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祖父母の介助、障害を有するきょうだいの世話、家族の薬の管理……。様々なかたちで家族の“介護”を担わざるをえない「ヤングケアラー」と呼ばれる子どもたちが、日本には数多くいる。
そうした子どもたちの支援活動を行う大阪歯科大学医療保健学部教授の濱島淑惠氏は、著書『子ども介護者 ヤングケアラーの現実と社会の壁』(角川新書)のなかで彼らの実情を紹介している。ここでは、同書の一部抜粋に加え、濱島氏による寄稿を掲載。ヤングケアラーたちの苦悩に迫る。
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知られざる「ヤングケアラー」の実態
小学生の子どもが、家族を介護(ケア)するために学校に行けない。これは遠いどこかの国の話ではない。現代日本においてこのようなことが起こっていることをどれくらいの人が知っているだろうか。
ヤングケアラー――家族のケア(家事、介護、年下のきょうだいの世話、感情的サポートなど)を担う子ども・若者たちを「ヤングケアラー」と呼ぶ。
最近になって、複数のマスコミ報道もあり、認知度は少しずつ上がってきたと思われる。2020年度、厚生労働省は文部科学省との連携のもと全国調査を実施し、2021年4月にはヤングケアラーの存在割合について、中学生で5.7%、全日制高校生で4.1%、定時制高校生で8.5%、通信制高校生で11.0%という数字を示した。10代、20代、ときには10歳未満でケアを担い、学校に行けなくなる、体を壊してしまう、友人関係がうまくいかなくなるという子ども、若者たちが相当数いるのである。
2021年3月、国はヤングケアラーに関するプロジェクトチームを立ち上げ、同年5月に報告書をまとめ、方策を示すにいたった。
急にそのようなことを言われても、にわかには信じがたいかもしれない。私自身、初めて聞いたときはそうだった。調査を始めたころには、「そんな子どもたちがそんなにいるはずないだろう」などのお𠮟りを受けることも多かった。
私は2016年に国や自治体に先んじて、大阪府立高校10校の生徒(約5000名)を対象とした調査、2018年度に埼玉県立高校11校の生徒(約4000名)を対象とした調査を実施した。手前みそな言い方になるかもしれないが、これらの調査が子ども自身に対して尋ねた実態調査の先駆けといえる。
最近、ようやく彼らの存在が社会的に認められ始めたという実感がある。この変化はうれしい限りであるが、懸念もある。表面的な実態把握や支援体制の構築に留まる、一時の流行で終わってしまう可能性は、まだ残っている。今もなお、ヤングケアラーと聞いて抵抗感を持つ人はいるであろう。
そのようなとき、私はヤングケアラーというテーマがもつ普遍性について触れるようにしている。単にケアをしている子どもが可哀想だから救う、という限定的な話ではない。学習困難、いじめ、不登校、退学、ひきこもり、就職困難、貧困、介護殺人、虐待などさまざまな問題の背景に家族のケアの問題が絡んでいることがある。ヤングケアラーという概念を用いることは、早い段階でアプローチすることを可能にし、これらの問題防止にも貢献しうる。
もうひとつ、私を悩ませていることがある。ヤングケアラーは可哀想かという疑問である。彼らが抱えるネガティブな面を示すことは、「手伝いだから良いことだ」という一般社会の固定観念を改め、彼らへの支援が必要であると理解してもらうためには、どうしても必要なことである。
しかし、ネガティブな面ばかりを強調すると、彼らにさらなるスティグマを負わせる可能性もある。かといって、ヤングケアラーはポジティブな存在であると言ってしまうことも、そういう面を強調することにも違和感をもつ。
さて、これではまだ雲をつかむような感覚が残るのではないだろうか。そこで今回、私が出会ったヤングケアラーたちの語りの一部を紹介したい。ヤングケアラーたちが日々何をしていて、家庭内でどのような役割を担っており、彼らの生活、人生において何が起こり、彼らはどのような気持ちでいるのか、より具体的なイメージが浮かび上がると思う。その際には、ここまで述べてきたことをぜひ念頭に置き、短絡的な評価をしないようにご留意いただきたい。そのうえで社会がとるべき道と私たちが日常でできることを考えてもらえることを願っている。
母と祖母と。3人での暮らしのはじまり
ヤングケアラーの調査でも多く見られた事例の一つが祖父母のケアである。その一人、Aさんを紹介しよう。
Aさんは物心ついた頃から母、祖母と暮らしていた。Aさんの母親はもともと体が丈夫ではなかったため、祖母の年金で暮らすようになった。
Aさんがケアを始めたのは小学生の頃で、母親は体調不良のため、家で休んでいることがほとんどであった。家のことは祖母が中心となり担っており、Aさんはそのお手伝いを始めた。具体的には買い物をしたり、家事を祖母とともにしていたという。
このような経緯なので、Aさんにとってケアの始まりは祖母の「手伝い」という感覚だった。この「手伝い感覚」というのは、多くのヤングケアラーたちが口にすることである。
小学3年生の頃には、祖母が腰を痛め、半分寝たきりになってしまった。これによって家族3人が少しずつ力を合わせて生活するようになる。
Aさんの役割は、病院への付き添い、お弁当等食料の買い物、食事の準備だった。外出できる家族がいなかったため、外出しなければならないような用事は、自然とすべてAさんがするようになったという。祖母の体の清拭(入浴はできなかった)や着替えやトイレの介助も必要だった。これらは母親と協力して行っていた。
このように祖母が要介護状態になったことをきっかけとして、Aさんのケア役割は増えた。しかし、Aさんが小学生の頃までは、母親がまだ動くことができたため、無理をしながらも、夜間の介助等、かなりのケアを担ってくれていた、とAさんは語った。そのおかげで、Aさんは小学校に行ったり、友人と遊ぶことはできていたとのことであった。
中学校に入ると家事や身体介助等、Aさんのケアの分担が増えていき、学校を休む、遅刻することが増えていった。学校に十分に行くことができず、家では家族のケアのため、勉強をすることもできなかった。
「勉強には……ついていけなく、なりました」
さらに、中学時代の友人関係についてはこんなふうに話してくれた。
「学校に、あまり行けなかったから……。友達が、いなかったから……」
「本当に、寂しかった……寂しかったです」
このように、ケア役割が増え、学校生活や友人関係にも影響が生じ、寂しさを抱えていたが、そのことを話せる相手はいなかったという。学校の先生には「言える雰囲気ではなかった」ため話すことはなく、関係が疎遠になっていった友人にも、深く話すことはできなかった。
ひとりきりであることの不安、重責
高校は定時制高校に進学した。高校に入ってからも家事、祖母の介助、さらに買い物や通院介助など、外出しなければならない用事は全てAさんが担っていた。当然ながら高校でも遅刻、欠席が多くならざるを得ず、学校でも家庭でも、勉強するような状態にはなかった。無論、友人を作ることは難しかった。
特に高校3年の頃が一番きつかったという。祖母が病気で入院し、ケアが一時不要になった。しかし、その後すぐ、心臓の弱かった母親が倒れて救急車で搬送された。母親は退院できたものの、全面的に介助が必要な状態になった。
Aさんは、祖母のケアから母親のケアへと連続するわけだが、ヤングケアラーではこのようなことは決して珍しくない。その場合、ケア役割が切れ目なく続き、その影響は長期化する。
しかも、母親が倒れたときからAさんは、ひとりで母親のケアを担うことになった。これまでは、祖母または母親と協力してケアをしてきたが、たったひとりでケアを、その責任を引き受けることになったのである。
10代の高校生がひとりでケアの全て、すなわち自分と家族の生命と生活の全てを引き受ける、ということを想像できるだろうか。これは今までとは異なる次元のケア役割へと移行したと言える。Aさんの生活は、家族のケア一色に染まっていった。
Aさんは、この高校3年生以降が一番つらかったと言っているが、それはケア負担だけが理由ではない。それよりもむしろ「ひとりきり」だったからだと言う。誰一人として相談できる相手はいない。頼れるきょうだいでもいればいいが、それもない。何かあってもその都度ひとりで判断しなければならない。「ひとりきり」の状況による負担がおおきかった。
「毎日……不安でいっぱいで……本当に、つらかったです」
さらにこのときの状況をこのようにも語った。
「世話が必要じゃない人が……自分しか、いなかった」
何とも言えない表現である。自分がケアをするしかない。頼れる人がいない、というケア役割の話だけではないだろう。
Aさんにとって家族は「ケアの対象」ではない。さまざまな苦難にも一緒に向き合い、時には楽しく笑い、固い絆で結ばれた、愛する家族である。その家族が少しずつ元気を失い、自分を残して変わっていく。深い悲しみ、喪失感、恐れが、そのセリフの根底にあるように私は感じた。それを分かち合える人もいない。この「ひとりきり」の感覚を、高校生のAさんは「ひとりきり」で背負っていたのである。
ただ、この時期、唯一の理解者がいた。それは高校の先生である。Aさんの欠席の多さを心配し、声をかけてくれた。その先生にだけは家のことを話すことができ、Aさんが何とか卒業できるよう、相談にのってもらえたという。
先生は介護や福祉サービスのことをよく知っているわけではなく、Aさんの置かれている状況を根本から変えてくれることはなかった。しかし、「ひとりきり」だったAさんにとって、時々行くことができた学校に、話を聞き、理解してくれる人がいて、親身になって卒業できるよう一緒に考えてくれるということ。それだけで大きな支えになったという。
ケア一色、先のことなど考えられない
高校は出席日数ぎりぎりで卒業することができた。卒業に合わせるように、祖母が退院してくる。祖母も要介護の状態(当時、要介護3程度)であり、Aさんは母親と祖母のケアを一手に引き受けることになる。
このときにはすでに介護保険制度が始まり、祖母はホームヘルパー、訪問看護のサービスを利用できた。ケアマネジャーの定期的な訪問もあった。その約1年後、Aさんが20代になった頃、母親の状態が悪化し、立つこともできず、寝たきりになる(当時、要介護5)。母親もホームヘルパーと訪問看護、訪問リハビリのサービスを利用し始めた。
介護保険制度の介護サービスを利用することによって、ケア負担は多少減ったかもしれない。しかし、楽になったという話はAさんからは出なかった。
Aさんのぎりぎりの生活は続いた。介護サービスが来ている空き時間には、苦しい家計を助けるためアルバイトに出ており、自由になる時間や休む時間は相変わらずなかった。
また、介護保険を使うことにより、ケアマネジャーとやりとりをし、介護サービスの利用を考え、管理するという役割も生じた。これらはAさんの仕事として追加された。
本来、20代という自分の人生を歩み始める時期であったが、そのタイミングに乗ることは到底できなかった。一度タイミングを逸すると、社会のメインストリームに戻ることが難しいという特徴が、この日本社会にはある。ケア経験が長期にわたってAさんの人生に影響を及ぼした理由のひとつには、ケア経験が重要なタイミングと重なっていたこともあげられよう。
このような生活を続けるなかで、Aさんの体調に変化が生じた。まず、食べ物、固形物を飲み込むことができなくなった。Aさんは、理由はわからないが、おそらく精神的なものではないか、と話した。さらに、体重も減り、一番ひどいときは20キロ以上減ったという。
Aさんが2人のケアを担うようになり、その約半年後、家庭での介護に限界があると自分たちも、ケアマネジャーも判断し、祖母は介護施設に入所することになった。
「これによって、ケアが楽になったのでは?」
私はそう尋ねた。Aさんは答えにつまり、悩むような様子を見せた。
「それほどでも、ないです。楽になった……という感じは、ありませんでした」
これがAさんの答えだった。
理由を尋ねると、祖母のケアはなくなったが、母親の状態が悪化の一途をたどったため、楽になることはなかったそうだ。
自分だけが生きていて申し訳ない
祖母は施設に入所した数年後に亡くなった。母親のケアはそれから10年以上続いた。Aさんが30代後半になったとき、母親が亡くなった。Aさんのケア生活は、このとき終わったことになる。
母親や祖母が亡くなったときの気持ちを、Aさんはこのように話している。
「自分だけが、生きていて、申し訳ない」
ヤングケアラーのなかには、家族のケアが何らかの理由で終わった後、「介護ロス」のようなものを感じる者が少なくない。ぽっかりと心に穴が開き、自分のアイデンティティや人生の意義、目標が見いだせない、何もない自分に気づいた、どう生きていけばよいかわからなくなった等の話をよく聞く。
物心ついたころから3人で力を合わせて生きてきて、10代の頃から母親と祖母を中心とした生活を送ってきたAさんの心に最後に残ったものは、安堵の気持ちでも解放感でもなかった。変わらぬ深い孤独と罪悪感に近いものだった。
濱島 淑惠
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末期がんの患者さんのご家族から、「余命宣告」について相談されることがあります。たとえば、こんなケースです。
「先生、主人が担当医から、『もう手の施しようがありません、余命半年』と言われました。本当に半年しか持たないのでしょうか?」
私の答えはこうです。
「いや、半年ということはないと思います。まだ時間はあります。ご主人のしたいことをさせてあげてください」
どれぐらい生きることができるかを月単位で正確に予測することはできません。ただ、患者さんから相談を受けると、「短めに話をする医者もいる」という印象を持っています。短めに言うことで、患者さんとご家族に、残り少ないということを自覚させたいからでしょう。それより長く生きたとしても、本人も家族もよかったと思うはずです。
余命宣告をする医者、しない医者
とはいえ、余命宣告に関して否定的な医者もいます。その人がどうなるか実際にはわからないというのが、理由のひとつ。そして余命を言ってしまうと、患者さんのがんばろうという気持ち、生きる希望を摘んでしまうことを恐れるからです。暗示効果で実際にその通りになってしまうことがあります。医者の言葉は患者さんに大きな影響を与えます。見通しを知りたいと思う家族も多いので、見立てを伝えても、患者本人には言わないことも少なくありません。
「あとどのくらい持ちますか」と聞いてくる患者さんもいます。近年、はっきりと言葉にする傾向が強くなっていると思います。
宣告された余命はあくまで「中央値」
余命宣告は、医者の勘や経験だけで言っているわけではありません。ある程度の基準はあります。「余命1年」と言った場合、それは、生存期間の中央値が1年ということです。中央値というのは、同じ程度に進行した胃がんなら胃がんの患者の集団において、「50%の患者が亡くなるまで」の期間のことです。つまり、同じ胃がん患者が100人いた場合、50人目が亡くなった時点が胃がんの余命と考えられています。
その生存中央値が仮に1年だとしても、3年、5年と生きる人がいる一方で、それよりも早く亡くなる患者もいるのが現実です。そう考えると、中央値をとって「余命1年」と伝えるのも、あまりあてにならない話です。ただし、末期がんで入院中の患者さんで、主治医から「あと1、2週間ぐらいでしょう」と言われた場合は、おそらくその通りになります。病状から、かなり正確に判断することができるからです。
ズバリと厳しいことを言う医者も
これ以上の治療に効果が期待できない、となった時、医者としても伝え方には苦労をします。難治性のがんで手の施しようがない時、ベテランの医者なら「完治は難しいですね」というような言い方をし、患者さん本人ではなく、まずご家族にそれとなく告げると思います。そうして、「先生、なんとかお願いします」と言われたら「最善を尽くします」と答えるでしょう。
しかし、経験が浅い医者などに「完治は無理です。手術しても無駄です。持って半年です」などとあっさりと言われてショックを受けたという話も耳にします。「当て逃げのようながん告知」と言った人もいますが、まさにそんな感じでしょう。私たち医者も、ちょっとした言葉の配慮で与える印象が変わってくることを十分に理解している必要があります。
平均余命を考えに入れて医療を受ける
国は毎年、簡易生命表を発表しています。令和元年では平均寿命は男性81.41歳、女性87.45歳となっています。正確に言うと、この数字は調査を元に統計的に出したゼロ歳時点の平均余命です。年齢別の平均余命も発表されていて、60歳なら男性は23.97年、女性29.17年と、年齢にプラスすると、いわゆる平均寿命よりもやや長くなっています。平均余命を知っても切迫感はありませんが、70歳(平均余命男性15.96年、女性20.21年)、75歳(12.41年、15.97年)と年を重ねるに従い、漫然と生きるのではなく、きちんと人生と向き合っていこうという思いが強くなります。
日本では、手厚い健康保険制度などで、医療費負担の上限が低めに抑えられているため、「できるだけの治療を尽くしたい」と考えがちです。そのため回復の可能性は低く、苦痛を長引かせるだけのような治療すら行われてきました。
一方、アメリカなどでは余命を示して、治療を選択するかどうか患者に考えてもらうこともあるようです。
60歳の男性なら、がんを治療しないことで、84歳ぐらいまで生きられない、あるいはがんの症状や合併症が出現する可能性はどれぐらいあるか。こういう視点で治療を受けるかどうか決めるということです。これが85歳だと平均余命は男性6.46年、女性8.51年です。考慮に入れる期間はかなり短くなります。
時間を頭に入れて、有意義に過ごしたい
末期がんの余命告知の話から少し離れましたが、生存期間の中央値や平均余命は、一般論なので個人にひきつければ当てにならないところもあります。しかし、どんな医療を受けるのか、あるいはやり残したことを処理する時間の目安などひとつの参考になります。
最後は多くの人が、回復は望めず、体や心を楽にしておくのが最良の選択という状態が訪れます。それまでの時間を、こうした数字も参考にしながら、自分なりに有意義に使う方法を考えたいものです。(富家孝 医師)
富家 孝(ふけ・たかし)
医師、ジャーナリスト。医師の紹介などを手がける「ラ・クイリマ」代表取締役。1947年、大阪府生まれ。東京慈恵会医大卒。新日本プロレス・リングドクター、医療コンサルタントを務める
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秋篠宮家長女・眞子さま(29)と小室圭さん(30)が今月26日に入籍する。くすぶり続ける小室さんの母・佳代さんの抱える金銭トラブルの帰結は――。
***
お二人の結婚問題の「元凶」は、紛れもなく小室さんの母・佳代さんの抱える金銭トラブルである。今年4月には、28枚の「文書」を公表したわずか4日後、小室さん側が突如として解決金の支払いを提案。自ら混乱に拍車をかけてしまったのだった。
佳代さんの元婚約者の男性は、さる10日に談話を発表し、
〈佳代さんからの解決金の提案については、(注・先方の)体調の問題もあり進展はありません。そんな中、佳代さんの代わりに圭さんが提案したいという旨を上芝弁護士(注・小室さん側の代理人)から受け取りました。私は圭さん本人の意思を伝えてくださいとお願いしていますが、いまだに届いていない状況です〉
婚約期間中の金銭のやり取りをつぶさに把握しているのは佳代さんであり、男性はあくまで彼女との対話を望んできた。が、「体調不良」を理由に引き延ばされているといい、すべての原点であるトラブルは、26日の入籍までに解決しそうにない。
元婚約者の代理人である週刊誌記者は、
「談話を出した後も、上芝弁護士からは何の連絡もありません。こちらは佳代さんの代わりに交渉役を買って出た圭さんの真意を聞きたいと伝えているのですが、このままでは動きようがありません」
そう漏らすのだが、さる宮内庁関係者は、
「このトラブルについては、“もういいんじゃないか”との声が、庁内からも上がっています。本音としては早く結婚を片付けたいのです。民間人夫婦となられた後、まだくすぶっているのであれば、その時は双方で勝手に争えばいい。役所はそこまで付き合えません」
昨年暮れ、長官自らが動いて結婚への道筋はつけたものの、泥仕合は今も収まらない。“あとはお好きに”というわけである。
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「小室家側の代理人から、私の代理人に頻繁(ひんぱん)に連絡は入っていますが、いまだ交渉には至っていません。お二人の結婚会見がもうそこまで迫っていますが、その前に私にはどうしても世間の方々にお伝えしておきたいことがあるのです」
そう語るのは、小室圭さん(30)の母・佳代さんの元婚約者A氏である。10月26日の結婚会見を前に、本誌の独占取材に応じた(以下、「 」内は断りのない場合はすべてA氏の発言)。
いま小室圭さんは着々と結婚に向けて準備を進めている。10月18日に、秋篠宮夫妻への挨拶、そして眞子さま(29)との約3年2ヵ月ぶりの再会を果たした。
「秋篠宮邸がある赤坂御用地には当初の予測より長く、3時間半近く滞在していました。秋篠宮夫妻と次女の佳子さまも交えた挨拶のあと、小室さんと眞子さまが二人で過ごす時間もあったとみられています」(全国紙宮内庁担当記者)
一方で「400万円金銭トラブル」は一向に解決に向かう様子はない。小室家側の代理人は小室さんの「直接交渉」を打診したが、いまだに実現には至っていない。
そんななか、A氏には「伝えたいこと」が2つあるという。そのひとつが、下に掲載した一枚のペーパーだ。左上には「10月の予算決算表」と記されている。
「これは’10年10月に、佳代さんと交わした両家の『家計簿』です。彼女からの希望で、私がパソコンで自分の1ヵ月の収支をまとめた文書を作成し、それをプリントして佳代さんに渡しました。そこに彼女が小室家の収支を手書きで記入したものがこれです」
A氏と佳代さんが婚約したのは’10年9月のこと。当時、この家計簿を交わすことを佳代さんは強く希望していた。同年10月16日に佳代さんがA氏に送ったメールには、家計簿を「データ表」と表現し、こう書かれている。
〈経済的な煮詰めたお話しはパピー(編集部注:A氏のこと)のお作りになるデータ表(家計簿という響きが好きでないので)がないと先に進まないので鶴首で待っていますね〉
「鶴首(かくしゅ)」とは、「鶴のように首を長くして待ちわびる」という意味だ。その約1週間後の10月23日、A氏が自分の分の家計簿を渡すと、こうメールがきた。
〈昨日は決算表を有難うございました。昨夜は帰りが遅く、今夜も遅くなる予定なので、明日ゆっくり拝見します〉
呼び方はさまざまだが、掲載したペーパーが、この二人が交わした「家計簿」である。家計簿には生々しい数字が並んでいる。A氏の収入として「給料 37万7000円」。佳代さんの収入には「給料 12万円」「遺族年金 9万円」、「収入計 21万円」と記されている。この遺族年金は不正受給疑惑で問題となっているもので、この当時、小室家の重要な収入源となっていたことがわかる。
「収入」から下の欄は、それぞれの支出を表しているとみられる。「税金」や「食費」などの後に、それぞれA氏のイニシャルと、佳代さんを表す「K」という文字がある。佳代さんの小遣いとみられる「小遣いK 3万円」、さらには「圭教育 4万円」という記載がある。その内訳として、手書きで「電車 1万2000円」「ランチ&ディナー 1万5000円」などが欄外に書かれている。
年金暮らしの母にも無心
かすれて見えにくいが、「圭学ヒ」という文字も確認でき、「月→A(注:写真では伏せ字)」「留→K」と書かれている。圭さんがICU(国際基督教大学)に入学したのが、’10年9月のこと。圭さんの大学の学費などをどう負担するか、佳代さんの考えを記載したものと考えられる。おそらく圭さんの学費のうち月々かかる費用をA氏、留学費用を佳代さんが負担するという意味だろう。
今年4月に公表された「小室文書」では、「A氏が渡したおカネは圭さんの学費には使われていない」と主張されていたが、この家計簿を見ると、とてもそうは思えない。
この家計簿を交わしてから約1週間後の’10年11月1日。A氏は佳代さんからの依頼で、ICUの学費という名目の「45万3000円」を振り込んだ。そこから1年あまりでA氏から佳代さんに渡ったおカネが「400万円」を超えることはご存知の通りである。
この家計簿からわかるのは、A氏がけっして余裕のある暮らしぶりではなかったということ。そして、その経済状況を佳代さんが極めて正確に把握していたということだ。
「婚約の際、佳代さんはかなり細かく私の経済状況を知りたがっていました。私がお伝えしたいのは、佳代さんは私の資産状況を正確に把握したうえで、おカネの無心をしていたということです。世間には、私が非常に裕福だと思っている方や、佳代さんが私の懐(ふところ)具合を知らないまま金銭援助を依頼していたと思っている方が多くいらっしゃるのではと思います。
しかし、実情はまったく違います。当時の私はマンションと車のローンを抱え、毎月残るおカネは食費とあと少しぐらいという状態でした。それなのに、佳代さんはその状態をわかったうえで、毎月のように10万円ほどの生活費や、時には学費という名目で多額の金銭援助を依頼してきました。その結果、私はローンが支払えなくなり、車もマンションも手放さざるを得なくなったのです」
この家計簿をみれば、月に10万円も支出が増えると、A氏の暮らしがどうなるかは容易にわかったはずだ。現在、A氏は給料がこのときの半分ほどになったという。マンションも失ったため、家賃8万円の木造アパートで暮らしている。
A氏のもうひとつの「伝えたいこと」も、これと同時期の出来事だ。それは佳代さんが起こしていた「もうひとつの金銭問題」と呼べるトラブルである。
「私の母は90代で、関東近郊に住んでいます。9月末に母と電話で話していたら『いつか言おうと思っていたことがあったんだけど……』と、話し始めたのです。いまから約10年前、私と佳代さんが婚約していた頃の話だと聞きました。ある日、私の母が住んでいる家の固定電話に、佳代さんから電話がかかってきたそうです。その用件は『東京に住んでいる圭のところに会いに行きたいんですが、おカネがなくて困っています。急ぎでおカネを振り込んでもらえませんか?』というものだったというのです」
まずA氏が驚いたのは、佳代さんが自分の母の連絡先を知っていたことだ。
「私の母と佳代さんは2度しか会ったことはありません。そのうちの1回は婚約中のお正月で、私が佳代さんと圭君を連れて、母の自宅を訪ねたのです。その道中で私が不注意から車のタイヤをパンクさせてしまい、タイヤ交換のために一時その場を外していました。おそらくその際に連絡先を交換したのだと思うのですが、まったく知りませんでした」
佳代さんが母親に無心してきた額は「1万円」だったという。少額ではあるが、問題はそこではない。
「当時80代後半だった私の母にまでおカネの無心をしていたということが信じられません。当時、すでに私への度重なる金銭援助の依頼は続いていましたし、それをさらに年金暮らしの母親にまで行っていたのです。母も当時は佳代さんが私の婚約者だったということもあり、違和感を抱きながらも『息子に嫌な思いをさせてはいけない』という気持ちで、わざわざ銀行まで出向き、私に黙ったままおカネを振り込んだようです。
母はこの話を私に伝えるのをためらっていたのですが、最近の圭君の報道を見て、我慢できなくなったようでした。おカネは私が貸した400万円同様、いまに至るまで返金されてはいません。このことに対し怒りの感情しか沸きません」
あくまでこれらの金銭トラブルはA氏と佳代さんとの間に起きたことであり、圭さんと眞子さまの結婚とは直接関係はない。しかし、看過できるものでもない。A氏が話す。
「私は圭君と眞子さまの結婚について反対ではありませんし、祝福をしたい気持ちもあります。しかし、私や母の金銭問題をうやむやにしていることや、それらを私たち、そして世間に対してきちんと説明していないということはわかっていただきたいのです」
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「脱炭素社会への移行」を掲げ、政府や経済界がさまざまな発信をしている。昨年11月、小泉進次郎環境相は日本記者クラブでの会見で「住宅の脱炭素化」に取り組むと述べた。日本では、既存の住宅や建物の「断熱改修」が遅れている。冬になると、寒い浴室で温度差による「ヒートショック」により亡くなる人が多い。だが健康と住宅・建物との関係はあまり知られていない。冬暖かく夏涼しい家を増やす工夫が必要だ。
調布市の主婦、まずDIYで断熱改修に挑戦
「エネルギーダダ洩れの家が、前々から気になっていました」
調布市東つつじヶ丘に住む主婦、菅野千文さん(すがの・ちふみさん、59歳)は昨年2月〜5月、自宅の断熱改修に取り組んだ。ずっと前から「何とかしたい」という思いがあったという。
菅野さんは、再生可能エネルギーで生活できる暮らしを提案する一般社団法人「えねこや」(調布市深大寺、湯浅剛代表理事)の理事を務める。2011年3月11日の東日本大震災に伴う東京電力福島第一原子力発電所事故を受け、原発のない暮らしを目指す建築家や主婦らが集まり、2016年6月に「えねこや」が設立された。
菅野さんは子供たちが独立し、今は夫(60歳)と2人で築20年の家に住む。屋根の上の太陽光パネルを新しくし、蓄電池の性能がいいものが出てきたら買うか電気自動車を蓄電池のように利用するかして、「再エネ100%」の暮らしを実現したいと思っている。しかし、「その前にやるべきことがある」ことに気づいた。
「えねこや」の仲間たちから、あるいは、さまざまな勉強会に参加したなかで、「既存住宅のエネルギーロスはものすごく大きい」と知ったのだ。中でも、「家のエネルギーロスの50%は窓から」と聞いて、菅野さんはまず窓から、エネルギー消費を抑える断熱改修を始めようと決めた。
確かに、窓などの開口部は、断熱改修のカギとされる。一般社団法人「日本建材・住宅設備産業協会」によると、家屋を出入りする熱の量を100%とすると、冬の暖房時の熱が開口部から流出する割合は58%、逆に夏には冷房時に開口部から熱が入ってくる割合は73%にもなる。
最初に菅野さんが目をつけたのは、2階の浴室、洗面所、トイレにある「ジャロジー窓」。細長い板ガラスやアクリル板がブラインドのような形で重なり、窓についた取っ手を回すと、その角度が変わる仕組みだが、冬場にはかなり「スース―」した。
当初は内窓を取り付けることを考えたが、取っ手が邪魔になり難しい。そこで、まずはDIY(Do It Yourself、手作り)による断熱改修に挑戦してみることにした。近くのホームセンターでポリカーボネート板を窓のサイズにあわせて切ってもらい、切り口の周囲にモコモコがついている「モヘアテープ」を張り付けて厚さを調整し、はめ込んだ。
つまり、いわゆる「羽目殺し」という開かない窓にしてしまった。天窓と1階トイレにも設置し、閉じたままの窓9カ所ができた。昨年は5月には、取り外した。11月から2月までの冬場には密閉状態になってしまうが、換気扇を回して対応し、「カビも出ないし、問題ない」という。材料費は、総計で約1万5000円。窓の表面温度を測ったところ、ポリカーボネート板を取り付ける前と後で5度近くも違った。浴室の寒さもぐっと和らいだ。
トイレのジャロジー窓、左がDIY改修前、右が改修後(写真:菅野千文さん提供)
床下断熱はじめ本格改修は、工務店に依頼
まずはDIYで窓の改修に取り組んだ菅野さんだが、続いて工務店に頼み、本格的な断熱改修を行った。冬になると床下からの底冷え感があったため、床下に新たに断熱材を張ってもらった。作業が完了したのは、昨年3月14日。この日は夜には雪が降り、気温は2℃まで冷え込んだ。一方、従来は冬場の寒い日には、床暖房の設定を10段階の「4~5」にしてきたが(数が多いほど強い)、この日は「2」で大丈夫だったという。
このほか、5カ所の窓に内窓を設置し、玄関と勝手口のドアも断熱タイプのドアに交換。最後に、出窓などには、特種な構造の素材の中に空気が入るスクリーンを設置。外からの冬の冷気、夏の暖気を窓でとどめて室内を守る仕組みで、断熱効果が上がった。
工務店に頼む本格的な断熱改修は、費用が高い。床下に新たに断熱材を張った費用は約40万4000円かかった。内窓やドアの取り換えを含めた総費用は、ざっと270万円。断熱改修は、既築の住宅の場合、平均で約300万円かそれ以上が必要と言われる。菅野家の場合も、そうした価格帯の出費がかさんだ。
とにかく高い。しかも、菅野さんの家は建てた当時としては省エネ性能が高く、窓はペアガラス、リビングには床暖房もある。ちなみに私が住むマンションは2006年に建てられたがペアガラスではなく、1枚のガラス。親が住んでいた私の実家には、床暖房もなかった。恵まれたレベルの家でさえ約300万円かかってしまうとなると、一般的に考えて断熱改修のハードルは高い。
こうした費用がネックになるのか、国土交通省が昨年8月にまとめたところによると、2018年時点で「省エネ基準を充たす住宅ストックの割合」は、わずか11%。一方、新築を対象にした国交省の調査では、2015年度の実績で、住宅全体で断熱性能の適合率は59%だった。断熱性能を含む住宅の省エネ化施策は新築中心に行われてきており、既存住宅は置き去りにされてきた格好だ。
床下(上の部分)に新たに断熱材を張った。(写真:菅野千文さん提供)
健康を左右する建物の断熱性能
人の健康が室温により左右されることは知られている。とくにヒートショックは、冬場に注意しなければならないことの代表例だ。寒い風呂場に入り、血管が縮んで血圧が上がる。湯船につかると今度は急に血圧が下がる。血圧の急な変動は、心筋梗塞や脳卒中につながる。入浴中、あるいはお風呂から上がったときに立ちくらみがしたり、気持ちが悪くなったりしたことがある人も多いだろう。
しかし、ヒートショックは別として、住宅の室温はさまざまな病気や老化現象とも大いに関係があることが、近年の研究でわかってきた。
国土交通省は2014年度から、医学・建築工学研究者による「断熱改修による居住者の健康への影響調査」を実施。2019年1月には、「住宅内の室温の変化が居住者の健康に与える影響とは? 中間報告」として、全国約2000世帯、4000人規模の調査をまとめ、発表した。
その結果、室温が低い家では、コレステロール値が基準範囲を超える人や心電図をとると異常所見が見られた人が有意に高かった。また、就寝前の室温が12℃未満の住宅では、18℃以上の住宅と比べて過活動膀胱症状のある人の割合が1.6倍高かった。
また、家を床上1mと床近くの室温の組み合わせにより3つのグループに分けて、居住者が病気で通院したり、耳が聞こえにくい、骨折や捻挫などの不調を経験したりした人の割合を比較したところ、「温暖グループ」の暖かい家に住む人に比べ、ほかの2つのグループに住む人が通院、または不調を経験した人の割合が高くなった(表1)(表2)。
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冬場に暖かい家に住む人は老化が遅くなる?
慶応大学理工学部システムデザイン工学科教授の伊香賀俊治教授らの研究チームは、国土交通省の調査で中心的役割を果たしてきたが、それとは別に、高知県梼原町と山口県長門市で「介護予防につながる住宅と住まい方」について研究を続けてきた。
それによると、脳MRI画像分析による脳健康指標の状態を調べたところ、冬場に2℃暖かい家に住む人は、脳年齢が4歳若かった。また、冬季に居間の平均室温が14.7℃の寒い家に住む人は、要介護認定平均年齢が77.8歳だったが、17℃の家に住む人は80.7歳だった。伊香賀教授は「冬場に室温を約2℃暖かくすると、要介護認定される年齢を約3年遅らせることができることを示している」と話している。
アメリカのジョー・バイデン新大統領は就任式が行われた1月20日(現地時間)、すべての国が参加して気候変動対策を進める国連のパリ協定への復帰に向けた書面を国連に提出した。これを受け、グテレス国連事務総長は、歓迎の談話を発表し、アメリカが2月19日にパリ協定に戻ることを明らかにした。トランプ前大統領は気候変動問題に背を向け、昨年12月にパリ協定からの脱退手続きを済ませていた。
パリ協定は2015年12月、パリで開かれた国連気候変動枠組条約第21回締約国会議で採択され、翌2016年に発効。昨年の第26回締約国会議で実施状況の検証や未定のままの実施ルールの細部が決まる予定だったが、新型コロナ禍で会議は2021年11月に延期となっている。
折しも、世界で台風や熱波、山火事などの気候変動に関連した災害が頻発していることから、二酸化炭素の排出を事実上ゼロへと削減する「脱炭素」へと、先進各国は次々に舵を切った。菅首相は2020年10月、就任後初の所信表明演説で「2050年に温室効果ガスの排出を実質ゼロにする」と宣言。ここにきて、既存住宅の断熱改修が重要な政策課題として浮上してきた。
外出自粛の影響で自宅の省エネに関心高まる
国交省は昨年12月、グリーン住宅ポイント制度を創設した。窓、ドア、外壁、屋根・天井、床など既存住宅の断熱改修を行った場合、1戸当たり上限30万円相当のポイントがもらえる。ポイントは、一定の追加工事や商品と交換できる。第3次補正予算に組み込まれており、予算成立後の2月ごろには事務局が開設される予定だ。実際には、工務店など工事を請け負う事業者がポイントの申請を行うことになるが、「コロナ禍で自宅にいる時間が増えたため、自宅の省エネ機能を見直す人が増え、関心が高まっている」(国交省住宅局住宅生産課)という。
環境省も、第3次補正予算と来年度の予算で、既存戸建て住宅の断熱改修への補助を盛り込んだ。1戸当たり120万円を上限とし、断熱改修費用の3分の1を補助する。こちらは、2018年度から行っており、その対象戸数が増える格好だ。実績としては、2018年度1万5065戸、2019年度1万2493戸、2020年度1万0444戸で、これに2020年度第3次補正で2万8000戸(積算上の数字)が積み増しされる。
とはいっても、既存住宅で省エネ基準に満たないのは、11%だった。人が居住している住宅は全国で約5000万戸なので、4450万戸が断熱不十分ということになる。国土交通省や環境省の施策が断熱改修の呼び水になるのかどうか。
費用がかかるということに加え、もう1つネックになるのは「どのような技術があるのか」「どこに頼めばいいのか」が、よくわからないという点だ。本格的な断熱改修のほかにも、自分で材料を買ってできるけっこう効果が上がる方法もある。既存住宅の断熱化が進むには、工務店など事業者の団体だけではなく、基礎自治体や住民団体ができることのメニューを整理して提示するなどの工夫が必要だ。
河野 博子 : ジャーナリスト