで生還。二死二塁。
4番荒井のとき、暴投で二死三塁。荒井、四球。二死一、三塁。小川、フルカウント、左飛。育英、1点を返す。

浦和学院はそのウラ、4番高田の適時二塁打で突き放し、
投げては先発した背番号10の山口が1失点の完投勝利。
浦和学院は3年ぶり4回目の優勝。
公式戦連勝を14に伸ばし、決勝ではエース小島を登板させることもなく、貫禄のVでした。
前 橋 育 英 000 000 010=1高橋光-小川
浦 和 学 院 000 030 01X=4山口-西川
浦和学院は3年ぶり4回目の優勝。

負けちゃいましたけど、花咲徳栄もいい試合してましたね
2回戦 桐光学園4-3花咲徳栄
花咲徳栄は桐光学園の松井から四回に暴投で先制すると
六回には2死一、二塁から松本の左越え2点二塁打で3点のリードを奪った。
だがその裏に先発関口が4安打を集められ同点とされると、
延長十二回にサヨナラ打を浴びた。
打線は粘り強く攻めたが七回以降は1安打に抑えられた。
昨夏の全国選手権で22奪三振のドクターK・松井選手に対して、
勇敢に立ち向かった選手たちに拍手です


花咲徳栄 000102000000 =3
桐光学園(神奈川)000003000001x=4
お疲れ様でした