桜子でーす

日々の感想や思いついた事柄を写真や文章に表しました。ビジュアルに表現出来ると嬉しいな!

私の尊敬する師・M氏のこと

2013年03月15日 | 日記・エッセイ・コラム
3月15日(金)

今朝は暖かだった。一日中、この暖かさは続いている。
庭の桃の花も、未だ十分奇麗だが、枝の先には薄緑の若葉が伸び初めている。
しかし、私の関心は桃の樹と言うより、かつての上司だったM氏の事ばかりを考えていた。

昨日、御茶ノ水から帰宅したら、M氏の訃報があったと、姉から聞いて驚いた。
長い間、体調がすぐれなかったM氏の事は十分わかっていたが、矢張り、驚きと残念さは隠せない。

早速、知らせがあった元勤務先へ電話をする。
かつての勤務先の電話番号すら忘れてしまった私は、随分、ご無沙汰をしているが、何と言ってもM氏との思い出の多い勤務先だった。

M氏は、きつい人だったが、本当は優しい人だったのだと、後で気付くほど、厳格そのものの上司だった。

M氏に「あなたも同じ年に海外派遣に出掛けたじゃないか。一緒に発表会へ行ったよ」と言われて、ああ、あの時の男性だったのだと、初めて気がつくぐらい、M氏の事を覚えていなかった。
M氏から言われて初めて驚く様なうかつな私だったのだから、大変な部下を迎えたと嘆かれるのも致し方の無い話だ。今、考えても、自分の愚かさを恥じる。

その頃の私は自分の置かれた立場についての理解が浅く、M氏は、随分、心配されたと今更ながらに思う。
私が赴任した当初は「自分の所に、新米で、しかも女の補佐役とは……」と、私を目の前にして嘆かれた。それも当然な事である。当時、大切な周年行事を後、半年で迎えると言う土壇場に立っておられたからだ。

早朝は当然だが、終電近く迄、自分なりに努力したが、相当に辛かった。当時の私は、長い入院後、食事が異常に細かった時である。でも、弱音は吐けない!
しかし、60周年記念式典が終わった日に「ご苦労様、有難う!」と、M氏は、ご自分の花束を私に下さった。どんなに嬉しかった事か、私は未だに忘れられない。

その後は、私の立場も考えて下さり、一緒に国際理解教育の研究組織を作って活動する等、陰になり日向になって指導して下さり、後の私の道を拓いて下さった。

もっと、せめて後一年、M氏のご指導を受けたかったが、残念ながら退職される事になった。事務室で私に言われた言葉が忘れられない。
「ご苦労様でした。よくやりました」と、何時も厳格なM氏がぽつりと言われた。
「そのお言葉だけで、私は大変嬉しいです」と感激しながら私は答えた。

僅か二年間のお付き合いで、M氏は定年退職を迎えられ、JICAの一員としてドミニカへ赴任された後は、時折、連絡をする様になった。

ある時、ドミニカのM氏に頼まれて、近所の医院へ薬をもらいに行った。
「何故、家族でもないあなたが来るの?お嬢さんはどうしたの?」と医師に聞かれた。
私の説明に「M氏はあなたを余程、信頼しているのだなぁ」と言われた。

はるばる、ドミニカからエアメールで論文のご指導を戴いた事がある。その話を聞いたある先輩が「すごいよ!M氏らしい!」と感心した。
私は嬉しかったし、更に勉強をしなければと身の引き締まる思いだった。
遠く離れたドミニカから、何時までも、私の事を気にして下さったM氏の優しさが今更の様に有難く思われる。

僅か2年間のお付き合いであったが、その後の私の仕事と精神面で、どれだけ様々な事柄を処していけたか、最高の師として尊敬していた大切な方だった。

M氏が亡くなったのは3月8日と、うかがった。
何と不思議な事だ。久し振りにご挨拶をと、自作のカレンダーのはがきを郵送した頃と、ほぼ、同じ時らしい。
結局、見ていただけなかったのだと思うと、悲しい。もっと、早くお便りを差し上げたら良かったのに……

何時も、必ず、M氏らしい几帳面で美しい文字の、細やかな返事を下さった。
それなのに、私は、何時もいつも、文字が書けなくなったと言う理由をつけて、プリントでお便りをしていた。
しかし、不思議な事に、今回は文字が下手であっても手書きでと決心してお出しした。しかし、結局、それは間に合わなかったのだ。残念でたまらない。くやしい。

足腰が心配で、お悔やみに高崎迄お伺いする事は出来そうも無い。
せめて、遠くからM氏のご冥福をお祈りするのみである。

高崎の奥様に電話を差し上げた。
数えで八十八歳で亡くなられた。昨年の12月半ばから入院されて、その後、3月2日に退院後は奥様が看病をされた。
3月8日に安らかにご逝去、10日通夜、11日告別式が行われた。と、奥様からうかがった。

ご冥福をお祈りします。

結局、私のカレンダーを見て戴く願いはかなわなかったのですね。残念です。









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朝、早くから御茶ノ水

2013年03月15日 | 日記・エッセイ・コラム
3月14日(木)

御茶ノ水の予約は9時半だが、30分前に行かなければならない。緊張していたので、早くから目が覚めた。(我ながら感心する)
雨はもう止むだろうと言う気象情報だったが、傘が要る程の雨だった。ステッキ代わりに持って出る。

折角、予定時間に間に合うと思っていたのに、又、電車の遅れについて、車掌から放送が何度もあった。浜松町で、乗客が急病になった為だそうだ。
特に、朝の時刻に電車が遅れると、通勤する人や学生が気の毒だ。それに、私の様に時間が決まっている者にとっても、迷惑千万と言うもの。

東京駅のホームでは、風が強いので、東海道新幹線が遅延していると放送があった。昨日の強風や風じんによる被害は大変なものであったが、今日も又、又……である。
最近の電車は、事故等による遅延や運転中止が多過ぎる。

今日は4科も回った。30分おきである。
K先生の時間は最後だから、大幅に遅れたが、未だ、私の後に待っている人が4~5人いると言う事だった。
皆、悩みを長々と話すので、先生も大変である。しかし、やさしく適切な対応で相談に乗って下さるから、皆が頼りにしている。

今日は、あちこちの先生に冗談を言って回った。面白くもない場所だもの、何か面白い事をやらなくては…
「そうなんです。10日で28歳になりました」と。私が澄ました顔で言うと「エッ?28?」とおっしゃる。「逆さまにして82。歳はとりたくないです」
ある科では「そう言う事になると、私は37」と言われた人もおられる。
「あ、先生はお若いですね」と私。ふざけた患者だ。
でも、確かな事は雰囲気が少しでも和やかになったと思うが……どうかな?

東京駅で、又、駅弁屋へ寄った。様々な駅弁が置かれている人気のある店だ。
家族の好みを考えながら、あれこれ選ぶのは大変だが、結構、楽しい。
今日は『鯵の押し寿司』一箱を買う。二人が食べるには十分過ぎると言う訳で、半分ずつ分け合う事にした。
今日の我々の胃袋は元へ戻りつつある。

 * 桃の花が散って、地上で咲いているみたいだ。

 * 他の植物も春の近付きを感じている。


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強風の中のドライブ

2013年03月15日 | 日記・エッセイ・コラム
3月13日(水)

今日は帰京する日だ。
荷物をクルマへ入れようとすると、親切な男性が入れて下さった。
「何時も有難うございます。ご挨拶が遅れて失礼しました」と、わざわざ、名刺を下さった。
何と、支配人さんだった。びっくり!!

私がクルマのガラスを拭き始めると「私がやります」と言って、支配人さんがフロントガラスを拭いて下さった。
「車検迄、このままにして置こうと思ったけれど…」と私。近辺にガソリンスタンドが無いため、結局、洗車出来なかったが、窓を拭いていただいて有難かった。

帰り道は、概ね順調だったが、工事中の箇所が多い。
小田原で道路を間違えたが、かえって、一般道路を問題無く小田原厚木道路ヘ入る事が出来て一安心する。よく、この手の失敗をするが、結構、良い勉強になる。

大船PAで休憩と買い物。ここの干物は、とても美味しい。
海老名SAで食事は簡単に済ませる。休日でもないのに、何と、人の多い事か!
風が強く、ドアの開け閉めがきつい。

東名高速道路は走行し易かった。追い越し車線はクルマが少ないが、何となく抵抗感を感じた。原因は風の圧力が強かったためと、後で気がついた。
そんな事に気付かぬ間に料金所へ着いた。料金を受け取る係員の服の袖が旗の様になってはためいている。
「今日は風が強いですよ」と言う。そう言えば、先ほど、真っ黄色な砂が舞い上がって、何も見えなくなる程すごかった箇所があった。
東京では風速27m?以上の強風が吹いて、色々と不都合があったとニュースで伝えられた。

2時半帰宅。無事、帰れてよかった!そう言えば、何時も東京へ帰る時には天候が色々と変わる事が多い。
庭へ出て、桃の花の様子を見た。余り被害が無くてホッとする。

四日分のブログの原稿を書いてしまう。後の作業は明日へ回す。
疲れた!矢張り、歳なんだなぁ!と実感する。

明日は御茶ノ水へ行く予定がある。朝9時迄に行かなければならない。
早く寝よう。








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つばき園

2013年03月15日 | 日記・エッセイ・コラム
3月12日(火)

椿園へ行く。小室山公園にある伊東市の椿園は椿の種類と数(1000種4000本)が素晴らしい。3月10日迄『つばき祭り』をしていた。今は椿の展示室は開かれていないが、自由に敷地内を散策出来る。

カメラと携帯を交互にして写すが、どれもこれも気になるものばかりだ。我が家の黒椿は未だだが、ここも、未だ、咲いていなかった。安心する。

昨日の天気と違って、今日は海も奇麗だった。日替わり天気で、今年の春は忙しい。道中、川に沿って河津桜の並木がピンク色に映えていた。河津へ、わざわざ出掛けなくてもここで十分だと思った。

ここのところ、河津桜見物で泊まり客が多くなったそうだ。以前、わざわざ、伊豆急に乗って見物に行ったが、座席確保に苦労した。余り有名になると、色々と不便だし、土地の事情が分からないと十分に楽しめない。

ご馳走攻めの夕食も、そろそろ、日頃の『適当な』我が家の食事が懐かしくなる。美味しい物も、十分過ぎると大変だし、わがままが出て来る。自分の胃と歳を考えて計画的に……と、考えたが、なかなか難しい。

お願いをして、最後のデザートは部屋へ持って来ていただいた。わざわざ、課長さんが持って来て下さった。この方も、よく気配りをして下さる。
とても食べられないので、冷蔵庫へ入れた。

今夜のテレビのドラマは、お気に入りの番組なので楽しみにしていた。
二つとも、今夜で最終回となる。何となく、余り決着が分からずに終わってしまった感じだ。
少しばかり物足りない様な気がしたが、最近のドラマの傾向か?視る者が、その後を如何様にでも考えられる風な手法だ。
しかし、面白かった。一度に二つも終わるなんて、何て淋しい事!

ここでは、早寝早起きが身に付いて来た。明日は、いよいよ帰る日だ。12時前には絶対に寝る気でいる。

(夜中、一時間ごとに目が覚める。困った事!夜のドラマが、余程、気になったらしく、夢の中にも何となくドラマが再現される)









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引き続き、デザートに驚く

2013年03月15日 | 日記・エッセイ・コラム
3月11日(月)

第二日。
昨日に引き続いて、空模様は怪しい。それに雨が降ったようだ。ツバキの見物に出掛けようと思っていたが、今日は、部屋でゆっくり休む事にした。

朝食後、家族風呂ヘ入る事にした。最近、入った事が無いので気になっていた。
この風呂は24時間使える。丁度、奇麗に掃除をした後で、気持の良いお風呂だった。温泉に浸かりながら日本庭園造りの植え込みを見るのも乙なものである。

このホテルの行き届いた手入れがされた庭や池、あちこちにさり気なく飾られた花や草木は、ホテルの年配の従業員の心配りだと聞いている。
先日訪れた時に彼と話す機会があった。何時も、素敵ですね、と言う私達の言葉に、謙遜しながらも、大層嬉しそうだった。

今回、来た時、彼は、先ず私達を迎えてクルマの駐車にも気を配って下さった。
その後、花の話をする等、親しみのこもった気持を示して下さるようになった。
温泉の入り口に真っ白な椿が挿されていたので、尋ねると「あれは私の父親が植えたものです」と嬉しそうに答えた。

昼間は何となく食事にも出ずに過ごしたので、夕食は十分に食べる事が出来た。
しかし、何時もと違ったデザートの大皿盛りには驚いた!これは女性向きのコースなので致し方が無いのかな?と思う。
でも、これはちょっと、厳しい至難!明日は、慎重に考えなくては…

申し訳なし!
と、詫びる訳ではないが、東日本大震災は二周年目になった。今日のテレビ特集は全てこの事ばかりと言った感じ。
悲しいことだ。何とか復興が進む事を祈るが、人々の大切なココロが、より幸せになる事を一番望みたい。

温泉に入っている時の事。自分は、この地に長く住んでいるが福島県の出身だと言う一人の女性が話しはじめた。
私が「今回の大地震津波で、一番気の毒なのは福島県の人たちですね」と話すと
「親戚の女性に結婚の話が出たけれど、福島出身と言うだけで断られたんですよ」と言った。
何と、心無い酷い言葉だろう!差別も甚だしいと二人で嘆き合ったものだ。
風評被害。どれだけ、多くの人を傷つけるのだろう?
人として、最も情け無い行為だ。


 * 風呂の入り口に飾られた白い椿にも心配りが…… 
 * ワオー! もう、食べられないかな?三日目







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ハッピーハッピー! 28?

2013年03月15日 | 日記・エッセイ・コラム
3月10日(日)

今日はドライブの多い日曜日だが、伊東迄出掛ける事にした。

ホテルで、二人の誕生祝いをするのが、一番の目的と言う訳で、無理に日曜日の出発となる。
普段は週日を利用して、土、日、祝日は必ず避けている。しかし、今回は土、日が二人の誕生日にかかるので、無理を押して日曜日に出掛ける事にした。

11時半出発。今まで、給油していたガソリンスタンドが廃業したらしく、すっかり取り壊されている。不景気はここ迄来ている。あぁ!仕方がないなぁ!

先日、申告書提出が終わって帰るバスの窓からガソリンスタンドの値段を調べておいたスタンドで給油する。安いと思ったら、何と、セルフサービスだった。
「すみませーん、初めてだから…」と頼む。若い従業員が親切に給油をしてくれた後「洗車はどうですか?」と聞いた。
本当のところ、自分でも嫌になる程の汚れようだが、時間が無くなるので、丁寧に断って出発した。

矢張り感は当たっていた。環状八号線に入ると急に混み出した。
それでも、東名高速道路はスイスイ走れた。横浜PAで食事をしたので、海老名はパスする事にした。
小田原厚木道路もうまく進めたので、この分なら順調!と思っていたら、その後が悪い。日曜日なのに道路工事がある上に、更に熱海伊豆方面へ行くクルマが多く、思わぬ箇所で渋滞している。石橋料金所では、やっと料金所窓口を通過しても、その場でクルマが全然、動かないと言った具合である。

矢張り、日曜日も駄目だ。これからの季節は、この真鶴道路辺りはドライブをするクルマが多く一車線の道は常に混んでいる。

何と、今日の海はどんよりと薄暗く、空を見上げても黄色ぽく暗い色をしている。黄砂の所為かなと思うが……気温は高いし、本来なら明るく気持のよいドライブ日和の筈なのに気分が滅入る。

それでも、4時にはホテルに着いた。ホッとする。
夕食は7時にして貰う。レストランの人から祝いの言葉を受けた。
そう言えば、フロントでも『ハッピーバースデー』の挨拶を受けた。前宣伝が行き届き過ぎたかな?いいトシをして、コドモみたい!
でも、二人まとめての誕生祝いだもの、いいか!

ところで、私は、とうとう28歳??????になってしまった。
ああ、嫌だ!おおいやだ!
でも、仕方が無いものね!

美味しいご馳走と飲み物でお腹が一杯になった。ところが!!!!!である。
最後に『ハッピーバースデー』とデコレーションケーキが運ばれて来たのである。
可愛いキャンドルが3本立っている。
「ねぇ、ロウソクの数が足りないわ」と笑った。
マニラで、子供達が持ち寄りの大小さまざまなロウソク49本を立ててくれた事を懐かしく思い出す。

とても食べられないからと、レストランの給仕の人たちに半分あげる事にした。彼女達はとても喜んでいた。

部屋に運ばれたデコレーションケーキと紅茶は、まさにハッピー!ハッピー!
『侍ジャパン』は16対4と、まさにハッピーな夜だった。


 * この釜飯も、希望で用意してもらった。美味しかったでーす!









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