下記の記事は婦人公論Webからの借用(コピー)です
富山にひとりで暮らす母・須美子さんの遠距離介護をしている柴田理恵さん。4年前、須美子さんは要介護4と認定されたものの、自宅でのひとり暮らしを熱望し、リハビリやさまざまな準備を経て実現、要介護1にまで回復した。柴田さんが母の自立のために工夫したことや、気づいたことを聞いた(構成=篠藤ゆり 写真提供=日テレ7)
「延命治療はしません」と答えた
母はもうすぐ92歳。2016年に父が亡くなった後、富山の自分の家でひとり暮らしを続けています。
じつは4年前に一度、命が危ないかも、と覚悟を決めたことがありました。2017年の10月、高熱が出て具合が悪いと母から電話があったので、地元で暮らしている従弟に連絡して、病院に連れていってもらいました。腎臓の数値が悪く、腎盂炎と診断されてそのまま入院することになったのです。
急いで富山に駆けつけましたが、母は「あ~、あ~」と言うだけで会話にならないし、私のことも誰だかわからない様子で。これは熱のせいなのか、それとも、病気やケガをきっかけに進む高齢者特有の認知症なのかわからず、心配でした。
医師からは、「もし何かあった場合は延命治療をしますか」などと、終末医療についての確認もされました。母は元気なときから、「鼻からチューブを突っ込まれて、体じゅうに管をつながれてまで生きたくない」と、ずっと繰り返し言っていたので、「延命治療はしません」と答えました。
1週間後、病院に行くと、「あぁ、理恵か」といつも通りの母に戻っていたので、ほっと一安心。「お母さん、お正月は家に帰りたかろう?」と聞くと、「帰りたい」と即答。「ほかに何をしたい? お酒は飲みたい?」と尋ねたところ、「飲みたい」と(笑)。「じゃあ、先生がオッケーしたら歩く練習をしよう」と励まして。発奮した母は、「お正月に自宅に帰ってお酒を飲む」を目標に、リハビリをがんばりました。
「やっぱり、家で暮らしたい」としみじみ
ところが12月初旬、夜中にトイレに行こうとして転んで、腰椎を圧迫骨折してしまったのです。しかも、夜中なので看護師さんを呼ぶのを遠慮したらしく、私が翌朝行ったときに発覚。母は、骨折の痛みのことよりも、「せっかくリハビリをがんばったのに、お正月までもう1ヵ月しかない」としょげていました。
そこで、「いまは骨折を治すのを最優先して2週間は安静にしようね。そのあとリハビリすれば、間に合うよ」と励ましました。すると、母から返ってきた言葉は、「でも、そんなに寝ていたら、歩けんようになる……」。とにかく歩けるようになって自宅に戻りたいという強い意志が見えました。
母は、有言実行の人。幸い希望通り、年末年始に一時退院して家に戻れることに。2018年のお正月、おせちに母が好きな富山のお酒を用意したら、「あぁ~、おいしい。お酒が飲めてよかったわぁ」。そして、「やっぱり、家で暮らしたい」としみじみ言うのです。
正月明けに、ふたたび病院に戻り、すぐ退院できることになりましたが、まだ大雪が続く時期。母ひとり一軒家の自宅に戻るのは危ないと考え、春まで病院の隣にある系列施設で過ごしてもらいました。
実家を片づけ、手すりを増やして準備
入院した当初、ちょうど要介護認定があり、母は要介護4に。ひとり暮らしに戻るのは無理なのでは、という意見もありました。
私が若い頃、帰省するのは数年に一度。父が亡くなってからは、年に1回は帰省して母の様子を見てきましたが、要介護4となると、母を東京に引き取ったほうがいいのかな、という考えが頭をよぎりました。でも、母を見ていて、そんな気は一切ないはずだと思い直したのです。
母は長年、小学校の教師を務め、退職後は茶道との先生をしていました。保育園や小学校でお茶の作法を教えるなど、子どもたちに日本の文化を伝えることは母の生きがいになっていた。施設にいる間も、「早く家に戻って、お茶のお稽古を再開したい」と言っていましたよ。
目標があるからこそ、リハビリもがんばることができたのでしょう。そんな母の生きがいを無視して見知らぬ土地に連れていったら、孤独になり苦しませてしまうかもしれない。あるとき母に希望を聞いたら、「地元でいい」と。
そこで、施設から帰ってくる母が安全に暮らせるよう、まず実家の片づけから始めました。食器もよく使うものをまとめてコンパクトに収納。もともと家の中に手すりはありましたが、介護保険を利用して手すりを増やし、介護ベッドをレンタルするなどの準備もしました。
ケアマネジャーさんとも相談して、デイサービスは週2回、それ以外の日はヘルパーさんや看護師さんなど、毎日誰かが訪問するように手配。ひとり暮らしとはいえ、介護保険のおかげで、日々誰かしらに見守ってもらうようにできました。
日課は炊事と洗濯。「要介護1」まで回復
最近の母は、ご飯を炊くのと味噌汁を作るのは自分でしています。食事に関しては、当初週に4回くらい配食サービスをお願いしていたのですが、「飽きる」と言って自分で電話してキャンセルしてしまいました。
食べたいものを食べたいという気持ちも元気の秘訣でしょうね。母は、ヘルパーさんに同行してもらってスーパーで買い物をし、自分が食べたいおかずをヘルパーさんに作ってもらっています。味にはうるさくて、最初、インスタント味噌汁が簡単だよとすすめたときは口に合わず抵抗があったようですが、おいしそうなものを選んだら「うん、これならいい」と、無事合格。
もともと母自身、仕事が忙しかったこともあって「使えるものは親でも使う」主義(笑)。昔、祖父にも「おじいちゃん、私が出かけている間に、布団干しておいて」などと指示していました。
でもそれは、自分がラクをしたいからだけではなかった。というのも祖父がちょっと認知症になり始めた頃、母は「ボケ始めたから、仕事をさせたほうがいい」と。やるべき役目があり、頭も使って忙しくしていると症状が進まないという確信があったようです。だから「おじいちゃん、庭を掃いとかれよ」とか、簡単な家事を探してはいろいろ頼んでいました。
もともとそういう考えのある母ですから、衰えないためにはなんでも自分でやったほうがいいと思っているのでしょう。洗濯物を干したり取り込んだりするのは、足元が危ないからやめてほしいのに、「自分でやる」と言い張る。まぁ、止めても聞くような人ではないので(笑)、任せるしかありませんでした。
そうこうしているうちに、なんと要介護1にまで回復。いやぁ、母の自立心の強さには脱帽します。
母は、子どもたちにお茶を教えるのは90歳を境に卒業しましたが、謡は楽しんでいます。以前は稽古のついでにお仲間とのおしゃべりを楽しんでいたようですが、いまはコロナの影響で集まるのは中止。でも稽古しないと謡曲をどんどん忘れてしまうからと、週1日は「謡の日」と決めて、ひとりで練習しているようです。
高齢ひとり暮らしを支えてくれるのは
いまはほぼ毎日、東京から母に電話をしています。私が遠距離介護できるのも、もともと母の近所に住んでいる従弟夫婦のおかげ。また、ケアマネジャーさんやお医者さんなどにサポートしてもらっているからこそできることだと感謝しています。また、ゴミ出しなどもご近所の方に助けられていて、本当にありがたい。地域のつながりに恵まれている面もあると思います。
かつて両親が、地域の新旧住民の交流の場としてバーベキュー大会を提案し、やがて恒例行事になっていました。母は言い出しっぺということで、毎年バーベキュー大会を楽しみにしていた。一昨年はお酒をみんなに注いで回り、自分もさんざん飲んで酔っぱらって。家に帰り、そこで転んで病院送りになったという……(笑)、いやぁ、母らしいです。
残念ながら、高齢期になると、どうしても転倒するリスクが増えてきます。この数年、母も何度か転んで、そのたびに病院に行っています。じつは1ヵ月ほど前にも、腎臓の数値がかんばしくなく入院。退院後、足腰が弱っている母がいきなり家に戻るのはまずかろうと思い、また病院から施設に移ってもらい、足腰の様子を見てからにしました。
その施設には96歳になる母の姉もいるので、「しばらくの間、お姉さんがいるところで過ごして、元気づけてあげてね」と使命を与えました。母はなにかしら役目があると、張り切って元気になります。これは、母が祖父にやってきたことを真似ているだけなんですけどね。「生き方・死に方」を教えてくれている
私は母の性格をよく知っているから、「またお酒が飲めるようにがんばろう」とか「みんなを元気づけてね」とか、母の好きそうなことを言葉にして励まします。私ができる親孝行といえば、そのくらい。コロナの影響で帰省もままなりませんから。
母は社交的なので、病院や施設でも、「同じ町の人たちがいるから楽しいよ」と言います。施設にいたらいたで楽しむ術を持っている。いっぽうで「早く自分の家に帰りたい」と本音もこぼす。いまは、ワクチン接種の予約などを自分でするのは大変だろうから、その手続きや接種が終わるまでは施設にいてもらうつもりです。
今後、母がひとり暮らしに戻っても、またすぐに何か起きて入院することになるかもしれません。いずれ施設のほうが快適になる場合もあるでしょう。でもいまは、その繰り返しでもかまわないと思っています。いずれにせよ、永遠は望めないわけですから、母の好きにさせてあげたい。自分の意に染まない暮らしをするよりは、そのほうが幸せだと思うからです。
そのためには、プロにお願いできることはお願いし、人の手も借りて。その上で、万が一ひとりでいるときに自宅で亡くなったとしても、それはそれで母らしい人生だと覚悟を決めています。
両親の姿を通して、「自分の役目に対する責任感」や「やるべきこと」「趣味」を持つのは大事だなと、つくづく感じています。父も会社員を定年退職してから別会社でしばらく働き、その後、自らシルバー人材センターを立ち上げました。これからはいくつになっても働く時代だと思ったのでしょう。結局、70代後半まで働いた。高齢になっても、何かしら仕事をしたほうがいい。それが生きがいになって自身を支えてくれる。私もそれに倣って仕事をしています。
親というのは子を産んでくれて、生き方を教えてくれて、最後は死に方を教えてくれるのだなと、つくづく思います。そしていま、母は「最期に向かってどう生きていくか」を、身をもって私に示してくれているんでしょうね。
構成: 篠藤ゆり
写真提供:日テレ7・柴田理恵さん
出典=『婦人公論』2021年6月22日号
柴田理恵
女優
1959年富山県生まれ。明治大学文学部卒業後、劇団東京ヴォードヴィルショーを経て、84年、WAHAHA本舗を設立。劇団の中心メンバーとして活躍する。
下記の記事は東洋経済オンラインからの借用(コピー)です。
社会的に孤立している実態があるというシングルファーザー。シングルマザーに比べて少数派であるがゆえに、支援の手も少ない。自治体のひとり親支援の相談や交流の場は、シングルマザーのみを対象としていることも多い。
当記事は弁護士ドットコムニュース(運営:弁護士ドットコム)の提供記事です
そんなシングルファーザーの現状を変えようと活動している団体の1つが、「ひとり親支援協会」だ。同協会は2020年11月、行政による支援拡大などを求めて厚生労働省などに要望書を提出した。
代表理事の今井智洋さんは、行政支援が乏しいことについて、「私たちができているのだから、できないはずはない」と強調する。同協会のメンバー数はコロナ以前に比べ5倍以上に増えるなど、当事者同士の交流や支援を求める声は日に日に増している。
「病気や事故に見舞われる可能性はつねにある。現在シングルファーザーでない方々も決して『ひとごと』ではない」と話す今井さんに、シングルファーザーを含む「ひとり親支援」の実態と課題を聞いた。
たとえ「ひとり親」でなくても
ひとり親を支援する団体の代表を務めている今井さんだが、自身はひとり親の当事者ではない。
「私の祖母が死別のシングルマザーだったんです。父が3歳のときに祖父が亡くなったのですが、小さいときから同居している祖母の話を聞いて育ちました。
死別されたひとり親の方が団体の代表なら死別の方の集まる団体になりがちでしょうし、離婚でも同様です。私たちの団体にはさまざまな事情をもつ方がいます。そういう意味では、ひとり親の当事者でないというのは、自分の強みだと思っています」
自身のコミュニティーにおける立ち位置を、利用者のために陰ながら場を整える「公園の管理人」に例える。
「当事者ではないので、私自身は確たる答えを持っていません。だからこそ、皆さんの声を聞き、それぞれの立場を想像しながら活動しています」
シングルファーザーになる理由には、大きく分けて「死別」と「離婚」があるが、コミュニティー作りにおいてはまったく別物として扱っているという。
「死別された方、離婚された方、それぞれの交流の場所は分けてます。
また、死別の中でも、自死遺族の方や病気や事故で亡くされた方などがいて、抱えている事情はまったく異なります。病気で亡くされた方の中でも、突然亡くなった場合もあれば、長期の闘病後に亡くされた方もいます。
1人ひとりに寄り添い、個々人が抱えているものをうかがって、それぞれが悩みを共有できる場所を作るようにしています」
事情が異なるのはシングルファーザー本人だけではない。子どもの置かれた状況も千差万別だ。
「死別したひとり親の子と離婚したひとり親の子では、メンタルの状況も全然違います。子どものケアも含めて大事ですね。
子どもの笑顔のツボは『親の心の余裕』なんです。親に心の余裕がなければ、自然と険しい顔をしたり、ちょっとしたことで怒ってしまったりするでしょう。親が1人しかいない状況だと、その親がその子どもに与える影響はとても大きいんです。
親が笑顔になると子どもも笑顔になれます。子どもの笑顔のためにも、親の精神的なサポートはとても大事だというのを痛感しますね。
私たちのコミュニティーは、パパもママも子どもたちも大勢いる、1つの大きな家族というふうに捉えています。家庭では『ひとり親』でも、この場所には『たくさんの親』がいるので、お互いがお互いを補っていければいいなと考えています」
ひとり親の支援制度「柔軟な運用を」
シングルファーザーはシングルマザーに比べ、正社員として勤めている人が多く、平均所得も高いことが明らかとなっている(厚生労働省の「平成28年度全国ひとり親世帯等調査」)。
もっとも、自分しか稼ぐ人がいないプレッシャーや、病気で働けなくなった場合などの不安を抱えている点はシングルマザーと同様だ。
遺族年金や児童扶養手当など国の支援制度もあるが、遺族年金には850万円の所得制限があり、さらに遺族厚生年金については、妻が受け取る場合は年齢不問なのに対し、夫が受け取る場合は55歳以上でないと受給権がないという年齢制限がある。
児童扶養手当についても、前年所得で支給の有無を判断するため、タイムリーな支給が行われない現状がある。
「遺族年金については、昨年の国への意見書でも改善要望をお願いしました。所得や年齢で制限することについては、『人の命に差をつけるのか』というレベルの問題だと思います。
たとえ今の所得が高いとしても、それは今まで配偶者のサポートがあったから稼げていた額かもしれないわけです。
現在の遺族年金制度は、死亡時点で支給するか否かを判断され、その際に対象外となると、その後事情が変わって収入が大きく減った場合にあらためて受給できるようにはなっていません。
所得制限をなくすか、年収が下がった際に対応するような制度にする。また、支給の可否判断を亡くなったときの1回限りではなくて、一定期間ごとに行うなど、柔軟な運用ができるようにしてほしいです。
児童扶養手当についても、前年所得で支給するか否かを判断していますが、急に無収入になっても受給できないケースが出てきてしまいます。とくにコロナ禍では大いにありうる話です。
『1年後なら支給できます』では間に合わない人もいるはずです。弾力的な対応が必要なのではないでしょうか」
性に関するリテラシーの向上が大事
「イクメン」という言葉が定着するなど、昨今の父親は家事・育児により積極的とされている。各家庭によって差はあるにせよ、子どもを保育園などへ送り迎えしている男性を見る機会は珍しくない。
しかし、たとえ「イクメン」でもそう簡単にはいかないこともある。今井さんによれば、シングルファーザーが実生活でいちばん悩むのは、娘がいる場合の性教育および生理の対応だという。
「シングルファーザーからの相談だけではありません。私たちの団体には、シングルファーザー世帯で育った娘さんも多く参加していますが、『男親ではどうしようもなかった、聞くわけにもいかなかった』というような娘さんからの声もすごく多いです」
対処法まで精通している男性はかなり限られる。今井さんは、シングルファーザーが生理について学ぶ機会が大切だと話す。
「十分な知識がないと大変ですし、取り返しのつかないことにもなりかねません。そこで私たちは、生理に詳しい団体さんの協力を得て、はじめての生理準備BOX『READY BOX』というものを配布しています。
このBOXには、『生理とは何なのか』『生理になったとき、どう対処すればいいのか』といった内容をまとめた冊子や、実際に使える生理用品、生理用ポーチなどが入っています。
娘さんも初めての生理には戸惑うはずです。性に関するリテラシーの向上は、シングルファーザーにとって重要だと思います」
ひとり親支援協会はそれぞれのグループでの交流を大切にしている。コロナ禍では対面での交流は事実上できなくなったが、LINE上でのグループやZoomを利用したオンラインでの交流は今でも毎週開催しているという。
「コロナの影響で、支援や人とのつながりが物理的にも精神的に孤立されてる方が多いと思います。
私たちの団体でも、コロナ禍前のメンバー数は約1500人でしたが、今は約8000人になっていますので、交流できる居場所が求められているのかなとは感じます。シングルファーザーの方も増えてます。
死別の方、離婚された方、未婚の母親、再婚や事実婚などのステップ・ファミリーのひとり親、DVを受けた方、モラハラを受けた方、不登校の子を持つ方、障害児を持つ方など、本当にさまざまなグループがあります。
60以上のグループがありますが、私はそのすべてに関わっています。今もさまざまな相談やメッセージが日々行き交っていますね」
コロナ前は、対面の場で行っていた食料や教材などの配布も、宅配に切り替え、支援が途絶えないようにしている。
ひとり親の現状「ひとごとではない」
ひとり親支援協会は2020年11月、シングルファーザー世帯を対象としたアンケートやヒアリング調査を実施。その結果を公表するとともに、シングルファーザーが社会的に孤立する現状について、問題提起と改善に向けた要望書を国などに提出した。
今井さんは「ひとり親の現状は、今ひとり親でない方々にとっても決して『ひとごと』ではない」と訴える。
「本来は、『ひとり親』とひとくくりにしてはいけないんです。人によって異なる事情や課題がありますから、支援するにしても、それぞれに合わせて個別に対応しないといけないんです。しかし、それができる団体や行政がほとんどいないのが今の日本の現状です。
とはいえ、私たちのような団体があることを知ってもらわなければ、支援することもかないません。『こんな場があるんだ』ということを知ってもらうための活動は今後も力を入れていきたいと考えています。
また、知ってもらいたいのは、ひとり親の方々だけではありません。今ひとり親でない方々も、決してひとごとではないんです。
とくに死別については、いつ何時起こるかわかりません。どれだけ気をつけていても病気になることや事故に巻き込まれるということはありえます。
もしそういったことが自分に起きたとき、何も知らなければ途方に暮れてしまうかもしれません。私たちのような存在やひとり親に関する情報を事前に知っているだけでも、対処の仕方が変わるのではないでしょうか」
弁護士ドットコム
下記の記事は日刊ゲンダイデジタルからの借用(コピー)です。
秋篠宮家長女・眞子さま(29)と小室圭さん(30)が今月26日に入籍する。婚約内定報道から4年、小室さんの母親の借金問題など一連の騒動で、「なぜ事前に調査しなかったのか」といった「宮内庁」への責任や存在意義を問う声は多い。国民の税金で賄われる国家公務員だから当然だが、財務省や厚労省などと違って、いまひとつ実態が分からない。どんな人たちが働いているのか――。
◇ ◇ ◇
■職員にはどうしたらなれるのか?
宮内庁職員は1073人。定員数は、宮内庁長官、侍従長、上皇侍従長、皇嗣職大夫など特別職が70人。その他、皇族に仕えたり、事務方を担う一般職が1010人となっている。
職員(一般職)になるためには、人事院採用で主に国家公務員一般職試験(大卒程度試験・高卒者試験)に合格し、宮内庁訪問をして内定を受けるのが正式ルートだ。
大卒の場合、2019年は行政職7人、技術職0人、20年は行政職5人、技術職2人、21年は行政職5人、技術職2人が採用されている。
一方で、特別職は他省庁からの天下りだ。
■長官、次長の重要ポストは旧内務省から出向
「伝統的に旧内務省出身者が、長官や次長など重要ポストに就いています。例外もありますが、警察庁、厚労省、国土交通省、総務省の4つの省庁で回すのが伝統になっています。例えば警察庁が入っているのは、パレードの警備や皇族の周辺の身辺調査を担うなど実務ともリンクしているのでしょう」(宮内庁記者)
現在の西村泰彦長官は警察庁出身。警視総監、内閣危機管理監を経て、16年に宮内庁次長、19年から現職だ。山本信一郎前長官は元総務官僚であった。
「本省の出世ピラミッドから外れたり、ポストがない官僚の一時出向先に充てられることが多い。出向期間2~3年を上に逆らわずに大過なく過ごせればよいと考える人がほとんどで、皇室への敬愛や使命感、熱意をもって働いている人は少ないでしょう」(公務員問題に詳しいジャーナリストの若林亜紀氏)
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試験を受ける〈オモテ〉と縁故中心の〈オク〉
歴代旧内務省出身者が長官に(西村長官)/(C)共同通信社
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特別職の退任後の再就職のポストはどうか。山本前長官は財団法人「地域創造」の理事長に就任している。風岡典之元長官は公益法人「日本住宅総合センター」理事長、羽毛田信吾元長官は、財団法人「日本遺族会」の昭和館館長。小田野展丈元式部官長は、近鉄グループホールディングスと大塚製薬の顧問に就いた。
一般職の場合は中途採用の割合も多く、試験を受ける〈オモテ〉と縁故を中心とした〈オク〉の採用ルートがある。
「宮内庁には〈オク〉という他の公務員にはない採用ルートがあります。天皇・上皇・皇嗣家を身近に支える侍従や女官で、皇族の同級生や旧華族出身者などが縁故で採用されていますし、口コミやホームページ上で公募もあります」(若林亜紀氏)
■皇宮警察は「容姿端麗」が採用基準
過去には、「昭和女子大」の学内求人に〈高円宮家の「侍女」募集〉が掲示されて話題になった。宮家が伝統校に直々にオファーするケースもある。
その他、料理人、御料牧場・農場の農家を担う職員、庭師など特殊な採用がある。皇宮警察は一昔前まで募集要項に「容姿端麗」を記載していた。
「儀典や要人を迎える場に立ち会うためで、現在でも美男美女の割合が高い印象です」(前出の宮内庁記者)
給与体系や組織の適性は?
一般職なら定年までのんびり…(C)日刊ゲンダイ
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宮内庁関係予算は、皇室費(内廷費、皇族費、宮廷費)と宮内庁費に分かれる。
内廷費は天皇・上皇・内廷にある皇族の日常などに使う費用で、3億2400万円。皇族費は皇族の品位保持のための予算で総額2億6932万円。宮廷費は、儀式や国賓・公賓の接待、皇族の外国訪問などの予算で、118億2816万円。宮内庁費は、宮内庁の運用のための人件費・事務費などで、125億8949万円(いずれも2021年度予算)。
■行政職の年収は740万円 宮内庁長官なら2900万円
また国家公務員給与等実態調査(21年)によれば、一般行政職の平均給与月額は約45万円(年収約740万円)だ。一方、宮内庁長官なら年収約2900万円、侍従長は同約2500万円とされる。
「オモテルートの新卒採用は幹部候補の総合職採用が少なく、一般職採用の割合が多いのが特徴です。そのため、エリート官僚を目指す学生にとってマイナーな存在で、全体的にのんびりした雰囲気。公務員はクビにならないし、安定した職場と言えるでしょう。税金から支出される皇室費、宮内庁費は合わせて年間250億円。国民1人あたり年間250円を出して支えてる計算ですね。人員1000人は多過ぎる印象。18人の皇族を支える職員だけで、警備をする皇宮警察はまた別組織で960人もいるのですから。予算も別です。それに比べ、英国王室は、王族25人に対して、スタッフは住み込み50人、通い450人の500人程度です」(若林亜紀氏)
■“小室さん問題”をなぜ解決できなかった
これだけの職員が待機し、元警察庁・警視総監を務めた西村長官のような優秀な人材がいながら、小室さん問題を解決できなかったのはなぜか。
「雅子さまや紀子さまら皇族に迎える女性に対しては民間の興信所を使って調べています。しかしながら、降嫁する女性の嫁ぎ先を調べる慣習はなく、そもそも小室圭さんや家族を調べる発想がなかった。興信所の調査も、過去の例を見ると『不妊の疑い』や『色覚障害』といった健康上の問題に注視しています。どんな評判のいい女性でも、家系を調べ始めると先祖100人も遡れば何かしら問題はありますから……」(皇室ジャーナリスト)
宮内庁の行政一般職は、国内外からの「式典」や「行事」の参加依頼を受けて調整する仕事。侍従などを省けば直接皇族に意見はできない。取材態勢も異例だ。
■記者会見には「伝統的にカメラを入れない」
「宮内庁は『伝統的に会見にカメラを入れない』閉鎖的な省庁です。今は発言をそのまま引用してもいい“オンレコ”ですが、オフレコの時代もありました。記者は当然、皇族に直接取材できませんが、長官らトップは昭和の時代から、何重ものフィルターを通して伝える会見方法で、皇族の言葉の裏を読んで『拝察される』といった曖昧な表現を使っています。たとえば、西村長官は、小室さんの28枚の文章を『評価する』とメッセージを発しました。ただ、結局のところ、説明責任を果たしているのか、いないのか、宮内庁として結婚を認めたのか、認めていないのかはっきりしない。昔はそれで国民の声を抑えられたかもしれませんが、SNS時代では中途半端な対応が炎上を生み問題を悪化させるのですが、深刻に捉えていないのが実情です」(前出の皇室ジャーナリスト)
眞子さまの「複雑性PTSD」を公表して批判を受けたり、対応が裏目裏目に出ている宮内庁。今後、組織の見直しも議論されそうだ。
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先日、タクシーの運転手さんから「夜勤明けに仲間と安い飲み屋で一杯飲むのがささやかな楽しみ」と聞いた。
「ご結婚は?」と聞くと、「まだなんです。母の面倒を見ないといけなくて」。
四十半ばの人だったが、2人暮らしのお母さんが数年前に事故で体が不自由になられ、結婚もできずにそのお世話をする日々だという。
親のために人生を犠牲にしている彼の話が、とてもショックだった。
私の母は98歳で、いまは老人病棟にいる。コロナで面会はできず、ときどきZoomで会うだけだ。認知症で、もう私のことも覚えていない。
かつて父が脳梗塞を起こしたとき、母は苦労して面倒を見ていた。その母が認知症になってからは主に妻が世話してくれていたが、あるとき排泄(はいせつ)物にまみれた母の体を洗うことになり、これを続けるのはとても申し訳ないと思い、老人ホームに入ってもらった。
そのホームで母が吐血し、そのまま置いておけないと言われてある病院を紹介されたが、そこがまるで「楢山節考」のような場所なのを見ていたたまれずに、さらに別の病院に移した。そこは高級ホテル以上の入院費がかかるところで、体調は回復したものの、医療スタッフから「お母さんがお元気になると、またたいへんですね」と苦笑まじりに言われた。家族には介護が大きな負担になると知っているからだ。そこにも、3カ月以上はいられなかった。
あらゆる動物のなかで、育てた子どもに自分たちの老後の面倒を見てもらおうとするのは人間だけだ。
私自身は、事故や病気で意識がなくなれば終わりだと思っているので、延命は望まない。周りに迷惑をかけず、さっさと終わりにしたいという考えだ。
いざというとき、決して妻や子どもたちに負担をかけたくないし、それだけの蓄えもない。親孝行は美徳だが、そのために子どもが自由に生きられなくなるなら、本末転倒である。
延命措置の先には看病や介護が待っている。家族にかかる負担は大きく、終わりがいつになるのかわからない。たとえ延命しても「それでよかったのか」という悩みは残る。医療者に責任が及ぶのも理不尽だ。患者本人が自分で決めておけばよいのだ。
だが、国民が自分の最期をどう過ごしたいかを選択するための法律はまだ日本に存在しない。早急な整備が望まれるが、選択肢のひとつとして、死を選ぶ権利も保障すべきである。同時に、本人が書き残した内容は弁護士などによって検認されるとともに、その規定は悪意をもって解釈できないようにすることも大切だ。
人間は自分が何者であるかをわかっていてこその存在だと思うが、その解釈には難しい問題もある。一歩間違うと、かつてのナチスの「優生思想」による障害者の虐殺や、2016年の相模原の障害者施設での殺傷事件のように、勝手な思い込みによって誰かが他人の生を踏みにじることが起私自身は意識がなくなったら生きていたくはないと思うが、それが多くの人に当てはまるとも思えない。
知人の専門医に聞くと、認知症の人は本能的に「生きたい」という気持ちが強く、交通事故にも遭わないという。だが、誰もが経済的余裕をもって生きられるわけでもない。これは日本の社会や国の成り立ちに関わる問題でもある。
人の生きる権利と死ぬ権利について、真剣に考えるべき時がきている。
こったりするからだ。
三枝成彰作曲家
1942年、兵庫県生まれ。東京芸大大学院修了。