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苦しくないのに血中酸素飽和度72%の超危険症状
新型コロナウイルスの感染爆発が起きたこの夏。8月中旬に東京都の1日あたりのコロナ感染者数は約5000人にも上った。長く続く自粛生活もマンネリ化し、一部ではコロナ前と変わらないような日常を送る人々がいることはメディアにも多く取り上げられた。
そして、企業のリモート化は進んでいるものの、出勤時に「満員電車に乗ること」を避けられない人もいる。今回、紹介する男性もまた、その一人だ。
瀬川達也さん(仮名・37歳)はこの夏、コロナに感染し、医師に「死ぬかもしれない」と宣告を受けた。基礎疾患もなく、大きな病気をしたこともない男性だ。至って元気だったが、コロナ感染後に重症化。入院前には血中酸素飽和度が「72%」という極めて危険な数値にもかかわらず、苦しさの自覚症状がない「ハッピー・ハイポキシア」の状態に陥った。さらに三度の入院に至るまでの経緯を、日にちを追って詳しく聞いた。
疑わしいのは満員電車、または消毒なしの手で食事?
「コロナの感染は、たぶん満員電車の中だったと思います。多くの人が咳をしていた車両でした。すごく混んでいて、隣のおじさんの口もとが自分の頬すれすれにある状態。そこでかなりゴホゴホと咳き込んでいました。当時は布製のウレタンマスクをしていましたが、防ぎ切れなかったのだと思います」
イベント業に従事する瀬川さんは、8月前半の数日間、仕事で満員電車に乗らなければならなかった。ウレタンマスクはしていたが、顔と顔がとても近い満員電車では、予防効果もどこまでなのか不安が残った。
「どこで感染したか」を振り返ったとき、もう一つ思い当たることがあった。
「朝食をコンビニで買って食べていたのですが、ちょっとした気のゆるみがあったのかもしれません。8月4日だけ手指消毒も手洗いもしないまま、いろいろ触ったと自覚のある手で、ゆで卵をむいて手づかみで食べてしまったんです。感染の原因で思い当たるのはそのくらいです」
8月4日の深夜、身体がピリピリする感覚や熱っぽさなど違和感を覚えた。8月5日の朝に検温すると、午前9時頃に37.3度の発熱、午後2時頃には38.8度まで上昇。「東京都発熱相談センター」に電話相談をし、病院で診察をうけた。
「8月7日にPCR検査を受けたのですが、結果待ちの間、38.8度に上がっていました。解熱剤を飲みましたが、切れるとすぐに39度前後になって……。また、寝るたびに今まで経験したことのないような大量の汗をかきました。全身が水をかけたようにビシャビシャになって身体の水分がどんどん抜けていき、恐ろしいと感じました」
発熱は続き、毎日解熱剤を規定量まで飲みながら、ベッドに横になるだけの日々。たった30分の仮眠でも滝のような汗をかく。コロナは案の定、陽性だった。
8月11日にホテルの宿泊療養所に行くことになった。しかし前日の晩からすでにフラフラし、立つのがやっとだった。
血中酸素飽和度「72%」でも息苦しさなし
「宿泊療養施設のホテルに着いてすぐ、パルスオキシメータ(血中酸素飽和度を測る機械)で酸素量を測りました。そのとき、『72』という恐ろしい数値が出て。ホテル療養では危険ということで、急遽入院先の病院を探すことになりました。たまたまとある病院のベッドに一つ空きが出たということで、入れたのですが……。もし空きベッドがなく、宿泊療養所に戻っていたとしたら、完全にアウトでした」
肺から取り込んだ酸素は赤血球に含まれるヘモグロビンと結合して全身に運ばれる。血中酸素飽和度とは、心臓から全身に血液を送り出す動脈の中を流れている赤血球に含まれるヘモグロビンの何%に酸素が結合しているかの値で、パルスオキシメータで計れる。
約96~99%が正常値で、93%以下になると酸素投与が必要となる。90%を下回ると「呼吸不全」と呼ばれ、その状態が継続すると心臓や脳などに障害を起こすことがある。瀬川さんの数値「72%」は、その「90%」をはるかに下回る、きわめて危険な状況だった。
「でも実際、不思議なことに72%を示していても息苦しさをあまり感じなかったんです。だから、そんな深刻な状況とは思いませんでした。後から医師に聞いたのですが、このときの僕はコロナ患者によくみられる『ハッピー・ハイポキシア(Happy Hypoxia)』=『幸せな低酸素症』だったようです」
ハッピー・ハイポキシアとは、コロナ患者の肺炎が進み、酸素の状態が悪化しても「息苦しさを感じない」状態をいう。自分で気づかないうちに重症化する場合も多く、多くの医師も警鐘を鳴らしている症状だった。
8月12日、6人の大部屋に入院し、最初から「ネーザイルハイフロー(高流量鼻カニュラ酸素療法)」で治療が行われた。これは鼻から高濃度の酸素を注入し続ける、効果の高い治療法だ。それでも瀬川さんの血中酸素飽和度は1~2日ほど治療を続けても86%までしか戻らなかった。
そして翌日、医師から「死ぬ可能性」の宣告を受けたのだ。
「入院から3日目、初めて担当医と対面したときです。会話のなかで『僕、良くなりますよね?』と聞いたのですが、ハッキリと『もしかしたら助からないかもしれません。死ぬかもしれないところまで悪いです』と言われたんです。しかも、けっこうサラリと。僕はそれを聞いてもすぐに理解ができずに『は……、死ぬ……?』としか言えませんでした」
「すでに家族にも連絡ずみのようでした。寝耳に水、という感じです。実際、自分の体調的に、死ぬなんて考えられませんでした。入院してから体調はそこまで辛くもなかったし、ネーザイルハイフローしているから呼吸だってできているし……、とむしろ安心していたんです」
死にそうな厳しい状況でも、本人はその実感が全然ない。これがハッピー・ハイポキシアの症状なのかもしれない。
「しかしその後、自分の肺のレントゲン写真を見せられて愕然としました。全体が真っ白で、1/4しか肺が機能していなかったんです。自力では酸素をまったく取り込めていなかった事実に衝撃を受けました」
この頃、瀬川さんは自分のレントゲンを手持ちのスマホで撮影し、データを記録していた。
「実は、僕の父親は愛知で呼吸器内科の医師をしていました。東京と愛知で離れていますが、現在の自分の状況を伝えるために、まめにレントゲンの写真は送っていたんです。これは後から聞いた話なのですが、僕から届いたレントゲン写真を見て、父親は『もう助からないだろう』と覚悟を決めていたそうなんです。本当に驚きました」
8月12日、入院した当日に撮った肺のレントゲン写真(写真:取材者提供)
あまりの苦しさに「ネーザイルハイフロー」を外す人も
「ネーザイルハイフローはすごく苦しくて。その苦しさのあまり、同室にいる6名中3名は自分の手で外していましたね。苦しすぎて夜も寝られないし、寝られたとしても30分くらい。時間が非常に遅く感じ『まだ1日が経過していないのか』と絶望していました。食事も運ばれてきましたが、全然食べられない。でも体力をつけないと治療に差し支えが出るため、味がわからない状態で無理やり口にして……。人生で一番長い日を過ごしているような感覚でした」
8月12日から18日の間で、何とか「命の危機」の峠を越えた。
体温も36度台にまで下がってきた。しかし睡眠はつねに30分から1時間で目が覚め、また少し寝る、を繰り返す。咳は出始めたら止まらないのは変わらなかった。
8月20日、呼吸療法がネーザイルハイフローから通常の鼻カニューレ(酸素供給の医療器具)に切り替わった。その2日後には、18日ぶりのシャワーが許可された。
8月24日に最後のレントゲンを撮り、間もなく退院の日が決定。定期健診はその1カ月後とのことだった。担当医には「自宅療養で問題なし、出歩きもOK。むしろ入院してじっとしていたので、身体をならすために動いてください」と言われていた。
退院日の夜に再入院、セカンドオピニオンで県外病院へ
8月26日、午前中に退院。病院で「身体を動かしてください」と言われた瀬川さんは、病院を出たあと、お弁当や飲み物などを購入して歩き、帰宅。その日の夕飯時に身体に異変を感じた。
「あの、コロナ感染の初期のような、熱が上がる感覚を覚えて、すごく焦りました。検温すると、38.2度。マズいと思って、入院していた病院にすぐに連絡しました。コロナ患者用のベッドは満床でしたが、一般病棟のベッドは空いていた。もうコロナをうつすような感染力はないようだったので、再入院できることになったんです。とにかく自宅では危険と考えていたので『入院させてください』とどうにかお願いしました」
8月26日、夜11時に再入院。退院前より肺炎の症状が悪くなっていて、医師からは「治りきっていない肺炎が再燃した」と説明があった。
しかし、これは奇妙な話だ。退院直前の検査で、なぜ「治りきっていない肺炎」に気づかなかったのだろうか。そんな疑念が残る。
再入院での治療は治療薬の点滴をしながら安静にし、一定時間だけ酸素を吸う、というものだった。瀬川さんは退院後を考え、家はカビだらけで環境が悪かったため、一度愛知の実家に帰ることを選択した。
「入院中に家族と話し合い、セカンドオピニオンとして、愛知の病院に転院することを決めました。紹介状を書いてもらって、退院日にそのまま東京から愛知へ入り、入院することになったんです」
9月2日の午前中、二度目の退院。その足で愛知へと出発をした。
東京では「医療逼迫」のニュースが毎日流れている状況。そんな中、瀬川さんは二度の入院を経て、肺炎のセカンドオピニオンとして他県の病院に転院。「ひたすら、運の良さに感謝している」状況だった。
東京の医療崩壊をうかがい知ったのは、転院先で撮った肺のレントゲン写真だった。
「肺炎治療専門の先生が僕のレントゲン写真を見たとき、第一声が『東京はこの症状で退院させるの? 通常ではありえない』でした。東京では多くの命を助けるために、できるだけベッドを空けなければならない状況だったと思います。しかし、この状態での退院は、すでに『医療崩壊が起きている』と判断される状況だったようです」
右・8月24日、東京1回目の入院で、退院2日前、左・9月2日、愛知県の病院で撮ったレントゲン写真(写真:取材者提供)
「当初、転院先の病院では1日から2日の入院で終わる予定でした。しかし僕のレントゲン写真を確認した先生から、『退院するレベルではなく、1~2週間入院の必要がある』と説明を受けました」
入院は1週間ほどだった。味覚や嗅覚障害は継続していて、食べるものは味がしない。しかし、ゼリーやすまし汁は風味を感じやすかった。入院3日目に、コンビニで買った「キレートレモン(クエン酸入り)」のゼリー飲料は、コロナにかかってからはじめて味を感じた。約1カ月ぶりのことだった。
治療にはステロイドの強めの薬が投与され、9月2日から6日でかなり良くなった。本来2週間の入院だったが、通院でも大丈夫だと診断され、9月7日に退院できた。
左・9月2日、愛知のセカンドオピニオン病院の入院時、右・9月6日、同病院の退院時 (写真:取材者提供)
周りの人のおかげで生かされているとわかった
「僕の命が助かったのは、運と、周りの人の助言が大きかったです。最初に熱が出たとき、『東京都発熱相談センターに電話するのが確実だよ』と教えてくれた人がいました。検査で陽性になり、宿泊療養施設のホテルへ向かうと、ホテル内の酸素の検査で血中酸素飽和度が『72%』と出て、その日にうちに入院。数日であっという間に容態が悪くなったので、自宅でただ寝ているだけだったら、命を落としていたと思います」
画像をクリックすると、長期戦の様相を呈してきたコロナ禍の今を追う記事一覧にジャンプします
「助けてくれた医療従事者の皆さんには本当に感謝しています。ただ、東京のコロナ治療の病院では、コロナウイルスを退治することはできても、肺炎のまま退院させられる状況だった。これは仕方ないと思います。だから、今後コロナで重症化した人は、肺炎を治療するためのセカンドオピニオン病院を見つけることが大事なのではないか……。自分の経験から、強く、そう思いました」
8月下旬以降、東京のコロナ新規感染者数は日増しに減っている。しかし次の第6波が到来する可能性はあり、油断はできない。コロナはつねに「命の危険と隣り合わせになりうる感染症」と認識して「万が一」を考えて行動しなければならない。
斉藤 カオリ : 女子ライフジャーナリスト、コラムニスト
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1年で14キロの減量に成功、脂肪肝も改善した医師・水野雅登氏が、最新医学知識と自身の体験をもとに1年で14キロ痩せた医師が教える 医学的に内臓脂肪を落とす方法』を上梓。さまざまな病気や不快症状の温床にもなる内臓脂肪を効率的に落としつつ、同時に糖尿病や高血圧の改善も期待できる方法をわかりやすく紹介する同書から、そのエッセンスを特別公開する──。
※本稿は水野雅登『1年で14キロ痩せた医師が教える 医学的に内臓脂肪を落とす方法』(エクスナレッジ)の一部を再編集したものです。
多少の運動では全然足りない現実
健康診断などで「体重を落としましょう」と患者さんに言うと、すぐに「運動します!」とか「運動してなくて……」といった返事が返ってきます。
しかし、私は運動のみで体重を落とすことはお勧めしません。有効性という点でも、運動のみで体重を落とすのは至難の業。マラソン選手のように毎日、ものすごい距離を走るようなハードな運動を続けない限り、体重を落とすことは不可能だと言っておきましょう。
とはいえ、日本人もひと昔前の明治時代までは、かなりの運動量でした。
当然ながら、コンロをひねれば加熱調理ができる……ということはなく、薪まきを割ったり、火にくべたり。水が必要なときは井戸で汲み、掃除は掃除機ではなくほうきやぞうきん、洗濯は洗濯機ではなくタライと洗濯板を使うなど、体を常に動かす必要が、現代と比べられないほど多くあったわけです。
電車や自動車や自転車も普及しておらず、移動はもっぱら徒歩でしたし、仕事も座ってデスクワーク、なんていうことも一部の人を除いてはありませんでした。
現代日本人からすれば、考えられないくらいの運動量が、必然的に毎日毎日、絶えることなく続いていたのです。
有酸素運動でかえって筋肉が減る?
ウォーキングや水泳などの有酸素運動が体に良いかどうか? といえば、もちろん有酸素運動は体に良い影響があります。健康面だけに限らず、精神的にもメリットがあります。たった5分のウォーキングでも心の健康が増す、といった報告もあります。
ただし、「優先順位」が重要です。なぜなら、「いわゆる有酸素運動を長時間する」ことにはデメリットもあるからです。タンパク質などの栄養を摂取せずに長時間の運動をすることで、筋肉が減る場合があるのです。
タンパク質不足を放置したまま運動すると、体は体内のタンパク質、つまり、筋肉を削ってエネルギーを産生するしくみ「糖新生」を発動します。もう少し詳しく言うと、絶食中の運動では、体内の糖の蓄えが尽きると、脂質の代謝が始まります。しかし、運動量が多かったり、持続していたりすると、今度はタンパク質を糖質に変換することが始まります。これが「糖新生」です。
結果、筋肉を育てるどころか、かえって筋肉を減らしてしまい、さらに太りやすい体をつくることになってしまいます。
タンパク質不足だと運動で太りやすい体に…
私は方々で指摘しているのですが、ほとんどの日本人がタンパク質の摂取量が不十分です。食べたタンパク質がある分には、その食べたタンパク質を利用してエネルギーへと変換されますが、それが尽きると、今度は体を構成するタンパク質(筋肉など)を使い始めてしまいます。
このため、日本人の多くは、絶食状態で長時間の有酸素運動を行うと、筋肉を分解して、糖(エネルギー)に変換する糖新生が始まってしまうリスクがあります。これが、有酸素運動のデメリットです。
筋肉が減ること自体が健康的ではありませんし、基礎代謝も下がってしまいます。安静にしているだけで使っていたエネルギーも、筋肉が減ることで減少してしまうのです。
つまり、無理に有酸素運動を長時間すると、筋肉が減って基礎代謝が下がり、かえって太りやすい体ができ上がってしまいます。
脂肪が燃える体を作るには「筋トレ」
では、脂肪燃焼しやすい体を作るためには、どんな運動が効果的なのかというと、タンパク質を十分にとったうえで、筋肉トレーニング(筋トレ)をすることです。
筋肉を増やせば、基礎代謝も増え、さらにその他の運動時にもエネルギー消費量が増えて、痩せやすい体となります。
筋トレはジムに通ったり、トレーナーについたりするのが最も有効ですが、さまざまな事情でそれが難しい場合には、自分の体の重さを使った「自重トレーニング」や、ゴムのチューブや腹筋ローラーなど市販の器具を使った筋トレもおすすめです。
また、脚やおしりなど、エネルギー消費量が大きい筋肉を鍛えるのも、代謝アップには有効です。そういう点では、スクワットがよくおすすめされています。
いずれの方法も、間違ったやり方で行うと体を痛めてしまうので、正しいやり方をよく調べてから行ってください。
有酸素運動はあくまで「補助的手段」
なお、有酸素運動がまったくおすすめできないかといえば、そうではありません。
有酸素運動は、たった5分でも集中力が増したり、ストレスが減ったりといったメンタルに望ましい効果が得られます。そして、20~30分の運動をすると、ストレスがかかったときに分泌されるストレスホルモン「コルチゾール」の分泌量が少なくて済むようになる、ということもわかってきています。
コルチゾールは、副腎という腎臓の上にある小さな脂肪の塊かたまりにように見える臓器から分泌されています。コルチゾールは、私たちの体を「ストレスに対応できるように」してくれるホルモンです。
しかし、人類の長い進化の過程のなかで、このホルモンが必要になるのは、近代までは緊急事態の折のほんの短時間のことでした。猛獣から逃げる1時間だけ、コルチゾールを分泌すればよかったのです。
ところが、現在は「ストレス社会」などといわれるように、持続的にストレスがかかるため、コルチゾールが長時間分泌され続けるようになりました。人類の体は、コルチゾールの長時間分泌にさらされ続けることに適応していないのにもかかわらず、です。
そのため何が起きるかというと、脳の理性や記憶を司る「前頭前皮質」や「海馬かいば」の萎縮いしゅくです。脳細胞が通常よりも早く死んでいき、しかも増えにくくなります。最初は「短期記憶」から低下していきます。実際、ストレスがかかり続けると、ちょっとしたことが覚えづらくなります。
それだけに留まらず、コルチゾールは過食の引き金になったり、「中心性肥満」というものを引き起こしたりすることもわかっています。
中心性肥満とは、おなか周りが出てくる肥満で、本書のメインテーマである、内臓脂肪が多いタイプのことです。
有酸素運動は、このコルチゾールの分泌量を減らしてくれます。このため、ストレスは減り、脳の萎縮も抑えられ、過食が抑えられて、脂肪が燃えやすくなります。つまり、運動のみで体重を減らすのは困難ですが、運動は体重を減らす助けにはなってくれるというわけです。
ただし、BMI30以上の場合には、いきなり走ったりすると膝や腰などの関節が負荷に耐えられないかもしれません。その場合は、ウォーキングやサイクリング、水中ウォーキングなど、関節への負荷が少ないものにしておきましょう。
「筋トレの後に有酸素運動」でエネルギー消費を爆上げ
「筋トレ+有酸素運動」という合わせ技にすることで、さらにエネルギー消費量を上げることも可能です。筋トレの後に有酸素運動をするのが、最も効果的に体脂肪を減らすことができるからです。
筋トレで事前に筋肉内に蓄えられている糖質(筋肉グリコーゲン)を使っておけば、すぐに脂質代謝や糖新生に代謝を切り替えることができます。
糖新生では、エネルギーを使って、タンパク質を糖質に変換するので、さらにエネルギー消費量が増えます。
運動前のタンパク質対策を忘れずに
ただし、筋肉が分解されないように、運動前にタンパク質をとっておく対策は必要です。
ホエイプロテインを事前にとったり、タンパク質よりも吸収の早いアミノ酸を運動中にとったりすることで、筋肉を分解することなく体脂肪を燃やすことができます。
水野雅登『1年で14キロ瘦せた医師が教える 医学的に内臓脂肪を落とす方法』(エクスナレッジ)
なお、運動中にタンパク質をとっても、消化・吸収が間に合いません。このため、ホエイプロテイン・肉・卵は、運動前にとっておきましょう。アミノ酸の場合は、消化が必要なく、そのまま吸収できるので、運動中に摂取しても間に合います。
最近では必須アミノ酸を含んでいる味の良い製品が色々と発売されていますので、運動の際には利用するとよいでしょう。ただし、必須アミノ酸だけを大量に摂取すると、必須ではないアミノ酸が逆に不足したり、他の栄養素も不足してしまうので、避けましょう。
ホエイプロテインや肉・卵を十分にとったうえで、必須アミノ酸の製品をとる必要があります。
体重計を捨て、全身鏡で体型チェック
内臓脂肪を減らすために運動は必要不可欠ではありませんが、女性に多い皮下脂肪を減らすためには必須です。もっといえば、運動なくして皮下脂肪は減らせません。
なお、これは比較的多くの方が知っていることと思いますが、体脂肪よりも筋肉のほうが、重さがあります。このため、筋トレをする場合には、体重自体はあまり目安にならなくなります。
今はご家庭の体重計で「体脂肪率」などが表示されるものも多くありますが、ごく簡易的なため、実際の体脂肪の量とは異なる場合が多くあります。
筋トレをする場合には体重だけをチェックすることはやめて、簡易的には全身鏡などで、日々体型をチェックすると良いでしょう。
水野 雅登(みずの・まさと)
医師
日本糖質制限医療推進協会提携医。両親ともに糖尿病家系だった自らの体の劇的な変化をきっかけに、糖質制限を中心とした治療を開始。97単位に及ぶインスリンの自己注射を不要とするなど、2型糖尿病患者の脱インスリン率100%という実績を打ち出す。
下記の記事は文春オンラインからの借用(コピー)です。
2015年9月30日。僕と亮介君は、カップルから家族になった。僕らは自分たちを夫夫(ふうふ)と呼んでいる。
江戸川区役所に婚姻届を提出した同日、僕らは『パートナーシップ契約公正証書』というものを公証役場で作成した。
公正証書とは、公証役場で公証人が作成する公的な書類のことで、僕たちは貞操義務など、男女が婚姻すると発生する義務や権利を、夫夫間で契約している(詳しくは、「Juerias LGBT Wedding」で検索してほしい)。七崎良輔さん
そのときはまだ、渋谷区のパートナーシップ条例が施行される前だったこともあるのだが、僕たちは、多くの公証役場から、パートナーシップ契約公正証書の作成を断られてしまった。
理由としては「男女ではない、同性間の契約は、公序良俗に反する恐れがある」とか、「そんなの聞いたことない」とか、あからさまに嫌な顔をされて、突き返されてしまうのがほとんどだった。心をズタズタにされて帰ってきたことが何度あったことか。
僕と亮介君は、契約を、公正証書にするのを諦め、二人だけの契約書を作成した。
それから数日のうちに、たまたま、いいご縁をいただき、僕らのような人間に寛容な公証人を友人の弁護士さんから紹介して頂けることになり、婚姻届を提出した当日に、無事、公正証書を作ることができた。
「愛があればいいじゃないか」はあまりにも無責任
そもそも、なぜ公正証書が必要なのかというと、僕らのような同性カップルは、何年一緒に暮らしていようと、どんなに愛し合っていようが、この日本社会では全くの他人なのだ。よく、「愛があればいいじゃないか」とか「男女でも紙キレに縛られない内縁の夫婦もいるしね」とか言われることがあるが、僕はそうは思っていない。
愛があるなら、なおさら、相手のためにも、自分のためにも「婚姻制度」は必要だし、婚姻届が不受理で返って来てしまうこの時代には、やはり公正証書が必要なんじゃないかと僕は思うのだ。
この社会がユートピアのような世界であれば、愛だけあれば最高で、愛が全てなのかもしれない。でもこの社会のシステムは全てがそうできていないじゃないか。
これまで同性カップルの方々が、何十年も連れ添ったパートナーの死に目にも会えず、葬儀にも出席できなかったような例がいくつもある中で、「愛があればいいじゃないか」という言葉はあまりにも無責任なのではないだろうか。
それに男女であれば、いくつかの簡単な項目を満たせば内縁の関係と認められるが、同性カップルにはそれすら認められていないのが現状だ。実際に、亮介君との戸籍上の関係を事実婚の世帯変更届のように「夫(未届)」としてもらえないか相談をしてみたが、婚姻届を提出し、受理される間柄にしかそれは使えないと言われてしまった。
そんなことを挙げるとキリがないし、文句ばかり書きたくないからこの辺にしておくが、婚姻制度は必要だし、それが叶わない現状では公正証書で、パートナーとの契約をしっかり結ぶことはかなり重要なことだ。パートナーシップ制度がない自治体に住んでいるのならなおさらだ。
厳しかった父は、息子がゲイであることを知って……
その公正証書で、僕と亮介君は、お互いの医療やお金に関することも盛り込んでいる。たとえば、僕が事故や病で意思表示ができなくなった時、手術や延命の判断を亮介君に託すといった内容などだ。
これは、さすがに、両親にも話しておかなくてはいけないと思った。なぜなら、もし亮介君の判断で僕が手術を受けて、失敗して死んだりしたら、僕の両親は亮介君を恨んだり、訴えたりすることになるかもしれない。
母にカミングアウトをした時には、「もうその話はしないでくれ」と言われてしまい、以降それを守ってきたが、もうそれも終わりだと思った。
母に電話で事情を説明すると母は言った。
「そこまでキチンと考えているなら、わかった! お父さんにも私から話すわ。こうなったらこれ以上、お父さんにだけ隠しておく訳にはいかないわね!」
それから数日、僕も気が気ではなかった。お父さんがお母さんに「お前の育て方が悪いからだ!」とか言っちゃって、喧嘩になっているかもしれない。だが、母からかかってきた電話の声は妙に落ち着いていた。
「お父さんに言ったよ。すごく緊張したわ。カミングアウトってこんな気分なのね」
「で、お父さんはなんて言ってた?」
「それがさ、『あいつ、男が好きなのか! やっぱり変わってるな。ハハハ』って、笑ったの」
「え、噓でしょ?」
「ほんと。びっくり」
父は歳をとって丸くなったのだろうか。
周りの心配をよそに、父はなんのダメージも受けなかったようだ。息子がゲイであることを、母は受け入れるのに七年以上かかり、父は一瞬で笑い飛ばした。父が母に比べて僕への愛情が少ないわけではないと思う。これは本当に、性格の違いというか、受け入れ方の違いでしかない。
周りのゲイの人を見ていても、自分がゲイだということを幼い頃にすんなり受け入れることのできた人もいれば、拓馬や弘樹のように受け入れるのに苦労する人もいるのだから、親にも同じことが言えるのだと思う。
父が意外にも寛容であったことで、早速僕は亮介君と北海道へ行き、両親に亮介君を紹介した。亮介君は終始緊張していたが、両親は逆に亮介君という真面目そうな青年を見て、安心したようだった。
誰かに石を投げられたりしないか心配だった
結婚式はそれから1年後の2016年10月10日の体育の日に「築地本願寺」という由緒ある寺院で執り行われた。
築地本願寺(浄土真宗本願寺派)が、宗派で男性同士の式を認めたのは歴史上初のことだった。ただ、結婚が法律で認められていないことを理由に、表向きは『仏前結婚式』という言葉ではなく『パートナーシップ仏前奉告式』という名目ではあったが、中身は男女の結婚式と変わらなかった。
僕ら夫夫が男同士で、歴史ある由緒正しい大きなお寺で式を挙げることを、快く思わなかった人も多くいるだろうと思う。どんな組織の中にも「保守派」と「革新派」が混在しているのだから、何かを変えることは容易くはないのだ。時間は要したが、築地本願寺で式を挙げられたことを本当に幸せに思う。
どうしてもお寺で式を挙げたかった理由は、僕は長男として生まれ、妹しかいないから。七崎家が僕の代で途絶えることになると思うと、少しだけご先祖様に対して、忍びない気持ちがあったからだ。おじいちゃんおばあちゃんにはカミングアウトをできないまま他界してしまった。だから僕にとって仏前式をすることは、おじいちゃんおばあちゃんやご先祖様にカミングアウトをすることであり、亮介君との結婚を奉告する場ともなったのだ。奉告した後は今までにないほど清々しい気持ちになった。
築地本願寺での挙式は一般の参拝客も近くで挙式を見学することができる。僕は自分たちの式が始まるまで、式中に、誰かに石を投げられたりするのではないかと心配していた。だが実際のところ、石を投げつけられるどころか、一般参拝客や海外からの観光客までもが、僕ら夫夫を祝福してくれたのだった(もちろん僕ら新郎・新夫を見て、目をまん丸くする人も多くいたが、それはそれで面白かった)。
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「皇室っていうのはね、みんなで守る文化財のようなものなんです。時代とともに、変わることも変わらないことも、すべてのみこんで守っていかなくては」
そう語るのは、皇室ジャーナリストで、文化女子大学客員教授の渡邊みどりさんだ。
「眞子さま、ついにご結婚なさるのね。よろしいじゃありませんか。好きあった若い人が家庭を持ってともに生きていく決意をなさった。お相手がどうだとか、あれこれ言われていますけれども、私は若いふたりを祝福します。それより心配なのは紀子さまです」
雅子さまバッシングのなか、紀子さま最高!と称賛した人々は
眞子さまの結婚だけでなく、秋篠宮家にはなにかと注目が集まっている。その重圧を一身にひきうけている紀子さまのことが心配なのだという。
待望の長男・悠仁さまを授かった15年前、日本中が「紀子さますばらしい!」と湧いた。対して、そのころ公務をセーブしていた雅子さまに対するバッシングは凄まじかった。
ふたりを比較して紀子さまをもてはやし、秋篠宮家のプリンセスたちをアイドルのように賞賛した数年間が、たしかにあった。
「あのころはね、みんな紀子さま紀子さまって…。今、紀子さまはほんとうにおつらい立場にいらして。秋篠宮さまは酒量が増えて、ご機嫌がよろしくない、侍従たちに声を荒げることもあるなどの報道は、近くにいる者が発信していますでしょ。周りに味方もなく、この苦境に立たされてるのは、ほんとうにお気の毒でなりません」
悠仁さま「15の春」を迎えて
今月15歳の誕生日を迎えた悠仁さまは、目下「反抗期」とも伝えられる。が、「15歳の反抗期」は、まあ普通のことでもある。幼稚園から通うお茶の水女子大附属には、共学の高校がないため、高校受験の試練も待ち構えている。お隣にある筑波大附属に進学では、という声もあるが、両校関係者は疑問を隠さない。
「お茶の水附属と筑波大附属との『提携校進学制度』は、けっこうハードルが高いんです。昨年度の利用者は、どちらも成績優秀な生徒。無試験といっても、だれでも利用できるわけではないんです」(お茶の水大附属関係者)
「昨年度、筑附からお茶に行ったのは、『お茶の水女子大でやりたい研究がある』という、かなり意識の高い女子生徒でした。お茶には、少数ですが内部推薦枠がありますから。今年度の提携利用選考はこれからです。進路指導の面談が始まり、11月には出願、12月決定というスケジュールです」(筑波大附属保護者)
悠仁さまが在籍するお茶の水附属でも、進路指導の面談が始まっているという。悠仁さまの進学先としては、皇族を多く受け入れてきた私学・学習院や、紀子さまの弟・川嶋舟氏が教授を務める東京農大の附属高校の名前も上がっている。
「紀子さまは、今、ご実家の問題もあって…。学習院大学の名誉教授を務めるお父様はご健在とはいえ81歳というご高齢です。ここに、弟の舟さんが、お嬢さんを連れて帰っていらした。紀子さまにとって姪にあたる10代のお嬢さんのお世話は、ご両親がなさっているようです。娘として、高齢のご両親を支えたいお気持ちがあってもままならない、皇室に嫁ぐということは、ほんとうに覚悟のいることなんですね」(渡邊さん)1990年6月29日、結婚の儀当日の朝、迎えの車で、東京・目白の「学習院教職員用の共同住宅」を後にされる紀子さま。左後方は手を振って見送る父親の川嶋辰彦さんと母・和代さん、弟の舟さん
紀子さまの心痛は、想像に余りある。受験を控えた反抗期の息子、愛だけを信じて結婚に突き進む娘、冷ややかに距離を置く夫。世間では「あるある」な状況とも言えるが、それが逐一さらされ、インターネットには無責任なコメントが怒涛のように押し寄せる。人として耐え切れるレベルを超えている。
「紀子さまが、心配です。どうか乗り切っていただきたい。かつて紀子さまに賞賛を送った方々が今いちど、冷静に自他の区別をつけ、皇室を見守る気持ちになるといいなと思います」
皇后・美智子さまのご成婚から、長年皇室を取材し続けたベテランジャーナリストの思いは届くだろうか。
下記の記事はNEWSポストセブンオンラインからの借用(コピー)です。
秋篠宮家の長女・眞子さまとの婚約が内定している小室圭さん。帰国直前にテレビ局の直撃取材を受けた際、そして帰国した際の映像で多くの人の度肝を抜いたのは、テレビカメラに捉えられた小室さんの変貌ぶりだろう。長髪をポニーテールにしておでこ全開、鋭角に上がっていた眉も平行に整えられていた。
宮内庁関係者は、「小室さんの様子は、当然、皇族方もご覧になっています。職員の間では、”あんな髪型が続くのであれば、美智子さまは心を痛められてしまうのでは”と心配する声もありました」と語る。
美智子さまのその心情を、別の宮内庁関係者はこう語る。
「小室さんはこれまで、ご自身もかかわりが疑われる金銭トラブルを解決することも秋篠宮さまへの十分な説明もないまま渡米したり、婚約内定前のこととはいえ、上品さに欠ける写真が流出したり、いじめ疑惑が持たれたりと、皇室に求められる立ち位置とは大きく乖離していました。
今回のロン毛についても同様です。アメリカは自由、髪型も自由というのはひとつの真理です。しかし、皇室という歴史と伝統を重んじる立場からは、 “身だしなみを整える”という意識の欠如に見えるのもまた真理。上皇后さまもそうした面は悲しまれるでしょう」
しかし、一部では「男前になった、格好良い」「流行に乗っているだけだ」という声も上がっている。
キャスターの木村太郎氏が9月26日、「Mr.サンデー」(フジテレビ系)に出演。「ニューヨークで流行っている最先端の髪形」と説明したうえで、「床屋さんがしまっちゃったんですね。それをいいことに、これまで長い髪をやりたいなと思っていた人が、それを口実に伸ばし始めたんです。床屋さんが開いたのに、来る人がいまだに6、7割で、長い髪でいたいと。それも弁護士とか銀行家とかそういう人が多いんです」さらには、「みんな『ブラッド・ピットみたいな髪形にしてくれ』って言うんです。ブラッド・ピットがアカデミー賞の授賞式でしていたんですね。だから最先端の髪の毛なんです」と続けるのだ。
旧皇族の竹田家出身の作家・竹田恒泰さんも自身のツイッターで「いまNYでは、メンズのポニテが流行している」「KKはNYスタイルを日本でアピールしようとしているのかもしれない」と語っている。
はたして、小室さんのロン毛姿は流行の最先端なのだろうか。ニューヨークで活躍する人気美容師Aさんに取材をしてみた。すると早速、「ヘアスタイルについてですが結論から言いますとニューヨークでは男性の、小室さんのようなロングヘアは流行ってはいないです」と切り捨てられてしまった。
さらにAさんは、「ただ、多民族が暮らすニューヨークでは、そもそも流行りなどはなく、髪型だけでなく、服装や体型などそれぞれの個性として自由度が広いと思います」と解説。
そのうえで、「髪を結んだ際の襟足部分を見ても手入れはしていないように見受けられますが、この長さや前髪を少し垂らしている感じを見ても、オシャレとしてやっていると思いますよ。私だったら清潔感のある短髪の髪型を提案しますが、ご自身の意向が尊重されるのがニューヨークですからね……」と分析した。
自由の国アメリカで手に入れた髪型は、歴史と伝統を重んじる皇室から受け入れられるのだろうか。