☆入院中や自宅待機中に、普段からから考えていた事や書き留めていた事を整理してみました☆
2020年、コロナ禍において、今まで当たり前にあると思っていたこと・ものが、あたりまえではなかった事に、改めて気付かされた年でした。
仕事がある、学校に行く、お店にはいつでも物がある、病気になれば病院にいける、友達と会う、旅行に行く、帰省する、離れて暮らす家族に会う、、、など。
そして自分や家族、大切な人達が健康で生きている。
今まであたりまえと思ってたけど、そんなあたりまえの日常に感謝することを忘れていた。
医療現場のあたりまえ
医療現場において必要物資が無いというのは、どこか遠い国の発展途上国のことという感覚がありました。
病院では最近でこそ大分安定供給されるようになったけど、マスクやガウン、アルコールなど、感染対策に必要不可欠な医療品が不足していた。
私の職場では、ガウンは寄付された雨がっぱ、メディカルキャップはシャワーキャップで代用。(小学生がポリ袋で手作りした防護具が寄付されたというニュース、かなり衝撃的だった。子供達の善意は嬉しいけど、その分複雑な気持ちになったよね😓)
サージカルマスクは1週間使う(N95マスクは破損or目に見えて汚染するまで)、ていう今までにない事で、まさか先進国の日本でこんなこと経験するなんてと思った。
正しい感染対策も出来ずにコロナ対応するなんて、わざわざ感染しに行くのと同じです。(アベノマスクに対する憤りは、ほぼ全ての医療従事者が抱いたのでは?)
でも医療現場に医療品や薬などが豊富にあるのは、先進国で恵まれた環境にいるという証。プラス、健全な病院経営や、物品調達のために日々尽力して人達がいる事、製造工場や物流などが正常に機能して成り立っている事を忘れがちでした。
手厚い医療
日本ではよっぽど過疎地や離島・山奥でもないかぎり、緊急時は救急車が無料で駆けつけてくれるし、保険証があればいつでも医療機関にアクセスできます。
100歳近い認知症で寝たきりの高齢患者さん、透析患者さんで両足切断・寝たきりで予後もそう長くないと思われる患者さんでも、保険診療で心臓カテーテル治療や、脳アンギオ治療などをできる国だから。
他の先進国のことはよくわからないけど、すごく恵まれているというか、手厚いというか、、。
個人的には、色々思うところはある。
日本にずっといると、医療は本当に貴重な社会資源という事に気付かないか、忘れがちになるんじゃないかなと思う。
でもこのコロナ禍での医療崩壊で、手術や検査が延期されたり、救急診療がストップしたりして、今までのあたりまえが崩れてしまいました。
いまでこそPCR検査は医師の判断で施行できるけど、最初の頃はわざわざ保健所に問い合わせして、保健所の指示がある場合しか出来なかった。コロナ以外にも発熱の症状が出る病気の場合、診療や治療が遅れてしまうケースも。
コロナ禍において、フランスやイタリア、アメリカなど先進国でも〝命の選別〟が必要な状況に陥った。
そういう事を報道やネットで知ることで、日本の手厚い医療や死生観について、考えたり話したりする機会が増えたと思います。
信仰と死生観
同僚達と“死生観”について話していたとき、でてきたキーワードの1つに“宗教”がある。
日本人は宗教にはあまり縁がなくて、“死”について考える機会が少ないよね、と。
たしかに、子供の頃は道徳教育などで“命の大切さ”について学んだり考えることはある。
でも肉親や身近な人の死や病気、自分の病気などの経験が無いと、“死”について考えるきっかけが無いと思うんです。
モロッコ赴任中のことだけど、活動の中でモロッコ人の死生観について考えたり、複雑な思いを抱くことがあったので、他の医療隊員さんと思いを共有したり、意見を交わす機会があった。
その中でも何度か出てきてキーワードは、“宗教”。
イスラム教では死後の世界“パラダイス”をみんな信じていて、肉体は魂の来世までの一時的な仮物という解釈があります。
みんな子供の頃からコーランを読んで、死後の世界のことを教えられて育ってます。
それに普段の生活の中で、死が身近にあります。人間の死だけでは無くて、例えば羊の犠牲祭や、普段口にする鶏肉。
(パックに詰められたお肉しか食べたことなかったから😓)
鶏肉は市場で、生きた鶏をその場でしめてお肉にしてもらう。
羊の解体なんかは初めて見た時、めっちゃ衝撃的だったんだけど、モロッコの人々は子供の頃から日常的なこと。
生きてる動物を殺してお肉にする、毎日命を頂いていることを実感します。
モロッコ赴任中は命はそんなに大事じゃないの?と思ってしまう場面やエピソードを見聞きすることがあったので、イスラム教の死生観に関する無知や誤解で、葛藤することが何度かありました。(特に新生児や子供に関する事。)
でもそれはらは、(全く無関係じゃないけど)宗教とは切り離して考え無くてはいけないことだった。
モロッコの人達は命を大切にしている。肉親や身近な人が亡くなった時は悲しい。
神様が決めたことなんだよと諦めるしかない現実があって、信仰が心の支えになる。
イスラム教について長年研究されている方が、より良い死を考える事はより良く生きる事に繋がる、と話していました。
私はイスラム教徒ではないのですが、イスラム教の死生観については学ぶことが多いのかも、と思う。
宗教にも縁遠くて、日常生活の中にも死が身近にない私達は、家族と死につい話したり考えたりする機会をつくってみなくちゃですね。
👇モロッコで体験したラマダンに関する記事です✨