震災当時、福島第一原子力発電所所長だった
故吉田昌郎元所長が政府の事故調査・検証委員会に語った
調書の全容が8月30日付けの新聞に掲載されていました。
原発事故発生の3月11日~15日までの5日間の様子が
生々しい語り口で書かれていました。
12日に1号機、14日に3号機、15日に4号機の
原子炉建屋の水素爆発が続き、約70人を残して
約650人は福島第二原発に一時退避したとき、
後に分かったことですが、残った70人に中に、
私どもの知人が2名含まれていました。
もしかしたらもっと多いかもしれません。
一人は長男の同級生のお父さん。奥様とその同級生は、
「お父さんが頑張っているから大丈夫だよ、きっと…」と信じ、
避難所で祈るような気持ちでずっと私たち家族とともに過ごしていました。
もう一人は、26年前、新婚旅行で海外に行った際、
偶然知り合ったご夫婦のご主人。
震災の半年前に転勤で福島第一原子力発電所へ異動になり
今度一度会いましょうって言ってた方です。
26年間年賀状だけのお付き合いでしたが、
年賀状から垣間見る子供達の成長、お互いお近況などを
ずっと報告しあっていました。
後々、あの当時、妻や子供へ遺書をしたためたと聞き、
涙がこぼれるのを抑えきれませんでした。
吉田調書が10月に公開されるそうです。
ああすれば良かった。こうしとけば良かったなど、
原発事故に対する複雑な思い、ご意見多々あると思いますが、
心の目でしっかりと受け止めたいと思います。
私たちは「真実」が知りたいのです。
故吉田昌郎元所長が政府の事故調査・検証委員会に語った
調書の全容が8月30日付けの新聞に掲載されていました。
原発事故発生の3月11日~15日までの5日間の様子が
生々しい語り口で書かれていました。
12日に1号機、14日に3号機、15日に4号機の
原子炉建屋の水素爆発が続き、約70人を残して
約650人は福島第二原発に一時退避したとき、
後に分かったことですが、残った70人に中に、
私どもの知人が2名含まれていました。
もしかしたらもっと多いかもしれません。
一人は長男の同級生のお父さん。奥様とその同級生は、
「お父さんが頑張っているから大丈夫だよ、きっと…」と信じ、
避難所で祈るような気持ちでずっと私たち家族とともに過ごしていました。
もう一人は、26年前、新婚旅行で海外に行った際、
偶然知り合ったご夫婦のご主人。
震災の半年前に転勤で福島第一原子力発電所へ異動になり
今度一度会いましょうって言ってた方です。
26年間年賀状だけのお付き合いでしたが、
年賀状から垣間見る子供達の成長、お互いお近況などを
ずっと報告しあっていました。
後々、あの当時、妻や子供へ遺書をしたためたと聞き、
涙がこぼれるのを抑えきれませんでした。
吉田調書が10月に公開されるそうです。
ああすれば良かった。こうしとけば良かったなど、
原発事故に対する複雑な思い、ご意見多々あると思いますが、
心の目でしっかりと受け止めたいと思います。
私たちは「真実」が知りたいのです。
それは福島県民の思いだと思います
帰りたいのに帰れない方たちがいる その方たちは真実を知る権利があると思います