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定年後こそ家でゴロゴロしていてよい、納得の理由&「男性、ぽっちゃり、喫煙者は赤信号」"コロナ論文"を追う免疫学者の警告

2020-12-24 16:31:58 | 日記

下記はダイヤモンドオンラインからの借用(コピー)です


定年後は「あること」さえ守れば
自由で良い
 定年後、仕事も何もせず、どこに出かけるということもなく、家で新聞を読んだり、テレビを観たりしてゴロゴロしているのはよくない、ということはよく言われる。最近では定年退職後に夫が家にいることで妻のストレスが溜まる現象は、「夫源病」とか「主人在宅ストレス症候群」と呼ばれている。うつになることさえあるという。
 しかしながら筆者は「家でゴロゴロしていてはいけない」という主張にはどことなく違和感を覚えるのだ。なぜなら、定年退職した後は何をやろうが本人の自由だからだ。筆者は60歳以降もできるだけ働いた方が良いと主張はしているものの、絶対に働かないといけないわけではないし、何か趣味を持たなければならないわけでもない。
 ましてや何も用事がないのに、ただ「家にいるとうっとうしいから外に出て行け」というのも乱暴な話だろう。家でのんびり過ごすことの一体どこが悪いのだろう。何もしたいことがなければ家でボーッと過ごしていても一向に構わないのではないか。「定年後が不安だ」という声をよく耳にするが、それは定年後は家に居ちゃいけないなどと言われるから余計、定年を不安に感じるのだ。
 筆者は勤めていた会社を定年で退職し、それから8年たつが、定年後、家に居ることが悪いとは決して思わない。定年後は何をしようが自由だ。でもたった一つだけやってはいけないことがある。
定年後にありがちな勘違い
妻にべったり…で家庭にヒビ
 それは「人に迷惑をかけること」だ。この場合の人というのは家族のことである。要は、家に居ること自体が悪いのではなくて、家で何もせずにいることで家族に負担をかけることがよくないのだ。だから、そうならないように自分のことは自分でやるべきなのである。
 おまけに定年前に会社で「セカンドライフセミナー」などという研修を受けると、やってきた講師の多くがこのように言う。「定年後は奥さんを大事にしなさい。奥さんと一緒に過ごすようにしなさい」。そこで多くの人は勘違いをしてしまうのだ。
 この奥さんと一緒に過ごすというのは、奥さんにべったりくっつくということではない。よくありがちなのは、ずっと家に居るだけではなく、昼になると「おい、昼飯はまだか?」と催促する、あるいは奥さんが出かける時に「どこへ行くの?」「いつ帰ってくるの?」、そして「僕の晩ご飯はどうするの?」と何から何まで妻に寄りかかりきりになってしまうことだ。
 こんな状態が続けば奥さんもストレスを感じるのは当たり前だろう。子供じゃないのだから、「僕のご飯どうするの」とは、あまりにも情けない言葉だ。ご飯なんて自分で作れば良い。最近は冷凍食品でも、全く手間をかけずにレンジで温めるだけで美味しく食べられるものは一杯ある。それすら面倒ならコンビニでお弁当を買ったって、近くのお店に食べに行ったっていいだろう。それこそ自分の好きにやればいいのだ。
 出かける奥さんに対して「行ってらっしゃい。ゆっくりしてくれば良いよ。メシは適当に済ませるし、天気が良いから洗濯でもしておくよ」と言えば、どれだけ心地よく出かけることができるだろう。
 筆者の場合、妻も働いているので二人共家にいるということは少ない。したがって家事はできるだけ分担してするようにしている。料理は自分でやってみると案外楽しいし、洗濯だってたいしたことはない。だって洗濯は洗濯機がやってくれるわけで、自分でやらねばならないのは干すだけだ。「自分は会社で大変な仕事をやってきたのだ」というのなら、その程度の仕事はどうということもないはずだろう。
会社人間ほど
定年後「大きな子供」になりやすい?
 以前、女性ばかりの会食に参加したことがあったのだが、その時にある女性の言った言葉がとても印象に残っている。
「子供はいずれ成長すれば大人になるけど、夫はいつまでたっても大人にならないのよね」
 これは心に突き刺さった。自分を振り返ってみても確かに妻に甘えている面が多く、結局は大人になりきれていない、「大きな子供」の自分がいることをあらためて感じさせられたひと言であった。
 結局は普段、家でゴロゴロしていようが、何をしていようが一向に構わない。要するに自分が家に居ることで家族に負担がかかっていないかどうかを考えるべきなのだ。つまるところ、定年後に一番大事なことは「自立する」ということだろう。
 思うに会社員時代に地位の高かった人ほど、「自立する」ということができていない傾向がある。例えば、筆者は旅行に行くときは交通手段や宿の手配は全て自分でネット予約する。ところが、会社で役員とか部長になった友人にこの話をすると「信じられない、そんなこと面倒だし、とてもできない」というのだ。恐らく現役時代は秘書や庶務の人が全て手配していたのだろう。
 でも、定年退職するというのは「会社人」から「社会人」になるということである。生活の多くについて、自分一人でできなければ困ることになるだろう。
「定年の常識」に
縛られると損をする
 仮に明日、突然奥さんが病気で倒れて入院したとしても、普通に支障なく生活していけるかどうかを考えてみることが大切だ。そして自分が家に居るのであれば、料理でも洗濯でも掃除でも何でもいいので、それらにかかるパートナーの負担を減らすことを考えるべきだろう。
筆者・大江英樹氏の近著「定年前、しなくていい5つのこと」(光文社)
 家族というのは共同体である。その共同体を構成するメンバーが応分の負担を負ってこそ成り立っていくものなのだ。会社という大きな組織の中でできることが小さな家庭の中でできないわけがない。実際に多くの若い人は共働きをしつつ、家事はきちんと分担してやっている。
 最近はシニア世代の中にも夫の定年後に妻が外で働いているというケースは珍しくない。そういう状況になったのであれば喜々として「専業主夫」になってみるというのも悪い選択肢ではないだろう。我が家は外部から請け負った仕事を妻がしているので、週の内、3日は外に出かける。ところがこちらは講演などの仕事がなければ、ずっと家で原稿を書く日々だから、家事のかなりの部分は分担しながらやっている。自分が作った料理を「専業主夫料理」と称してSNSにアップするということも時々あり、これはこれで新しい楽しみになっている。
 要するに定年後のライフスタイルは何でもかまわないのである。何もすることがなければおおいに家でゴロゴロしていればいい。強迫観念に駆られて無理やり趣味を始めたり、慣れない地域の人達との付き合いでストレスを溜めるくらいなら、家の中でゴロゴロしているほうがよほどマシである。そして家の中でのフットワークを軽くして、家族のために家事をやるほうがよほど肉体面にも精神面にも良い影響があるのではないだろうか。
(経済コラムニスト 大江英樹)

 

男性、ぽっちゃり、喫煙者は赤信号」"コロナ論文"を追う免疫学者の警告

下記の記事はプレジデントオンラインからの借用(コピー)です

重症者に共通していること
新型コロナウイルスの発生から、ほぼ1年が経過しました。この未曽有の危機に対抗するために、世界中の科学者が研究を行っていて、すでに8万報以上の論文が発表されています(2020年12月現在)。
このような膨大な研究成果から、新型コロナウイルスの重症化リスクが明らかになってきています。
新型コロナでは、感染者の8割くらいの方は無症状か軽症で済みますが、約2割の方が肺炎症状が悪化して入院することになり、1割弱の方が重症化します。収束に向けた適切な対応のためには、重症化リスクがある人を明らかにすることが重要です。
しかし、多くの方が、感染した場合の重症化リスクを知らないというのが現状でしょう。
重症化し、亡くなった方の多くは高齢者です。高齢であるということは、残念ながら大きな重症化リスクです。
なぜなら、高齢であるほど免疫力は低い傾向にあり、特に、免疫反応を制御するレギュラトリーT細胞の機能が低下していて、炎症を起こしやすい状態になっているからです。
また高齢者は、なんらかの持病を持つ方が多いということもあります。
欧米での死者数増大の一因は「肥満率の高さ」か
一方、高齢ではないのに重症化、または亡くなられた方の多くは、簡単にいってしまえば「不健康な状態」にあったといえるでしょう。
アメリカ疾病予防管理センター(CDC)の発表したガイドラインによれば、重症化リスクの高い症状とは、下記のような疾患を持つ方を指します。
『免疫力が10割 腸内環境と自律神経を整えれば病気知らず』(プレジデント社)より
ここに該当する方は、若年層でも重症化リスクを持っているとお考えください。まして高齢のうえ、基礎疾患を持っている方は、かなり重症化リスクが高いと考えられます。
とくに気をつけていただきたいのは、肥満です。その他の基礎疾患は明確な病気であるため、自分の不健康を深刻に捉えると思います。しかし、肥満については軽く見ている方が多いのではないでしょうか。
新型コロナウイルスによって、甚大な死者数となってしまった欧米では、その多くが肥満の感染者だったといわれており、実際にイギリスでは、ICUに運ばれた重症者の約73%が肥満だったという調査もあります。
“多少太り気味”でもリスクは2倍
肥満(BMI30以上)は、国や自治体の定める、新型コロナウイルスに感染した場合の入院基準の一つでもあります。ただ、日本人では肥満の人は4%程度しかいません。ほとんどの人は自分には関係ないと思っているでしょう。
しかし重症化のリスクは、BMIが30を超えると急に上がるわけではありません。東アジア人を対象にした研究では、多少太り気味であるBMI24(たとえば身長170cm/体重70kg)以上でも、2倍近く重症化リスクが上がることが報告されています。
日本人の30歳以上の2割以上がこの基準に当てはまります。これを読んでドキッとしている人も多いのではないでしょうか。
男性なら1.5倍、喫煙歴ありで2倍、55歳以上で2倍
さらに、肥満以外のさまざまな要因によってどのくらいリスクが上がるのかということも、数値としてわかるようになっています。
例えば、男性は女性より1.5倍以上重症化するリスクが高いことがわかっています。ホルモンの関係で、男性の免疫系が活性化しにくいからと考えられています。
喫煙もリスクとなります。喫煙歴があると、約2倍重症化リスクが上がります。喫煙により肺の機能が低下して、細菌やウイルスなどを排除しにくくなるからと考えられています。イギリスでは、重症化リスクを下げる目的で、禁煙する人が急増しています。
年齢についても、感染した場合の入院基準となっている65歳以上では約3倍重症化リスクが上がりますが、実は40代以上でリスクが上がり始め、55歳以上でも約2倍リスクが高くなっています。
基礎疾患についても、どの病気でも同じようにリスクが高くなるわけではありません。糖尿病では2倍以上、高血圧で3倍近く、冠動脈性心疾患や慢性腎疾患では5倍前後、COPD(慢性閉塞性肺疾患)では6倍以上リスクが上がります。
このように、肥満度や基礎疾患、喫煙など統計的データがあるものだけで計算しても、20代の基礎疾患のない標準体重でタバコを吸わない女性に比べて、働き盛りの40代後半の男性の6人に1人、50代後半の男性の2人に1人で10倍以上の重症化リスクがあるということがわかっています。
生まれながらにリスクが高い人もいる
小林弘幸著、玉谷卓也監修『免疫力が10割 腸内環境と自律神経を整えれば病気知らず』(プレジデント社)
なんと、生まれつき重症化リスクが高い人がいることもわかっています。血液型に関連した遺伝子やネアンデルタール人から引き継いだ遺伝子が、重症化に関わっていることが報告されているのです。どちらの遺伝子も免疫の機能に関連していると考えられています。このような遺伝要因のリスクは、DNAを調べることによってわかります。
ここまでにお伝えした環境要因や遺伝要因によって自分がどれだけの重症化リスクを抱えているかを、科学的なエビデンスにもとづいて判定する検査も受けられるようになってきています
検査によって自分の重症化リスクを知り、リスクの高い人は特に感染予防を心がけ、感染してしまった場合はすぐに治療を開始するようにすることで、新型コロナウイルスへの適切な対応ができるようになることが期待されます。


小室圭さんと母・佳代さん 父の自死直前、「湘南のパパ」と呼ぶ男性と会っていた

2020-12-24 09:15:24 | 日記

下記の記事はヤフーニュースからの借用(コピー)です

日本中が注視する秋篠宮家の長女・眞子さま(29才)と小室圭さん(29才)の結婚問題。眞子さまが“お気持ち文書”を発表し、秋篠宮さまが11月30日の会見で「結婚を認める」と述べられたことで、結婚への道筋は整ったが、小室家を巡る状況に新展開が訪れた。 
 これまで、タブーのよう深く語られてこなかった小室さんの父・敏勝さんの自死について、詳細を知る複数の関係者が重い口を開いた。すると浮き上がってきたのは、新たな登場人物を取り巻く、いびつな人間模様だった。この事実に秋篠宮家は何を思う──。  敏勝さんが自ら命を絶ったのは2002年のこと。敏勝さんが未明に自宅を出て行ったきり、戻ってこない。パジャマ姿にスリッパを履いたままの状態で、24時間以上がゆうに経っている。知人の協力を得て自宅周辺をいくら捜しても見つからない……。翌日、立川警察署から電話が入った。多摩川近くで見つかったという。敏勝さんは自殺を選んだのだ。  小室家の関係者によれば、敏勝さんは勤務先の部署異動によって希望の仕事ができず、上司との折り合いもつかないことに悩んでいた。さらに妻の佳代さんと敏勝さんの母親の間に嫁姑問題も発生し、間に入った敏勝さんは困り果てていた。  見るからにやつれた様子の敏勝さんを見て、周囲は心療内科に通わせることを勧めたが、佳代さんは「病院に行かないのは本人の勝手だから」と言い、2002年の正月には夫を自宅に残し、息子の圭さんを連れて実家に帰ったという。さらに知人に電話をし、「夫の食事、なんとかしてもらえます?」と、世話を頼んだのだ。 「夫について、知人から“心の病だと思うから病院に連れて行った方がいい”と助言されているのに、その夫をひとり置いて、母子で神奈川に帰って、他人に夫の世話を頼みますか?」(小室家をよく知る知人)  そして、こう続けるのだ。 「しかも、神経が衰弱している敏勝さんを置いて2人が向かった先は、佳代さんが『運命の人』、小室さんが『湘南のパパ』と呼ぶ、とある男性の元でした。なんと3人で、新春ドライブを楽しんでいたのです」
敏勝さんの捜索もしたYさん
 この男性を仮にYさんとしよう。小室家をよく知る知人が驚くべき説明を続ける。 「佳代さんから聞いた話では、Yさんは、敏勝さんの幼なじみの1人です。仕事の都合でアメリカでの生活が長かったそうで、“お金持ちでオープンカーに乗ってるの!”と、うれしそうに話していたのを覚えています。  Yさんが日本に帰ってきたのは小室さんが生まれたばかりのとき。当時、敏勝さん夫婦は横浜市役所の官舎に住んでいて、Yさんが帰国の挨拶に自宅へ来たのが初めての出会いなんだとか。  佳代さんは当時のことを、“圭を抱っこしながら玄関先でYさんを出迎えたときに目が合って、その瞬間にお互いが運命の人だって思ったのよ”と話していました。それから、互いに運命の人と呼び合っているということでした」  夫の幼なじみを“運命の人”と呼ぶことは、多くの人に奇異に感じられるかもしれない。 「佳代さんは、Yさんが住んでいる場所にちなんで、小室さんには『湘南のパパ』と呼ばせていました。小室さんもなついているようでしたが、自分の子供に、父親以外の男性のことを、パパって呼ばせることがそもそも驚きでした」(前出・知人)  Yさんと小室母子の3人は、よくドライブに出掛けていた。 「湘南の方に行き、ご飯をごちそうになっているという話は聞いていました。正月に敏勝さんを置いてドライブに行ったのも、佳代さんと小室さんにとってはいつものことだったのでしょう。Yさんは、色白で線が細く、身だしなみには確かに裕福な生活ぶりが感じられる男性でした。彼には敏勝さんの葬儀で会っているんですよ」(前出・知人)  なんとYさんは、小室さん母子と3人でドライブに行く傍らで、敏勝さんの幼なじみとして死を悼んでいたのだという。小室家の関係者もYさんを見たと語る。 「敏勝さんの幼なじみは数人いて、彼が2002年3月の深夜に家を出て亡くなった際、遺体が見つかるまでの数日間、幼なじみの面々が敏勝さんを捜してくれたんですが、そのなかにYさんもいました」  幼なじみを真剣に心配しながらも、その妻子とただならぬ関係だったYさん。 「佳代さんは“小室が死んだらとてもひとりじゃ生きていけないから、そしたら私は運命の人と結婚するの”と話していたほどでした。だから、敏勝さんの葬儀が落ち着いたときに、Yさんとの関係をどうするのか聞いたんです」(前出・小室家の関係者)  すると、佳代さんからは、思いもよらない答えが返ってきた。 《自殺なんて気持ち悪いことされたから、2人で話し合ってもう会わないことにした》  前出の小室家の関係者も、「自殺ということに対して、佳代さんは、よく『気持ち悪い』という言葉を使っていたのを覚えています」と語る。 「小室家の自宅の和室には、敏勝さん夫妻用のクイーンサイズくらいのベッドがあったんです。それについても、“自殺をしたような人が寝ていたベッドは気持ち悪いから処分したいのよ”と話していました」
もし110番が早ければ……
 自殺を想起させるYさんとの縁もすぐに切り、佳代さんは別の男性と交際を始めたと語るのは、小学校の関係者だ。 「敏勝さんが亡くなって1年も経たないうちに開かれた音楽の発表会に佳代さんは別の男性と手をつないで参加していました。それより前にも都心で腕を組んで歩いている2人が目撃されていたから、保護者内で一気に『もう別の人に……!?』と噂が広がったのを覚えています」  過去にも報じられてきた、佳代さんの元交際相手の彫金師・Aさんである。佳代さんは身を寄せる縁がないと不安になってしまう、そんな孤独を抱えているのかもしれない。敏勝さんが自殺を決断する前に、できたことがあったのではないか、といまでも後悔するのは、前出の小室家をよく知る知人だ。 「敏勝さんが行方不明になってから、警察に連絡した方がいいんじゃないかと佳代さんに話しても、“そんな連絡したら、いろいろ表沙汰になって圭が心配するからしない”と返されたんです。  何か事情があるのかとも思ったけど、一晩捜しても見つからず、警察への連絡を再度うながしても、また“ダメだ”と。世間体を気にされたのかもしれませんが、あのとき、無理を通してでも警察に電話をしていたら、敏勝さんは助かったかもしれないといまでも悔やんでいるんです」  敏勝さんの命日は平成14年3月5日。小室家の墓には、そう刻まれている。当初の予定通りであれば、眞子さまと小室さんの納采の儀は、敏勝さんの十七回忌の前日に執り行われる予定だった。その予定日からも、はや2年近くが過ぎたいまも、小室さんとその母親は説明責任を果たそうとはしていない。 ※女性セブン2021年1月7・14日号
https://news.yahoo.co.jp/articles/957bc0843792d954d27a222be196cc1682043a47?page=1

小室圭さんの父と祖父の自死に新証言 母・佳代さんが放った言葉と嫁姑問題


秋篠宮家の長女・眞子さま(29才)の婚約内定者・小室圭さん(29才)の家族を巡る状況に新展開だ。これまで、タブーのように詳細が語られてこなかった、小室圭さんの父・敏勝さんの自死。今回、その詳細を知る複数の関係者が重い口を開いた。すると浮き上がってきたのは、新たな登場人物を取り巻く、いびつな人間模様だった。この事実に秋篠宮家は何を思う──。 【貴重写真】幼い頃、マッシュルームヘアの小室圭さんと父親の敏勝さんのツーショットなど写真11枚
 窓際のダイニングテーブルに射し込む陽光が、机上に広げられた東京・国立市周辺の地図を照らしている。小室さんの母・佳代さんと祖父が、神妙な面持ちで向かい合って座っている。  小室さんの父・敏勝さんが、前日の未明に自宅を出て行ったきり、戻ってこない。パジャマ姿にスリッパを履いたままの状態で、24時間以上がゆうに経っている。知人の協力を得て自宅周辺をいくら捜しても見つからない……。  重苦しい空気を意外な形で切り裂いたのは佳代さんだ。突然、仁王立ちになって大声で義父に向かって怒鳴り散らし始めたのだ。 「小室は自殺している! それは全部あなたたちのせいだ!」  反論せず、じっと床を見つめて耐えている祖父の頭上に、更なる怒鳴り声が突き刺さる。 「あなたたちの愛情が足りないから彼は自殺したんだ!!」  小さな祖父の背中は、佳代さんの大声に反応する機械のように、罵声を浴びるたび、どんどん丸く小さくなる。その怒号がやんだのは、見かねた親族が割って入ってからだった。  翌日、立川警察署から電話が入った。多摩川近くで見つかったという。佳代さんの発言通り、敏勝さんは自殺を選んだのだ。そしてその1週間後、後を追うように、面罵された祖父も首を吊って自殺した──。  小室家の関係者は、佳代さんの電話越しの声が耳から離れないという。 《あのね、義父が死んだの! (敏勝さんの)弟は言葉を濁しているんだけど、どうも首を吊ったみたい!》  これは今回初めて明らかになった、いまから19年前の3月、小室さんが小学4年生のときの出来事である。小室家の関係者が語る。 「敏勝さんは、穏やかな人でしたよ。全然怒らない人で、おとなしくて。佳代さんが言うことを否定しない人で、何を言われても、“そうだね”と静かにうなずいて、なるべく彼女が自由にできるようにしていました。  仕事も一生懸命でね。小室さんの国立音楽大学附属小学校の進学に合わせて東京・国立市に引っ越してからは、勤務先の横浜市役所まで通勤するため、朝は小室さんが寝ている6時には家を出て、小室さんが寝てから帰ってくるような生活だったようです」  子煩悩で、佳代さんの意思にも従順な敏勝さん。何かをがまんするなら、常に自分自身だったのだろう。関係者が続ける。
「そうした生活の影響もあって、(2001年の)夏頃に体調を崩したようです。部署異動によって希望の仕事もできず、上司との折り合いもつかなかったことについても悩んでいました。見るからにやつれて、目にも生気が宿ってなくて。明らかに心の病だと思って、佳代さんに心療内科に通わせた方がいいんじゃないかと言ったんです。そしたら、“いやよ、病院に行かないのは本人の勝手だから”と。随分と冷たい人だなと思いました」  別の小室家の関係者は、嫁姑問題を指摘する。 「同じ頃、佳代さんは敏勝さんのお母さんとこじれていましてね。敏勝さんがマイホームを建てようとしていたんです。建築学科を出ている敏勝さんはマイホームを建てるのが夢でしたから。  敏勝さんのご両親がいろいろと支援をしてくれたそうなんですが、それに乗じて、佳代さんが家具とか内装にお金を掛けようとして予算が大幅にオーバーしちゃったみたいなんです。それで、お義母さんと佳代さんが大げんか。間に入った敏勝さんはほとほと困っていましたね」  家族、職場、実家──どこにも居場所がなくなった敏勝さんが、得意ではないお酒に手を出したのはこの頃だ。そして、敏勝さんが自ら命を絶つことになる2002年。正月早々、小室家をよく知る知人のところに、佳代さんから電話があったという。 「佳代さんと小室さんは、2人で実家のある横浜方面に帰るので、体調が悪いのにひとりで国立市に残る敏勝さんの様子を見ていてほしいと言うんです。心配なら一緒にいればいいのに“夫の食事、なんとかしてもらえます?”って。仕方がないから敏勝さんに電話をしたら、彼は遠慮したのか“もうよくなったから気にしないでください。寝てますから大丈夫ですよ”と答えました。  ただ、後から佳代さんに聞いた話では、そのときに敏勝さんは行方不明騒動を起こしていたんです。半日ほど多摩川の河川敷で過ごし、音信不通になっていたそうです」(小室家をよく知る知人)  多摩川。敏勝さんがここで自ら命を絶つのは、この2か月後のことだ。年が明けて間もない寒空の下の河川敷で、敏勝さんは何を見て、何を思っていたのだろうか──。 ※女性セブン2021年1月7・14日号

https://news.yahoo.co.jp/articles/7cf4a938393f7ac2945d7a2d105a1d46fe99d8bf?page=1