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Carpe Diem

シンシナティ大学で都市計画を勉強していた、ある大学院生の物語。現在はマンハッタンで就活。

修論(ほぼ)終了。

2013-02-27 13:06:31 | study abroad
修論を100ページほど書いて、昨日先生に提出した。
ずっと去年の夏にタイに行って情報収集したりして、
大学院生活の中で一番頑張ったことがようやく終わろうとしている。
まだディフェンス(先生の前で発表)、校内でのポスターセッションが二つと、
そして学会発表がまだ残ってるけど。
自分のなかでできるとこまで(時にはそれを越えて)やったはずなのに、
今日の夜2時に先生にメールに添付して、送信して終わったはずなのに、
全然嬉しいとか、ほっとしたとかなくてまだ何とも言えないような気持ちなのが正直な所。

でもこれでともかく今まで卒論に集中していた分の時間をもっと他のことに
使えるというのは嬉しい。残りのたった2ヶ月を何に使おうか。
就活もまだ進んでいるけど、もっと友達としっかりと思い出に残る時間にしたい。
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Peter Walker

2013-02-12 16:03:44 | study abroad
昨日はNYの911メモリアルのランドスケープをデザインしたPeter Walkerが講演に来てくれた。
彼はPWPというlandscape firmを主宰していて、そのコンペ以降は世界中にその名が知られるようになった。
(僕はその講演を聞くまで、誰だか全く分からなかったけど)

Peter氏の話はこうだった、
911メモリアルのコンペには5000以上の案(グループが)参加したそうだ。
その中でBest 8まで選ばれた, Michael Arabから急遽電話が掛かってきて、
彼らの事務所にランドスケープの依頼が来た。
それに対してその作品のアイデアに共感して、参加することにしたとのこと。
こうやってお互い会ったこともないのに、電話やファックスを通じてやり取りしていき、
案をどうにかこうにか練り上げていた。

そしてPeterがイギリスで仕事をしている時にMichaelから突然電話が掛かってきたて、
911メモリアルのミーティングをNY市長などが開くからすぐにアメリカに戻ってくれとのこと。
それに対して多くの仕事をイギリスに残したまま、翌日の航空券を買って、アメリカに戻り、
そこで始めてPeterはMichaelに会い、ミーティングで話すことの打ち合わせをした。

数日後にPeterはMichaelから電話をもらい、彼らの案が当選されたということを聞いたらしい。
しかし、そうなると来週にパブリックの公聴会が予定されているので、そこからの5日間は大急ぎで、
スタッフ一同で必死になりながら、モデルを作ったり、レンダリングをしたりしてどうにかくぐり抜けた。

そうパブリックの取材でコンセプトを説明すると、今度は色々とディテールを決める作業に入ってくる。
どういう木を使うか、どういう石材を使おうか、そしてどう細部を配置をしようかなど。
メモリアルにある岩はわざわざイタリアからドリ併せたよう。
そして合同で建設に携わるエンジニアたちと色々とトラブルがあったりなどと。

普段、学生の僕たちはなかなか現実のプロジェクトがどうすすむのか分からないから、
本当に彼のプロジェクトの緊張感やフラストレーションがよく伝わってきた。
かれは僕よりおよそ80歳とは感じないぐらい元気で、エネルギッシュだった。
きっといつも色んな刺激がある世界って素敵だな。





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2年間

2013-02-09 13:58:57 | study abroad
昨日で100ページほどの英語の修理論文の原案を書き終えた。
それをルームメートに見せたら、
「まるで人生の集大成ですね」と褒められた。
この論文は去年の夏にタイにインターンシップをする前から
情報収集を始めて、
夏にタイに行った時に現地でしか手に入らない情報を探しまわって、
そして大学に戻ってからその情報を基にして書いた論文だ。
もしかしたら大学院で一番時間をかけて取り組んだことかもしれない。
確かにここには2年間での色んな集大成が詰まっている。

そう、個人的に感じるのがアメリカでの2年間ってまるで人生が詰まっている。
特に日本や海外から来ると、今までの人生とは全く別世界だから、
その新しい世界に対して自分をどう定義していくか、
どんな生活をしたいかというのは、
きっとよく理解している今までの世界(日本)よりフレキシブルになっていくる。

ここではアメリカの大学院では単位をとって卒業する以外に制約はない。
だからそれさえこなせば、残りの時間は何をしても構わない。
例えば勉強が好きだから余った時間も読書の時間に使う人もいれば、
恋人や家族と時間を多く過ごす人、バイトをして生活費を稼ぐ人もいるし、
いろんなパーティやイベントに参加している人もいる。
もちろんみんなその中でいろんなバランスを取りながら毎日を生きている。
みんな毎日を自分のスタイルで過ごしている。
その過程で、色んなチャンスが訪れたり、色んな変化があったり、
そして新しい友達ができたり、友達が卒業やインターンでいなくなったりする。

日本でもきっと同じようなことをしていたけど、
アメリカという自分にとって全く新しい世界に身を置くことで、
そして2年間というはっきりと時間が限られた中だから、
もっとどうやって2年間を過ごしたいか、よく意識するようになった。
最初の一年は何もかもが新しくて色んなことにチャレンジして、
積極的に新しい人に会ったりしたり、
今まで余りやったことがないこともやったりした。
そして2年生(後半)になると今まで一通りやったことが
また繰り返されるなかでどのような距離感を取ろうかすごく迷っていた。
最初の年よりもイベントに参加することもなくなってきた。
(現実がより見えてきたせいからの、あきらめなのだろうか。)
その過程で本当に自分が楽しめることは何か、
本当にやりたいことは何かということをいやでも意識しなくてはいけなかった。
というのも毎日を同じ一日にしたくなかったし、
毎日何か新しいことに挑戦して刺激が欲しかったから。

そして今では卒業まであと2ヶ月半となった、
まだ卒論も修正も残ってるし、就職活動もまだ残っている。
でもそれだけをやって大学院生活を終わらせようとは少しも思わない。
もっと限界まで、というより限界以上に楽しみたいし、
素敵な友達ともしっかりと時間を過ごしたい、
一週間に何度かは身体も動かしたいし、
バスケのトーナメントもまだ残っている。
校内や、学会での発表も予定されている。

限られた時間で大学院生活も終わってしまう、残念だけど。
だからこそ最後までしっかりと走り抜けたい。
終焉をどうデザインしていこうか。
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僕たちはどこにも行けない。

2013-02-02 00:13:35 | study abroad
アメリカに来て人生のリアルというか、本質が少し見えてきた。
「僕たちはどこにも行けない。
 でもどこにでも行ける可能性もあるということ。」
ちょっとだけそう考えるようになったことの背景を。

僕は日本にいた時は歳を取るにつれて多く能力が身に付くのだと思った。
それはここアメリカにいても同じような事実だった。
でも、日本では必要以上に先輩を意識していた。
1つ、2つ歳が違うだけですごいように感じる時もあった。
日本にはそう感じさせる文化とか雰囲気があるんだろう。
でも結局は僕も人間だし、その人たちも同じ人間だから、
実際は僕にもその人たちにも長所もあるし、短所もある。
年上だから偉いとか、年下だからどうだとかというのは
少し本質から外れているように思える。
アメリカだと25歳の僕は、50歳の友達とも対等だし、
学部一年生の18歳ぐらいの人たちとも対等だ。
もちろん実力の差はあったりするけど、
人間的に同じことに変わりはない。
不思議に聞こえるけど、先生も尊敬はするけど、
一人の人間としては対等の立場であるし、
先生方もそのように接するから、コミュニケーションもしやすい。

そうやって、色んな年齢の人たちを対等な視点から捉えると、
今まで自分が持っていた将来に対する幻想が驚くように消えてしまった。
これまではもっと頑張ったら、もっと完璧になると考えていた。
例えばアメリカに留学したら、成長してもっと人として一回り大きくなれて、
みんなから尊敬されるというような、小さなことを考えていた。
結局アメリカに来ても自分は自分で、いい所もあれば悪い所もある。
僕のことを慕ってくれる人もいれば、嫌う人もいる。
それはどんなに歳をとってもきっと変わらない事実。
そうやって将来のことを想像すると、
それはもっとリアルに感じられて、
今の僕みたいに仕事をこなしたり、
人間関係で喜んだり、悩んだりして、
将来のことに対して不安を抱えているのは変わらないんだろう。
結局将来の自分は今の自分とそんなに変わらない。
だから「僕たちはここからどこにも行けない。」

でも物事をそうやってリアルに捉えると前に進むことが難しくなる。
僕の場合は将来の理想とか夢とかがモチベーションになっていたから、
それを失うということは行動するエンジンがなくなるのに等しい。
そうするとやる気がでなくなる。
じゃあどうしようか、2週間ほどそれを悩んでいた。
そんな時にふと目に留まったのがMIT教授の石井裕さんのtwitter。
そこには2200年を考えて、今を生きろというようなフレーズが。
もしかしたら読者の中には「何をばかな。」と感じている人もいるだろう。
ここで僕が言いたいのは僕たちが死んだ後の世の中に何を残せるか考えながら、
毎日の行動に意味を持たせてみようということ。
世界のほとんどの人たちが一日にできることはわずかなことだけ。
でもその一つ一つの行動に意味を持たせることで、
小さな一つ一つの行動が積み重なってついに大きな何かを成し遂げるはずだ。
その小さな発想の転換でいま僕は「どこにでも行けると可能性がある」。

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