Carpe Diem

シンシナティ大学で都市計画を勉強していた、ある大学院生の物語。現在はマンハッタンで就活。

Help Japan.

2012-03-27 18:46:55 | study abroad
まだまだ世界は日本に対して関心をもって見守ってくれている、そう改めて実感した1週間となった。以前にも記事に書いた通り、3.11の一年後にシンシナティ大学の日本人と、日本に関心のあるアメリカ人で集まって話していた時、当初はその集まりで一人が10ドルぐらいずつ出し合って全部で100ドルを赤十字に寄付出来ればいいかな、そう思っていた。しかし友達の一人が構内で募金を募ろうと言いはじめ、みんないとも簡単にその気になって、実際にそういう流れになった。そして2週間後の今週の月曜日から実際に構内での募金活動が始まった。

実際に募金活動を始める前の色々な下準備がかなり大変だった。例えば、募金で使うポスターのデザインをつくってもらったり、毎日のボランティアに最低でも5人以上の仲間がいるようにシフト表をつくったり、パンフレットを校舎のいたる所に貼ったりと。また、ただでお金をもらう訳にもいかないのでクッキーを焼いたりと、準備に多くの友達が授業や課題などを犠牲にして、たくさんの時間と労力を費やして準備してくれた。

実際に募金をしていたのは月曜日から金曜日までの5日間の11時から14時までの3時間、キャンパスのメイン通りにテーブルを置いて、手作りのクッキーを置いて、ポスターを立てかけて、何人かがレジ係をやり、そして残りの友達が日っきりなしにメイン通りを通っていく学生や先生がたに事情を説明して一人一人に日本の復興の為にクッキーやマフィンを買って1ドル募金をしていただけないかとお願いした。そうすると驚くことに多くの人はイヤホンを取って、立ち止まって真剣に話に耳を傾けて聞いてくれる。日本なら笑ってごまかして、それで通り過ぎていく人が多いんじゃないのだろうか。アメリカでは別の国の災害なのにも関わらず、話しかけたらしっかりと話を聞いてくれる人が本当に多い。そして中にはクッキーはいいからと1ドルや5ドルを募金してくれる人がいて本当に素敵だった。またある人はいま日本に住んでいる人たちは大丈夫なのか、復興する見込みはあるか、そうやって本当に日本の現状に対して関心を持ってくれている人もいた。ボランティアをしながら本当に心が温まる思いがした。そんなこんなで一日平均して200ドルずつ集まってきた。単純計算すると、1日に200人から募金をもらっていることになっている。

そして、最終日の今日までに790ドル集まって、募金活動自体はもう成功していたと言っても良かった。でも1000ドルに達するかどうかが本当に大きな挑戦だった。3桁と4桁だと全く精神的な感じ方が違うのが単純な僕の理由だった。いつも通りならほとんど問題なかったのだが今日は色々な不安要素があった。今日は雨が降るという予報があったり、そのためにいつもよりクッキーは少なかったりと、このままでは900ドルで止まってしまうのではないかと。その不安がついに的中した。クッキーは全部売れたが、合計を数えてみても900ドルしかない。今からクッキーを作っても間に合わない。もうダメなんじゃないか、そう思えた。そこで何人かの仲間と相談したところ、もうキャンパスでのんびりしている人に純粋に募金をしてもらおう、そう決まった。そこで2人で一つのグループをつくり、一人がポスターを持って、一人が募金箱を持って募金をしてもらうように回ってお願いした。まるで乞食になったような気分を味わった。それでも多くの人たちは小銭や1ドル、さらには5ドルを募金してくれて、頑張ってと言ってくれた。そして〆切の今日の2時には1039ドル集まった。その時は本当に感動した一瞬だった。日本の為にはといいつつ、自分たちが色んな人たちに支えられている、そう改めて感じた。

今回の募金が成功した背景には本当に多くの友達がお金や時間や労力をかけたところにあると思う。誰一人が抜けてても、この募金は成功しなかった。最初の集まりで構内で募金しようと提案してくれた友達、かっこいいポスターをつくってくれた友達、細かい仕事を快く引き受けてくれた友達、JASSというアメリカ人と日本人からなるサークルの部長、クッキーを時間をかけてつくってくれた友達、何度も断られながらもそれでも募金をお願いする友達、最後の900ドルの所で踏ん張ってくれた友達、一人でもいなかったら、これは絶対に成功しなかった。そして、もちろん募金をしてくれたシンシナティ大学の心あるアメリカ人たちには本当に感謝です。人の助け合いって本当に簡単に国境を超えてしまうのかもしれない。



デザイン専攻の友達が今回の為に作ってくれたポスター(かっこよすぎる)

旅の終わり・日常の始まり

2012-03-26 17:45:28 | daily life
4泊6日のニューヨークとワシントンの旅が無事に終わった。



今回の旅はただ単純に楽しむよりは新しいものに触れて、
客観的に自分やその周りを見直す旅になったと気がする。



ニューヨークでは数えきれないほどのビジネスマンとすれ違った。
そこでの独特の雰囲気は僕にとってはとても刺激的であり、それと同時に精神的に疲れを伴った。



ワシントンでは様々な記念碑や博物館で世界でも有数のものに出会った。
そこでの独特の雰囲気は僕にとってはまるで別の世界にいるような感じで、不思議な感じがした。



それぞれの場所で色々な人たちに出会い、語り、そして感情を共有したり、一緒に笑ったりした。
ただすれ違っただけの人でも無音のメッセージで語ってくれた、そんな気がした。



今回の旅は確かに長くはなかったけど、もう一度自分を客観的に見るのには重要だった。
自分の現在の立ち位置が明確になり、自分がどこに向かっていきたいのかはっきりした。



そして僕は今日から学生に戻り、また日常の生活が始まっていく。



この旅で得た感覚が無駄にならないように、また以前の自分に戻ってしまわないように、
この旅の思い出をいつまでも大切にしていきたい。




一人旅と出会い

2012-03-22 22:53:29 | daily life
一人旅って色んな知らない人と出会えるのが面白い。
きょうは出会いはどれも全く予想もできないことばっかりだった。

ホステルを出発したあとワシントンのフリーダムプラザでoccupyしている人に
話すことが出来た。彼がいうにはアメリカでは業務の私有化や規制緩和によって
中産階級が消えて一部の富裕層と大多数の貧困層をつくり出ししているそう。
そこで一般の人たちに問題を認識してもらうために、
ワシントンの一角でみんなでテントを張ってるのだそうだ。
僕が外国人であるのにもかかわらず、
しっかりと細部まで説明してくれるその態度にとても好感を覚えた。

ハッシュホーン美術館ではシャドーボクシングをしているキュレターに出会った、
しかも自分でシュッ、シュッって効果音をつけながら。
あまりに珍しかったのでアマチュア?と聞いたら、
彼は「そんなんじゃないよ」と子供のようにはにかみながら笑っていたのが印象的だった。

今回の旅で一番の奇跡的な出会いは世界銀行の前で起った。
世銀の建物の中に入ろうとしたところ関係者以外は入れないと門前払いされたので、
カフェで休憩してから別の目的地に行こうとしていた矢先のことだった。
以前からブログを通して知り合いになり、色々と留学の相談をしていた方に出会ったのだ。
こんな広いアメリカで偶然に会えたのは本当に<キセキ>(絶対に1%未満)でしかなく、
最初はあまりの感動で全く実感が沸かなかった。
特に国際開発を勉強しようと考えたきっかけはその方のブログだったので、すごく特別だった。
世銀の前で10分ぐらいだっただろうか、この旅で一番充実していた時間だった。

最後の出会いは横断歩道を無理矢理渡ろうとしてなかなか渡れなかった時だった。
その人は政府機関か法律関連の仕事に就いていそうなとても品のいい方だった。
まさかそういう人と話すチャンスがあるとは思っても見なかったのでとても興味深かった。
横断歩道待ち恐るべし。

そもそも旅先での出会いってきっと一人旅の素敵なことの一つなのではないかと思う。
まったく自分と違う境遇の人たちと人生のストーリーをシェアできる、
そういうことにワクワクせずにはいられない。


一人旅の訳

2012-03-21 20:52:29 | daily life
ブログの写真を見ていると、いいなと思うかもしれない。
確かにひとりで旅をする時にワクワクすることもなくはない。
でも今回の旅は楽しむというよりはもう一度自分を見直すためにしている、
そう言ったら少し驚くだろうか。
NYとDCを選んだのもアメリカの経済と政治の中心なら、
シンシナティにはない何か発見ができる、そう思ったからだ。

実際にはどうだっただろうか。
少しずつ考え方が変わってきている、
むしろ自分のやりたいことがもう一度明確になってきている。
NYでは多くのビジネスマンの生活を表面的ではあるが見ることができ、
きらびやかな生活がうらやましいと感じる一方で、
自分はビジネスマンには向いてないのではないか、そう感じた。
DCは今日の夕方に到着したばかりだからまだ何とも言えない。









ただ多くの戦争に従事してなくなった人たちのモニュメントや、
偉人の功績をたたえるものを見て、
もう一度生かされていることへの感謝の念が沸き上がってきた。

食べるものに困らず、
着るものが十分にあり、
しっかりとした家に住んでいる。
そして教育の機会が与えられている、
また戦争もない。

これらが当たり前のように思えて、
これだけ満たされているのは世界中でもそんなには多くない。
それなのに僕は、
あの人はあんないい所に旅行に行っている、
あの人はあんないい会社に入っている、
あの人はあんないい車に乗っている、
そんなことを考えて自分を不幸にしていた。
他の人がどうでも自分は自分であればいいんじゃないか。

それだけで本当に幸せなんじゃないだろうか。
こんな恵まれた環境で暮らせている恩恵を
何らかの形で社会に還元できたらいい。
僕みたいな一人の人間に大きなことは出来ないかもしれないけど、
自分ができる最大限の力で何とかしてみたい、そう改めて感じた。









アメリカでの就職活動を今年の11月に控えて、
まだ何がやりたいのか、正直はっきり決まってない。
ただそれまでしっかり勉強して、
自分ができる限りの仕事をして少しでもいいから社会に貢献しよう。
そんなことを沈む夕日を眺めながらずっと考えていた。


NY-2-

2012-03-21 01:07:08 | daily life
今日も朝早くから一日中NYを探索していた。ニューヨークの人は朝が早く、色んな所にカフェがあって多くの人がコーヒーを片手に歩いている、そんなことをふと感じた。



初めに僕はずっと見たかった国連本部を目指した。ここでは学生なら11ドルで国連の職員のガイド付きのツアーに参加することが出来る。まず国連本部で目に入ったのが東日本大震災の記念展だった。震災から一年ほど経ったというのにまだまだ海外の人たちにも関心があるせいか、多くの人は足を止めて一つ一つの写真に目を凝らしながら震災のことを考えていたのではないかと思う。ツアーでは基本的には国連の概要や役割について、建物内部を歩きながら紹介しただけだったが無料では見れない施設が見れたのは価値があった。


(うまく全体像が取れなかったので、ウェブからの写真)







次に向かった先はモダニズムの3大建築家の一人、フランク・ロイド・ライトのつくった話題作のグッゲンハイム美術館だった。本当に雑誌などで取り上げられている通りヤドカリの殻のようなデザインだった。でもとてもユニークなのが美術品を斜面を登りながら作品を見ていくというシステム、とてもシンプルで美しいデザインだが、作品を配置すると斜めになってしまうという困難がある。今月はJohn Chamberlainという芸術家の作品が中心に展示されていた。僕はこういうコンテンポラリーアートというのは理解に苦しむためなかなか好きにはなれないのだが今日は少しだけ理解できたかも、そんな気がした。彼の作品ははじめ僕にとってはただの鉄のかたまりにしか見えず、それぞれの作品にどのような意味があるのか理解に苦しんでいた。そこでキュレターに尋ねてみたところ意外な答えが帰ってきた。それというのは、この芸術家は何かを意味して創ろうとした訳ではなく、ただ色や形の構成を直感のようなもので決めているから特に意味はないらしい。でもその意味もない作品も見る側が意味を付けて解釈してもいいんだと。例えば物質を破壊することで新たな美が生まれるという考え方など。以前からコンテンポラリーアートの意味を探し続けていたけど、そうではなくて色や形で好きになってもいいんだ、そう考えると気分が少し和らいだ。






(展示作品は撮影禁止だったため、ウェブからの写真)


美術館の次はすぐ向かい側にあるセントラルパークへ。大学のときから建築の先生が授業で何度もこの公園について取り上げていたのがきっかけでここにやってきた。到着して間もなく気づいたのは、多くのニューヨーカーが湖の周囲をランニングしているというこどだった。男性も、女性も、子供も、大人も、アメリカ人も、外国人も。ニューヨークに住んでいる人は仕事も頑張るけど、運動や遊びも怠らないということを感じさせられた。



そして最後に向かったのはリンカーンパークでのメトロポリタンオペラのマクベスの鑑賞。今日の朝の10時から立ち見席を25ドルで購入したのだが、席にゆとりがあったので始まる直前に座席に無料で係員のご好意で交換していただいた。みんな仕事帰りの方々が多数を占めていたようだが、特に女性の方々はみんなドレスで来ている人が多く、ニューヨーカーのファッションへのこだわりに驚くばかりであった。また初めて見る(世界トップレベルの)オペラは予想以上に面白かった。以前に誰かが行っていたように、オーケストラとミュージックとダンスの3つがくみ合わさって3時間という長い間楽しみが耐えなかった。そしてオペラの最後には観客のほとんどがスタンドオベーションで役者に対して感謝の気持ちをこめてひたすら拍手する。また役者も他の役者をねぎらいながら拍手をする。そういうのって本当に素敵だと感じた。