富岡町の震災日記 「桜里園(オリオン)」

福島県富岡町は原発事故により町民は避難中。一部地域は解除、故郷に戻る町民も。桜の町の復興が叶うまでの日々をお伝えします。

あのとき住民は…2011年3月11日(金)

2013-03-12 08:58:20 | 東日本大震災・津波・原発事故
もう2年になりました。
あのとき富岡住民に起こっていた事を回想してみます。

2011年(平成23年)3月11日(金)午後2:46
突然の揺れ…いつもよりちょっと長いなぁと思ってたら、
尋常ではない激しい横揺れが!
机の上の物が床に投げ出され、棚の中の書類も飛び出し、
天井のパネルや、はめ込み式のエアコンも落下。
膨大なデータが入っているパソコンが、
床に落ちないように押さえるのが精一杯でした。

「最近、地震が多いね。気持ち悪いね。東京大丈夫かしら?」
な~んて妹と話していたばかり。
てっきり関東大震災がいよいよ来たんだと思ってたら、福島県沖?
すぐさま、富岡町役場内に災害対策本部が設置され、
男性職員は、災害現況確認の為に、カメラを片手に出動。
女性職員は、炊き出し・買い出し・避難所などの支援に着手。
私は、買い出し班になり、正職員1名と臨時職員2名の3人で、
飲み物や小分けに分けられる食料を求めて、
富岡町の夜の森地区へ自家用車で向かいました。

地震発生と同時に電気水道ガスが停止してしまったので、
大手コンビニやスーパーは品物を販売してはいただけませんでした。
品物が床に散乱している中、手計算で売ってくれた地元の小売店さん。
本当に助かりました。ありがたかったですよ。

災害対策本部に戻ろうとしましたが、道路が陥没して水浸し。
水道管が破裂して通れません。塀も倒れ、蔵も崩れ落ち、
潰れかかっている家や、斜めになっている電信柱…
橋のつなぎ目に段差があり通行出来ない所も…
迂回しながら災害対策本部に到着後、
避難所になっている富岡第二中学校体育館へいって、
避難者の対応を命じられました。

体育館は午前中に卒業式が終わったばかりで、
紅白の幕が飾られてました。
体育館北側の壁にはヒビが入っていました。
テーブルの上にA4のコピー用紙とマジックを並べ、
行政地区ごとに、避難してきた人の名前を書いてもらいました。
午後5時頃になると薄暗くなってきて、
色々な要望が住民から出始め、電話が通じないので
それらの要望を伝える為に、災害対策本部へ車で行くという
過酷な避難の1日目が始まったのです…


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