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「動脈硬化」を予防する、食事のポイントとは?

2021-10-30 08:30:00 | 日記

下記の記事はハルメクWebからの借用(コピー)です。

悪玉と呼ばれるLDLコレステロールが増え過ぎると、動脈硬化を引き起こし心筋梗塞などの原因になるため、日々の食事に気を付けている人は多いと思います。でもコレステロール摂取量より大切なことがあると、ニコークリニック院長の田中裕幸さんは言います。
目次
    1. コレステロールの摂取量に制限はない?
    2. 動脈硬化予防_コレステロール改善にはリノール酸を避けることから
    3. 動脈硬化予防_血管年齢を若返らせる5つの食事ポイントコレステロールの摂取量に制限はない?

日本では長い間、コレステロールは悪者にされ、スーパーなどには「コレステロールゼロ」などとうたった食品が並んでいます。ところが、2015年から日本でコレステロールの摂取制限がなくなったことをご存じでしたか?
「そもそもコレステロールは食事で取り込まれたもの以外に、糖質からも作られます。コレステロールの摂取が少なければ、肝臓でコレステロールの合成が進み、摂取が多ければ、肝臓での合成が抑えられます」と田中さん。
コレステロール含有量の高いものを食べても、低いものを食べても、血中のコレステロール値はほとんど変わらないという調査結果も出ています。
「以前、テレビの健康番組などで1日のコレステロール摂取量を300mg以下にするよう盛んに言われていましたが、あれはある意味“ウソ”。重要なのは、コレステロールを取る・取らないではなく、食べるものの質なのです」動脈硬化予防_コレステロール改善にはリノール酸を避けることから
では動脈硬化を防ぐために、食事で何に気を付ければよいのでしょう。田中さんの調査では、食事に含まれる脂肪のうちリノール酸が多いと、LDLコレステロールが上昇し、動脈硬化が進みやすくなることがわかったといいます。
「リノール酸は、肉の脂にも含まれますが、最も多く含まれているのは植物油です。患者さんの食事指導で『魚を増やし、肉と植物油を控えてください』と言うと、ほぼ確実にLDLコレステロールが低下します」と田中さん。リノール酸は、植物油以外にも、マヨネーズやパン、菓子類などに多く含まれるので、好きな人は注意しましょう。
「逆に積極的に取りたいのが、EPA(エイコサペンタエン酸)、DHA(ドコサヘキサエン酸)、エゴマ油といったオメガ3系の脂肪酸です。コレステロールの質がよくなり、血管を若く保て、動脈硬化の改善につながります。『コレステロール改善は食事から、特に油から。コレステロールは制限しなくていい』と覚えておきましょう」
 動脈硬化予防_血管年齢を若返らせる5つの食事ポイント
ポイント1
調理に使う油は植物油を避ける
リノール酸の摂取が多い食生活を続けていると、血栓ができやすくなり、動脈硬化を促す重大なリスクとなります。加熱調理には、リノール酸の多い植物油を避け、比較的リノール酸の少ないオリーブオイルを使うと、LDLコレステロールを上げることはありません。サラダのドレッシングなど加熱調理しない場合には、オメガ3系のエゴマ油やアマニ油がおすすめです。

ポイント2
パンや菓子類の見えない油に注意する
トランス脂肪酸は、LDLコレステロールを増やして血管をもろくし、過剰摂取すると動脈硬化や心疾患のリスクを高めます。トランス脂肪酸は、揚げ物やパン、お菓子などに多く含まれています。パンや菓子類を買うときは、原材料に植物油脂、マーガリン、ショートニングとあるものは避けましょう。

ポイント3
週2回は魚料理、または刺し身を毎日食べる
マグロ、青魚など油の多い魚を積極的に食べましょう。EPAやDHAの摂取量を増やすことが、血管の若返りにつながります。魚料理を最低でも週2回、または刺し身を毎日8切れ食べることをおすすめします。調理法は生が一番ですが、煮たり蒸したりした場合は、汁ごと落ちた油も食べましょう。

ポイント4
肉類は赤身を選び、脂を控える
牛肉や豚肉の脂身には、リノール酸が多く含まれています。とはいえ、肉は良質なたんぱく源でもあるので、赤身を選ぶなど工夫して食べるようにしましょう。ポイント3で、魚の油はしっかり食べるように伝えましたが、肉の場合は逆です。なるべく脂を落として食べるように心掛けてください。

ポイント5
卵は油を使わずに調理すれば、むしろ食べるべき
女性では卵の摂取によりLDLコレステロールが上昇するという研究結果がありますが、それは卵の調理法が大きく影響していると考えられます。油を使う卵焼きや炒り卵は控え、ゆで卵や生卵で食べましょう。卵は貴重な必須アミノ酸の供給源なので、調理法に気を付け、むしろ積極的に取るべきです。

■教えてくれた人
ニコークリニック院長/循環器専門医
田中裕幸さん
たなか・ひろゆき 1954(昭和29)年生まれ。長崎大学医学部卒業。九州大学医学部皮膚科、久留米大学第三内科(循環器)を経て、医療法人ニコークリニック開業。日本性差医学・医療学会評議員、更年期と加齢のヘルスケア学会幹事、女性医療ネットワーク理事などを務める。著書に『男は40代、女は50代から悪玉コレステロールの罠にはまるな』(青萠堂刊)。


あまり語られない「ママ友」の関係が複雑な理由

2021-10-29 15:30:00 | 日記

下記の記事は東洋経済オンラインからの借用(コピー)です

妻が口をきいてくれません』『消えたママ友』『ママ友がこわい』『離婚してもいいですか?』――。漫画家、野原広子氏の作品はどれも胸にチクリと刺さる。一連のタイトルからわかるように、ほのぼのとしたタッチで描かれるのは、1つひとつの出来事はささやかながら、ボディーブローのように心を圧迫する精神的な暴力の問題だ。
ていねいに描いた作品から浮かび上がるのは、子育て世代のリアルな孤独。一見幸せそうな人たちが、いったいなぜ孤独に苦しむのだろうか。
ママ友については誰もあまり語らない
成人した娘を持つ50代の野原氏は、自身の体験や周囲の声、文献などから想像力を広げ、作品化している。子育て世代を描く作品で、重要な役割を果たすのがママ友だが、ここに「闇」があると野原氏は見る。
「夫婦関係については、ちょっと聞いただけで皆さんすごくしゃべってくださるんです。ところが、ママ友に関しては皆さん本当に何も話さない。そこに闇があると感じているので、その雰囲気を吸い取りつつ描きます。1999年の文京区幼女殺人事件をはじめ、ときどきママ友に関する事件は起こっているので、関連記事や本を読み、そこに漂う人間関係の闇も参考にさせていただいています」
『ママ友がこわい』は、いじめ問題を描いている。「一番大切な子どもから始まっているママ友同士の関係は繊細で、ちょっとしたことで崩れる、と感じています。打ち明け話もするけれど、突っ込んだ話はしない。敵に回しちゃいけない相手。説明が難しいですね」と考えながら言葉を選ぶ野原氏。
子育てという「仕事」をする同僚みたいな関係ではないか、と聞くと、もう少し深い関係だと野原氏は説明する。「子どもが小さいときは、ママ友がおむつを替えてあげたり、よだれを拭いてあげたり、モノを食べさせたりすることもあるんです。そうすると、その子のお母さんは一気に心を開く。ほかにそういう関係性は見当たりません」。
ではなぜ、そんな仲よしのママ友同士で大事件が起こるのか。「ママって全力で何でもやるから、コミュニケーションのちょっとしたつまずきで相手が裏切ったと感じてしまい、ヘンな方向に行くのかもしれません」と野原氏は言う。
ある日、仲よしだったママ友に何も告げず失踪する女性を軸に描いた『消えたママ友』からは、ママ友たちの孤独がくっきりと浮かび上がる。野原氏によると、母親の孤独には3つの要因がある。
母親たちを孤独にさせること
1つはSNSでの情報交換が活発なため、周囲の視線が気になり、「楽しくなきゃいけない、幸せじゃなきゃいけないということが、頭のてっぺんにある」ということ。しかし、そうした孤独は、SNS以前の時代にもあった。
「私自身、子どもが小さいときはとても孤独を感じていました。お母さんは幸せで当たり前、いいお母さんで当たり前と思われている。おっぱいが出ないだけでも、『じゃあもっと努力しろ』、と世の中から突き放される」
2つ目の要因は、そうした世間の側の問題だ。
「小さい子どもを抱えるママは肩身が狭い。『妻が口をきいてくれません』の中で、バスの中で子どもがぐずったら、乗り合わせた男性に怒鳴られた、と妻が話すシーンがあります。それは私が実際に目にした場面がもとになっています。バスで泣く子に対しておじさんが『うるさい!』と怒鳴った。席が遠かったので何もできなかったんですが、申し訳なさそうに降りるお母さんの姿が心に残っています。母親はしっかりしろ、というプレッシャーが強いから孤独なのかもしれません」
『妻が口をきいてくれません』は手塚治虫文化賞を受賞した(野原広子/集英社)
3つ目の要因は、家族の中でも孤独なこと。先のシーンで妻の話を聞いた夫は「それはママが悪いよ」と決めつける。味方になってほしい夫が、世間の側に回ってしまう。母親の孤独の最大の要因は、夫婦関係ではないだろうか。
「夫婦の話をいろいろな人に聞くと、壮絶な話は多いんですけど、あえて普通のところを拾って描かせていただいています」と野原氏。十分に怖い描写が多いが、現実はマンガの上を行くらしい。
『妻が口をきいてくれません』を描いたきっかけは、知り合いの男性から「うちの妻が口をきいてくれないんだよ」というぼやきを聞いたこと。インターネットで検索したところ、「すごい数の『妻が口をきいてくれない』という投稿が出てきて、読んでみると、『家に帰りたくなくて動悸がするほどひどい』『精神科に通っている』といった人も多い。家に帰った途端、妻が明かりを全部消したことがショックだった、という人もいました。
私自身も夫に口をきかなかった時期があって、何となくやっていたことだったんですけれど、調べて初めて夫たちの苦しい状況を知りました。男性はこんなに繊細なのか。大変だなと思って、作品化の方向を探り始めたんです」
妻と向き合わずに「逃げる」夫たち
一方で、この尋常ならざる事態に対し、「妻と向き合うのではなく、別のところに行く人が多い。同作中でも夫はアイドルに逃げる。旦那さんも仕事で疲れているのはわかるんですけど……」。
妻も向き合わず、口をきかない戦略に出るのはどうなのか。「女性には、察してくれないとあきらめてしまう人が多いのかもしれません。男性から見れば『エスパーじゃないんだから』となる。でも、口で言うとムカつかれるのを知っているから、妻は話さないのではないでしょうか。他人は話し合えばわかる、と簡単に言いますが、それができないから皆さん悩むのです」。
『妻が口をきいてくれません』(野原広子/集英社)
夫婦2人だけで子育てをするのではなく、両親などほかに頼れる人がいれば改善するのでは、とも単純に言えない。『消えたママ友』では、祖母が手伝いの口実のもと、跡継ぎとなる孫を取り込んで母親の出番を奪っている。その関係性も、野原氏が実際に聞いた話がもとになっているという。
「結婚前からつき合いがある友人が、子育てが終わってから打ち明けてくれた話なんです。お姑さんとちょっと仲が悪いのかなとは思っていたんですが、おばあちゃんが孫を抱いているのを見ても過呼吸になるほど追い詰められ、結局別居。それを今になって打ち明けることにも衝撃を受けました。本当に深い悩みは、誰もわかってくれないだろうと思って、友人に言わないことも多いかもしれません」
確かに年齢が上がるほど、悩みは複雑になり、親友であってもそうたやすくは打ち明けられない。そして母親ならではの最大の苦しみは、母親の役割からは逃げ出せないことではないだろうか。
「世間は冷たい、家族も理解してくれない。だから、保育園で同じ悩みを共有できるママ友が現れると、どっぷり深みにハマっちゃうんです。仲良くなってからの年数も短いのに、すべてを委ねられるような気がして、間違いが起きる。まだ人間として未熟だということに、自分自身も気づいていない。結局、ママ友同士の関係も、みんな失敗しながら学んでいくのでしょうね」
ママ友はそれでも、一定期間が過ぎれば離れることができる。ママ友同士のトラブルは、歳月を重ねれば記憶が薄れることもある。野原氏は、ママ友問題を描くことに決まったとき、編集者からトラブルの体験はなかったか聞かれた。
「平和でしたよ」と答えていたにもかかわらず、描き終えてから「すごいのがあったわ」と自身の体験を思い出したという。行動範囲が広がり視野が広がると、ママ友との関係は変化することもある。そして、子どもの手が離れれば薄れがちな関係性でもある。
「夫より大事なものがある」から離婚しない
問題は夫婦関係だ。離婚するかどうか悩む女性を描く作品もある野原氏自身、離婚している。直接的な離婚の要因ではないものの、子育てはワンオペ状態だった。
「私の親は遠くにいましたし、夫がとにかく家にいない人だったんです。娘が赤ちゃんのときは、家の中で事故を起こさないか心配で、1週間自分の髪の毛が洗えないときもありました。近くに義母が住んでいたので、義母と2人で育てたような感じでした」と話す。
実際に離婚をすると、見えてくることがあるという。
「離婚したいと思っていたときは、周りの友人たちも『離婚する』と言っていたのですが、結局本当にしたのは私だけ。断念した理由を聞くと、経済的にやっていけないという人が多いです。熟年離婚をしようとしたら、成人した子どもに止められた人も。いくつになっても、子ども中心という人はいるんですね。
離婚を恥と考える年上の世代には、『旦那が死ぬまで我慢する』という人もいます。離婚をすると、長年住んだ家や地域、友人を捨てなければならなくなる。夫よりも大事なものができていることが、離婚しない要因になるんです」
夫婦関係を再構築する糸口が見えたから、ではなく、結婚生活を支えるその他の要因ゆえに離婚しない。しかし、話し合いをあきらめて口をきかなくなっても向き合おうとしなかった夫とは、うわべだけの関係しか続けない。密かにそんな結論を下した妻と同居を続けている男性も、実は多いのかもしれない。本人が気づいていないだけで。
野原さんから話を聞くと、母親たちのつらさは単に孤独なだけでなく、孤立しているからとわかる。ママ友とは親しいようでいて距離がある。家族からも母親としての責任を押しつけられる。世間の眼も冷たい。本来子どもは、育っていくうえで何人もの手助けを必要とする。
今は大きな顔をしている大人たちも、たくさんの人の手を借りてきたから今があるのだ。それなのに、母親に全責任を押しつけ子どもを排除しようとしている。せめて母子を温かい目で見つめる寛容さが、私たちには必要なのではないだろうか。
阿古 真理 : 作家・生活史研究家


甘いだけじゃない ハチと人の蜜なる暮らしの滋味

2021-10-29 13:30:00 | 日記

下記の記事は日本経済新聞オンラインからの借用(コピー)です

趣味でミツバチを飼う人が増えている。都会暮らしだと虫との接点は薄れがちだが、育ててみれば人と自然とのつながりが実感でき、その自然を人間が翻弄してしまう現実にも気づかされる。「身近な花や木を見る目が変わった」とみな口をそろえる。世話は大変だが、何よりのご褒美は自然の恵みを自ら手にする楽しみ。ハチと人との長いつきあいは甘さだけではない滋味にあふれる。
自然の贈り物 最高の贅沢待ちに待ったニホンミツバチのミツを収穫し満足顔の堀田一芙さん。ハチを飼い始め、家庭菜園の実りがよくなり、カエルやヘビも集まる(神奈川県横浜市)
「今年は天候不順だったから、どうかな?」。6月初旬、横浜市鶴見区の住宅街にある自宅で堀田一芙(74)さんが期待を抑えるようにミツバチの巣箱に目をやった。きょうは春先から働きバチがせっせと集めたミツを絞る、2021年最初の採蜜の日。中空の木枠を4、5段重ねた重箱型の巣箱が庭で待ち構えている。中では上から下へ垂れるように巣が成長し、上部にはミツがたっぷり蓄えられているはず。でも、開けてみないと分からない。
まずは天井をトントン。中のハチにあいさつした後、慎重に最上段の木枠を切り外した。暗闇に突然差し込む外光にハチの群れが算を乱し慌てる。「大丈夫だよ」と声をかけ、ブラシでそっと払いのけると、褐色の光が見えた。
取り出した巣の重さに、表情が緩む。表面を削ると巣穴からミツがたらーり。堀田さんの両手はミツでべっとり。それをぺろり、ぺろりと何回もなめ、「いやー、最高の贅沢(ぜいたく)です」。にじみ出るように笑みがこぼれた。
自宅でのハチの飼育は8年目になる。現役時代は日本IBMでパソコン販売の最前線で指揮を執った。退職後は地方創生事業にかかわり、その活動で知り合った養蜂家から群れを分けてもらって庭に巣箱を置いてみた。だが、最初は失敗の連続だった。病気で全滅したり、夏の日照りで巣が溶け落ちたり。「中途半端な育て方が原因でハチに迷惑をかけ、こちらまで落ち込んだ」。それでも続いてきたのは年間20キロほどの収穫があったからだろう。「料理に使う砂糖はほぼハチミツに変わり、喉の調子がよくなりました」と妻の縁(ゆかり)さん。
住宅街での養蜂は異常発生などが原因で苦情が持ち込まれることもあるが、幸い庭の前が崖地で周りから気づかれないこともあり、トラブルはなかった。近所におすそ分けすると、「こんなところで」と驚かれることもある。堀田さんの庭で採れた蜜をアイスクリームにかける(神奈川県横浜市)
ハチを見ていると自然の変化まで伝わってくる。「向こうに建設中のマンションが見えるでしょう。大きな木があって、うちからも行っていたはずですが」。ハチの行動範囲に花が少なくなればミツの総量は減る。前は庭に巣箱を10以上置いてもそれぞれ十分に採れたが、「庭に置く巣箱の数を減らさざるを得なくなってきた」。
インターネットなどで養蜂の情報が広がり、資材が入手しやすくなった影響もあるのだろう。堀田さんのように、趣味でハチを飼う人が増えている。自宅時間が増え、身近な自然への関心が高まった。そこには、生き物と直接向き合う面白さと難しさがある。
丹沢の麓に広がる神奈川県伊勢原市の梅林では、雨岳自然の会ミツバチ班のメンバーらが養蜂に取り組んでいた。ハチが受粉を手伝うからか、梅がたわわに実っている。指導役の西村光男さん(75)は子供のころからの昆虫好き。化学メーカーで営業を担当したが、引退後に九州大学大学院に入り、天敵昆虫学を学んだ。その知見を生かし20年、ハチの巣の害虫防除用品を販売する会社を作った起業家でもある。雨岳自然の会ミツバチ班は丹沢の麓に広がる梅林に巣箱を置き、世話をしている。木枠を重ねた巣の最上段にミツがたまる。採取後は新しい木枠を一番下に挿入する(神奈川県伊勢原市)
「ハチは一匹ずつ役割が決まっていて、見ているだけで飽きません」と西村さん。群れの大半を占める働きバチはすべてメス。30日ほどの一生の大半は巣の中ですごし、残り10日の命で外に飛び立つ。おとなしい雄バチは交尾が役割で、用が済めば死ぬ。はかない姿に情が移るのか、思わず「この子たち」と語りかけてしまう。手伝っていた1人は、「ハチのおかげで果物が実をつけ野菜が育つ。人間は自然とつながっているのだとつくづく感じます」と話す。
日本には、ニホンミツバチとセイヨウミツバチの2グループが生息している。堀田さんや西村さんが飼う「ニホン」は野生の在来種。小柄で集める量は多くないが、いろんな花が混ざる「百花蜜」が採れる。「セイヨウ」は養蜂のため明治時代に導入された。季節の花に狙いを絞り多量のミツを集める。ただ、病気に弱く手間がかかる。
フリー編集者の杉沼えりかさんは養蜂の本を担当したのをきっかけに、東京都調布市内に自分の養蜂園を開いた。畑を借り5群のセイヨウを飼う。今年採取した桜のハチミツをなめてみた。口の中に季節外れの薫りが広がった瞬間、外出自粛で遠く眺めるだけだった今年の桜の記憶がよみがえった。
ハチミツはその土地と季節の花を閉じこめるタイムカプセルのようなものだ。季節と場所が変われば花の種類も変わる。「同じ桜でも、日によって、年によって風味が変わる」(杉沼さん)。それを味わい分ける楽しみがある。深大寺養蜂園の杉沼えりかさんは素手でハチを触るが、「こちらが刺激しなければさされることはない」(東京都調布市)
と書いてくれば、人とミツバチが共存する美しい物語を想像するが、自然の掟(おきて)は人間が思い描くほど甘くはない。ミツバチ研究の第一人者である佐々木正己・玉川大学名誉教授は「自然に関心を持つ人が増えるのは好ましい」とした上で、こうも指摘する。
「特定地域でミツバチだけ増えれば同じ蜜源に頼る他の昆虫と競合する。生態系にも影響を与える可能性がある」。ハチがミツを集めるのは冬場を乗り切るため。人はそれに横から手を出す。懸命に生きる小さな昆虫の複眼に現代の虫愛づる人はどう映るだろう。
持続可能な生活のヒントにミード専用の発酵タンクをかき交ぜる峰の雪酒造場の佐藤利也社長。このタンクで年間6000リットルを醸造する(福島県喜多方市)
夏も残雪を頂く飯豊山系の伏流水と内陸の冷涼な気候が、会津盆地の酒造りを支えてきた。峰の雪酒造場(福島県喜多方市)はこの地で創業し80年近い。訪ねると、薄暗い蔵に真新しい金属タンクが置かれ、中では発酵の細かい泡がはじけていた。「味見しますか?」。4代目社長の佐藤利也さん(63)が勧める、薄オレンジに濁る液体を蛇の目のぐい呑みで受けた。日本酒にはない甘い香りが広る。「仕込み2日目のミードです」と佐藤社長が種明かしをする。
と言われても、なじみがないだろう。ミード(Mead)はハチミツを発酵させて造る酒で、ビールやワインよりずっと歴史は古く、世界最古の酒ともいわれる。ポーランドなど欧州東部でよく飲まれ、米国では近年ミーダリーという専門の醸造所が増えている。それにしても、なぜ会津の老舗酒蔵が?
会津はハチミツ産地でもある。米国暮らしの経験がある養蜂業者から「会津のミードを造らないか」と持ち掛けられた。07年のことだ。「そんな聞いたこともないもの、無理」と即座に断ったが、酒造りの意地がもたげた。「清酒の技術があればいけるだろう」
すぐ壁にぶつかった。古くは薬品としても使われたハチミツは殺菌作用が強く、そのままでは酵母が働かない。蔵の仕込み水でハチミツを薄め、日本酒酵母をひと工夫して加えてみると、発酵が進むことを突き止めた。水で3倍に希釈したハチミツと日本酒酵母を入れたタンクの中では細かい泡がはじけていた。約25日の発酵期間を経てミードが完成する
ところが、できた液体はドブロクのように濁っていた。これをどうろ過するかが次の関門。通常のフィルターでは成分が細かすぎて取り除けない。ここで応用したのが「オリ下げ」という手法だった。清酒造りで使う添加剤を濃さを変えながら混ぜていくと、「ある濃度で濁りがすーっと沈んだ」。
08年、本格醸造に踏み切った。きんと冷えた最初の1杯を口にした佐藤社長は「こんなうまい酒飲んだことない」と驚いた。以来、日本酒は息子に任せ、ミードに没頭。蔵を訪ねた日に仕込んでいたのがちょうど90本目のタンクだ。
欧米は薬草などを添加したリキュールのような味わいが多いが、杜氏が醸すジャパニーズミードは地元の水とハチミツにこだわる。トチのミードは樹齢30年以上の木からしか取れない貴重なミツを使う。「菩提樹」も会津の森が原産。アルコールは10%未満で飲みやすく、貴腐ワインのような味わいの後に木の薫りが広がる。蕎麦(そば)のミードは少し変わっている。古酒に似た褐色でどっしり。土地の素材が個性をつくる。ボシックさんが最初に発売したPATHFINDERはハス、菜の花、アカシア、トチの国産ミツを使い、フランスと日本の酵母で醸した。貴腐ワインのような上品な味と香りが特徴
東京都町田市に住み、日本の映画やドラマに出演する米国人俳優のエリック・ボシックさんは自ら書いたレシピによるミード製造を18年から峰の雪酒造場に委託し、ネットなどで販売する。子供のころ、リトアニア出身の祖父がミードを造っていた覚えがある。後にチェコを旅行し、「古城で飲んだミードの神秘的な味わいのとりこになった」。
6月発売の新製品「RISE&SHINE」はフランスのワイン酵母で発酵させ、国内のウイスキー醸造所で5カ月樽熟成した。飲むとチョコレートような芳香が残る。20年発売の「RING OF FIRE」はリンゴのハチミツを焦がし、バニラビーンズを加えた。いずれも個性派で海外産の原料も使うが、共通点は国産のハチミツ。「日本で造るのだから、日本のテロワールにこだわりたい」米国人俳優のエリック・ボシックさんがレシピを書いたミードは、ハチミツを焦がしたり、樽で寝かしたりと個性派ぞろい。ただ、材料のハチミツは日本産にこだわる(東京都町田市)
7月5日、IT企業経営の工藤宏樹さんと、ロシア生まれで東京農業大学を卒業したエレナさん夫妻に待ちに待った「その他の醸造酒製造免許」が届いた。2人が暮らすのは最近ウイスキーの街として知名度が上がる埼玉県秩父市の隣の小鹿野町。ミード専門の醸造所をつくるため20年、東京都内から移り住み準備してきた。名称は町名を英訳した「ディアレットフィールド醸造所」と決め、町の廃校を借り、醸造スペースも確保してある。「トチなど地元のハチミツを使ったオリジナルのミードを造りたい」とエレナさん。10月ごろには最初の製品がお披露目できそうだ。
ミードへの関心が高まっているのは、手を伸ばせばそこにある自然がもたらす恩恵への素直な驚きと感謝があるからだろう。ミツを絞りきった巣を加熱すれば蜜蝋(みつろう)が取れる。人間は古来、蜜蝋に保湿性や殺菌力があることを知り、ワックスにローソクにと、余すところなく活用してきた。加藤和歌子さんが手作りする蜜蝋のラッピング。自然の耐水性や抗菌性があり、食品容器のカバーなどに適している(東京都調布市)
調布市の主婦、加藤和歌子さんは出産後に体調を崩したのをきっかけに天然素材への関心が高まり、市販の蜜蝋を使ったラッピングやクリームを手作りしてきた。20年からは調布市内で養蜂する「深大みつばちプロジェクト」に参加し、7月10日に初めて蜜蝋を取り出す作業をした。「思った以上に大変でほんの少ししか採れませんでした。その分ありがたさが身にしみました」
自然や生き物を酷使することなく、共存可能な範囲で恩恵を無駄なく利用させてもらう。ハチと人の長い付き合いからは、持続可能なライフスタイルへのヒントも見えてくる。
田辺省二


小室眞子さんは“甘い”「肉じゃが」新婚生活も、義母の職場は絶縁で「もう知らない」

2021-10-29 10:00:00 | 日記

下記の記事は週間女性プライムからの借用(コピー)です。

 10月26日─、この日がついに訪れた。
『聴覚障害者教育福祉協会』の松本末男専務理事は、ご結婚を祝福しつつ、感慨深げにこう話す。
「眞子さまには、'14年に紀子さまとともに『聴覚障害児を育てたお母さんをたたえる会』にご出席いただいたのですが、当時のことを知る桜井博専務理事は、今年3月に亡くなってしまいました。
 桜井専務理事は、眞子さまの結婚問題をとても気にかけていました。いつも“どうなるのだろう”とすごく心配していて……。こうして、結婚が決まったことを聞いたら本当に喜ぶと思います」
「誠実に生きていく」覚悟
 婚姻届を提出する3日前の10月23日には、眞子さんは30歳のバースデーを迎えられた。
「お誕生日に際し、宮内庁はお住まいの赤坂御用地で撮影された6枚の近影を公開しました。眞子さんにとっては、皇族としての最後の公式写真になりました。そのうちの1カットには、物憂げな表情で赤い実を見つめられるお姿がありました」(皇室担当記者)
 赤い実の正体は『カラスウリ』。夏の夜に白い花を咲かせ、秋になると朱色の実をつけるのが特徴だ。
「眞子さんは、今年3月に行われた『歌会始の儀』でもカラスウリの和歌を詠まれました。ご自身の考えなどを公にする機会が少ない皇室の方々にとって、『歌会始』で詠む短歌は“お気持ち”を表に出せる貴重な機会でもあり、何らかのメッセージがあるとも推測されています」(同・前)
 カラスウリの花言葉は“誠実”。和歌に引き続き、最後のお誕生日写真でもカラスウリが登場したのは、偶然ではないだろう。
「“誠実さ”は、眞子さんがこの30年間、何よりも大切にされてきたこと。実際に、異例の結婚が決まってからも、卑屈になられることなく、公務やご親族への挨拶をきちんとこなされました。
 そんなご自身の姿勢をカラスウリの花言葉に重ねられ、“皇室を離れてからも、誠実に生きていきます”というメッセージを、国民にお伝えしたかったのではないでしょうか」(皇室ジャーナリスト)
 眞子さんが強い覚悟を暗示されるのには理由もある。
「民間人となられたら、生活はこれまでと一変します。例えば、納税や保険加入が必要になりますし、ガスや水道、スマホの契約もご自身で行わなければなりません。環境の大きな変化に適応すべく、努力することが求められるのです」(宮内庁OB)
 孤軍奮闘の大変な日々が想定される一方で、眞子さんが“奥さん”として輝く姿を想像している人物がいる。香川県にある旅館『紅梅亭』の料理長・武田利史さんだ。
いまだに燻る佳代さんの職場トラブル
「日本を離れるとお聞きしており寂しく思いますが、素敵なご家庭を築いていかれると思います。ぜひ、NYで甘みの染み込んだ肉じゃがをお作りください」
 武田さんは、'13年6月に英国・在エディンバラ日本国総領事館で開かれた日本食のPRイベントで、留学中だった眞子さんに日本料理の説明をした。
「肉じゃがの説明をした際、眞子さまからは“エディンバラのじゃがいもや人参はどうでしたか”とご質問がありました。“少しかためで甘みが少なかったので、お砂糖でしっかりと煮詰めてからお醤油で味を調えました”と説明すると、“おいしそうですね”と透き通るような笑顔でおっしゃったのが忘れられません。その後も、私が説明しやすいように相槌を打ってくださり、気持ちよく説明できました」(武田さん)
 その後、眞子さんに夕食として、肉じゃが、お寿司、すき焼き、胡麻豆腐、味噌汁などを振る舞ったという。
「お箸を用意するのを忘れてしまったのですが、眞子さまは自ら調理場に取りにこられました。食事後には、眞子さまが食器を厨房まで運んでくださり、“ご馳走様でした。肉じゃが、野菜に甘みがしっかり染み込んでいておいしかったです。ありがとうございます”と、あたたかいおことばをちょうだいし、思わず涙ぐんでしまいました」(同・武田さん)
赤坂御用地に自生するカラスウリの実を見つめられて('21年10月6日)
【写真】小室圭さん、眞子さまではない外国人美女と笑顔で密着
 このとき、すでに眞子さんは小室さんと交際されていた。武田さんの説明に熱心に耳を傾けられる一方で、いつか彼に手料理を振る舞う日を夢見ていたのかもしれない。
 それから8年─。いよいよ結婚生活が始まる。
 結婚に先立ち、新郎の母・佳代さんは……。
「今年6月、佳代さんは職場の洋菓子店に対し“更衣室でアキレス腱を断裂した”と労災を主張。目撃者がいなかったこともあり、お店側は困惑していました。
 その後、佳代さんは無断欠勤を続けたため、洋菓子店の社長は“懲戒解雇も視野に入れている”と話していました」(前出・皇室担当記者)
 そんな中、佳代さんはとあるアクションを起こしていた。
「ケガの治療費や休業補償を給付してもらうためには、労災申請書を『労働基準監督署』へ提出し、労基署職員による調査のうえで、労災だと認定される必要があります。
 10月中旬、佳代さんは労基署へ書類を郵送していました。洋菓子店と接触することなく、トラブルを収めることができるように手配したのでしょう」(秋篠宮家関係者)
 事情を聞くべく、洋菓子店の社長のもとを訪問。佳代さんの名前を出すと、
「もう知らない。関係ないから。正式に辞めたと言っていいのかどうか……。とにかくもう来ませんよ」
姑との同居生活へ
 15年近く勤めた洋菓子店との縁が切れてしまった佳代さんだが、そんな不安を紛らわしてくれるのも、新たな家族の一員だった。
「眞子さんは、パスポートやビザを取得して渡米するまで都内の高級マンションに滞在しています。ただ、いずれは小室さんの実家である神奈川県横浜市内のマンションに一時的に生活される可能性があるのです」
 そう明かすのは、前出の秋篠宮家関係者。10月中旬、ある引っ越し業者が小室さんの自宅マンションに数箱の段ボール箱を搬入。関係者の間では「眞子さまの私物では」という話が上がっていた。
「小室さんの実家前にはポリスボックスが設置されていて、近隣住民も厳戒な警備体制に慣れています。それに、一定期間だけでもこの家に身を置かれれば“公金から住居費が捻出されているのでは”と、さらなる批判を浴びることもありません」(前出・秋篠宮家関係者)
 しかし、小室さんと過ごせる時間はつかの間だという。
「職場の弁護士事務所に“早く戻るように”と急かされている小室さんは、結婚後すぐにNYへ飛び立つ見通しです。つまり眞子さんは、佳代さんと小室さんの祖父である國光さんと同居されることになります」(同・前)
小室圭さんの祖父・國光さんと眞子さんと小室佳代さん
 秋篠宮ご一家が'19年2月から仮住まいとされていた、3階建ての延べ床面積が約1378平方メートルの『御仮寓所』から、約50平方メートルの2DKのマンションで、姑と義祖父との3人暮らし……。
「眞子さんは“小室さんの妻”という自負を強くお持ちですから、小室家にうまく溶け込むことができると思います。それに小室さんが不在だからこそ、嫁姑間の“取り合い”が起こるのではという余計な心配事もないでしょう」(前出・皇室ジャーナリスト)
 決意を胸に、眞子さんは小室家の敷居を跨がれる─。


命に関わる心臓だからこそ予防が大切 肥満を改善し動脈硬化を防ぐ

2021-10-29 08:30:00 | 日記

下記の記事は日刊ゲンダイヘルスケアデジタルからの借用(コピー)です。


 日本人の死因のトップは「がん」だが、1985年以降、「心臓病」は「脳血管疾患」を抜いて第2位になっている。その原因は心臓に負担のかかる生活習慣が増えているからだと考えられている。しかも新型コロナ禍による巣籠り生活はそれに拍車をかけたといわれる。何に気を付ければいいのか? ニューハート・ワタナベ国際病院の渡辺剛総長に聞いた。

 ◇  ◇  ◇

「医療の本質とは、病気を治すことだけではなく、病気に苦しむ人に、現状での最大の満足を届けることにあると確信しています。しかし、最も大事なことは病気にならないことです。とくに心臓病は命に関わる病気ですから、予防が大切です」

 心臓は1分平均で約70回、1日約10万回、休むことなく拍動している。生涯で30億回程度動き、1回の拍動で70~80mlの血液を、全身で約10万キロの長さだといわれる血管に送り出す。

むろん、拍動の回数はいつも同じではない。子供は大人より脈拍数が少し早く、精神的緊張や運動により増える。病気で発熱したときも増え、体温が1度上がるごとに1分間の脈拍が10~20回増えると言われている。

 臨機応変にこれだけ酷使されている心臓や血管は、年齢を重ねるごとに機能が衰え、病気になるのは当然。年齢が上がるにつれて突然死の引き金となる狭心症や心筋梗塞を発症しやすくなる。

 狭心症とは心筋(心臓を動かす筋肉)に血液を送る冠動脈が動脈硬化を起こして狭窄し、心筋が酸素不足に陥る病気のこと。心筋梗塞は冠動脈が閉塞する病気を指す。狭心症と心筋梗塞を合わせて虚血性心疾患というが、平成30年の厚労省患者調査によると、その数は男性が35歳から、女性は30歳から増えている。

「その年代は心臓病を引き起こす8つのリスクが重なりやすいからです。①高コレステロール血症②高血圧③高尿酸血症④糖尿病⑤喫煙⑥肥満⑦ストレス⑧家族歴(心筋梗塞の家系)です。これらはすべて動脈硬化につながります。このうち①~⑦は新型コロナ禍の巣籠り生活でアップしたと考えられます。ここ1年の間に外来でフォローアップしている患者さんの多くは、LDLコレステロール等の悪玉コレステロール値が以上となっていることが見受けられました」

■肥満になるとなぜ動脈硬化が進むのか

 では心当たりのある人はどうしたらいいのか? まずはこれらの数値を調べるために持病のある人は病院で調べてもらうことだ。健康な人も可能なら健康診断を受けるのが良いだろう。そうしたことが難しいという場合は、体重を計り、新型コロナ前よりも重くなっているようなら体重を減らすことを目指すといい。

「そのためには、塩分、糖分、脂肪分の多い食事を避け、ウオーキングなど呼吸をしながら行なうような有酸素運動を日常生活に取り入れることが大切です。運動は無理する必要はありません。息が切れない、軽く汗をかく程度の運動を、少しでも毎日続けて肥満を解消すれば動脈硬化は防げます」

 そもそもなぜ肥満になると動脈硬化が進むのか? カギを握る要素のひとつは白色脂肪細胞だ。肥満が進んだ白色脂肪細胞からは悪玉の因子を放出するように“不良化”してホルモン分泌が異常になる。

 たとえば、動脈硬化を抑えるなどの働きがあるホルモンのアディポネクチンの分泌が減少する一方で、食欲を抑えるレプチンが効きにくくなり、血液中からブドウ糖の取り込みを抑制するTNFーαやレジスチン、血管を収縮させる物質の材料となるアンジオテンシノーゲンの分泌が増加する。

 その結果、高血糖によって血管内皮が傷ついたり、血管が収縮して細くなって血圧が上がり、血管壁を傷つけたりする。さらに、血管の素材となるコレステロールがどんどん供給されて血管内に蓄積し、それを処理するためのマクロファージの死骸も重なって堆積。血管が膨らみ本来のしなやかさを失い、急速に動脈硬化が進むことになる。

「ほかに気をつけたいのはがん患者さんです。心臓に影響を与える抗がん剤も少なくありません。がん患者さんは定期的に心臓の検査もした方がいいかもしれません」

渡辺剛
心臓血管外科医
1958年東京生まれ、ニューハート・ワタナベ国際病院総長。日本ロボット外科学会理事長、心臓血管外科医、ロボット外科医、心臓血管外科学者、心臓血管外科専門医、日本胸部外科学会指導医など。1984年金沢大学医学部卒業、ドイツ・ハノーファー医科大学心臓血管外科留学中に32歳で日本人最年少の心臓移植手術を執刀。1993年日本で始めて人工心肺を用いないOff-pump CABG(OPCAB)に成功。2000年に41歳で金沢大学外科学第一講座教授、2005年日本人として初めてのロボット心臓手術に成功、東京医科大学心臓外科 教授(兼任)、2011年国際医療福祉大学客員教授、2013年帝京大学客員教授。