時代小説「お幸と辰二郎」第2章・・・「二人を見守る月」
それからしばらく昏睡状態が続いたお幸でしたが、奇跡的に命は助かり、ゆっくりと目を開け始めました。
そこには心配そうに見守る座長、座員、そして辰二郎がおりました。
「お!おい!じじい! お幸ちゃんが目を開けたぞ!!」
「お、おぅ!! お幸分かるか!? 私が分かるか?」
「ざ、座長・・・・、私・・・、ごめんなさい・・・・泣」
「大丈夫だ♪ 大丈夫だよ♪ お前は頑張ったんだよ・・・泣」
大事そうにお幸の身体を包み込み、愛おしそうに頭をなでる座長。
「お幸ちゃん!! 俺の事覚えているか!!・・・?」
そんな座長を押しのけて、お幸の前で自分を指さす辰二郎。
「辰さん・・・、声が大きい・・・笑」
泣いていたお幸が、辰二郎の仕草に笑顔を出した瞬間、診療所に詰め掛けていた一同から大きな歓声が上がりました。
転落から数日、公演の荷物を積み終えた一座は、次の興行地へと向かう準備を進めておりました。
「座長、私大丈夫ですから、一緒に連れて行ってください!」
「いや・・、この身体じゃしばらく養生しなきゃいけない・・。万が一命に関わったらどうするんだい!」
「でも・・・。」
「私たちの事は心配しなくて良い♪ 幸いにもしばらくはお松が綱はやってくれるから、お前はしっかり養生しなさい♪」
「そうだよ♪ 私もまだまだ捨てたもんじゃないよ!笑 子守をしたあんたに負けるわけにはいかないからね♪」
「それでしっかりけがを治して、あとから追いかけて来れば良い♪ 私はいつでも待ってるよ♪」
「ざ、座長・・・泣」
お幸を心配させまいと、明るく振舞う座長と、子守役でもあり先代の綱渡り芸人だったお松ではありましたが、一つ気掛かりがございました。
「とは言っても・・・、いつまでもこの狭い診療所でご厄介になるという訳にもいかないしなぁ・・・。」
「誰かがお幸を預かってくれたら良いんですがねぇ・・・。」
「やいやいやい! 誰かぁ忘れちゃぁいませんかい!?」
いつも声と態度だけはでかい辰二郎が二人に近づいてきました。
「幸いにも、うちは棺桶に片足突っ込んだばばあとあっしの二人だけでさぁ! お幸ちゃん一人ぐれぇなんてこたぁ、ありませんぜぃ!」
「とは言ってもねぇ・・、お前さんに預けるのは少々気乗りがしないねぇ・・・。」
「やい!じじい!!もういっぺん言ってみろぃ!! こちとら大工の端くれでぃ! お天道様に誓って、やましい事はこれっぽっちも考えてねえってんだ!!」
診療所の前でわめく辰二郎に、一人の恰幅の良い老女が近付いてきました。
「こら!このドラ息子が!! 座長さんがあんたみたいなとうへんぼくに大事なお幸ちゃんを預ける訳ないだろ!!」
「なにを~!!このばばぁ! まだ棺桶に入ってねえのかい!!」
どうやらこの老女、辰二郎の母親のようです。
「座長さん、うちにはあんなバカ息子がいるから、気乗りしないのは百も承知ですけどね。私が責任を持ってお幸ちゃんを預かりますから、どうか安心して下さいよ♪」
「そう言ってもらえると私共も助かるんですがねぇ・・・。」
座長はそう言うと、チラッと辰二郎の方を不安げに見つめるのでした。
「おうおう!なんだ!その疑うような目つきは!! 俺が信用出来ねぇって訳かい! それならな!・・・」
「うるさいよ!! 静かにおし!! 奥のお幸ちゃんが起きるだろ・・。」
「お、おう・・・。」
辰二郎は母親の言葉にシュンとしながら、お幸の方へ目を運ばせました。
「なら、当のお幸に訊いてみましょうかね」
座長はお幸の気持ちに判断を委ねました。
「あの・・・、もし・・、お邪魔でなかったら・・・」
お幸は遠慮がちにそう呟きました。
「もちろんだよ♪ 私が責任を持って、お幸ちゃんの身体をしっかり治してあげるからね♪」
母親はそう言うと、慈しむようにお幸の頭をそっとなでるのでした。
「よし!そうと決まれば、こんな陰気臭い所とはおさらばでぃ!!」
相変わらず辰二郎の態度はでかいようです。
その翌日、一座は次の興行先に向けて出発しようとしていました。
「どうか、お幸をよろしくお願いします・・。」
「任せて下さいよ♪座長さん。しっかり!この吉がお幸ちゃんを守りますからね♪」
「座長・・・、すぐに、すぐに治して行きますから! お松姐さんも無理はしないで!」
「分かってるよ!笑 心配しないで早く傷を治しな♪」
座長と松は、蚊帳の外でふてくされている辰二郎と、その母親「吉」に深々と頭を下げ、お幸に笑顔で頷きながら一座を引き連れ出発したのでした。
それからしばらく奇妙な「同居生活」が続きました。
お幸とお吉が奥の居間、辰二郎は土間の近くが「生活の場」となりました。
寝たきりだったお幸も、献身的なお吉の看病や、辰二郎の天性の明るさが功を奏したのか、体調が日増しに良くなり、もともと鍛えていたせいもあってか、2,3か月過ぎる頃にはすっかり普通の生活に支障が無くなっていました。
そんな日の夜の事でした。休む準備をしている二人に、お幸はこう切り出しました。
「お吉さん、辰二郎さん、こんな私に本当に良くしてくれて、ありがとうございました・・。お陰様ですっかり身体も元に戻りました。なので・・・、そろそろ一座へ戻ろうと思います・・・。」
「お幸ちゃんなんだい♪やぶからぼうに。もうちょっとゆっくり養生してからでも良いんじゃないかい?」
お吉が寝支度の手を止めながらお幸にこう言ったのです。
「そ、そうでぃ! お幸ちゃんの世話が出来ねえとな、このばばあが寂しがるからよ・・!」
辰二郎も、お吉とお幸を交互に見ながら、彼なりに引き留めていました。
「いえ・・、これ以上ご迷惑は掛けられないし・・、それに座長たちも待っていると思うので・・・」
「そうかい・・・。そう言われると、引き留める理由も無いねぇ・・・」
お吉は寂しそうにそう呟くと、ひとつため息をつくのでした。
その夜の事です。
お吉はなかなか寝付くことが出来ず、これまでお世話になっていたここでの日々を思い返していました。
娘のように接してくれたお吉。
興行中に散策した時に気に入ったお菓子や食べ物をさりげなく買ってくる辰二郎。
そんな二人が毎日繰り広げる親子喧嘩。
それでいてお互い思いやっている事が伝わる、暖かな家庭。
「賑やかだったなぁ・・・笑 私も普通に育っていたら・・・泣」
つい、嗚咽が出そうになるのを堪え、涙が頬を伝わりそうなのを布団で拭い、隣で寝ているお吉に気付かれないように、そっと裏庭へお幸は出たのでした。
すると、庭の向こうに一つの影が月夜に照らされ浮かんでいました。
そっと近づいてみると、それは腕組みしながら月を見上げている辰二郎でした。
「・・・ちくしょう・・! なんで俺は『ずっといて欲しい』と正直に言えねぇんだ!! この口が!この口が!!」
身体の奥から絞り出すように、まるで月に向かって言ってるかのように、頬を涙で濡らしながら呟いていたのです。
お幸はその場所から一歩も動けなくなってしまいました。気付かれないように、悟られないように、じっと、じっと・・。
「お幸ちゃんもお幸ちゃんだ・・。そんなに俺が嫌いなのか・・! 座長んとこがそんなに良いのか・・・!」
その言葉を聞いた瞬間、お幸は思わず口から言葉が飛び出してしまいました。
「違う!違うの・・・、ずっといたいけど・・・」
驚いたのは辰二郎です。
「うわっ!! お!お幸ちゃん!! な、なんでここに!!」
「ち、違うんだ! これはな、そ、そのぅ・・・」
自分の正直な気持ちを聞かれた辰二郎は、ひどく狼狽し、恥ずかしそうにお幸を見つめるのでした。
「ありがとう辰さん♪ 私も正直に言うと、ずっといたいけど・・、小さい頃から大事にしてくれた座長に迷惑はかけられない・・・」
そう言うとお幸は、今まで我慢していた感情を、辰二郎の胸に飛び込みぶつけるのでした。
「そ、そうだよな・・うん・・。 座長はな、お幸ちゃんにとって親代わりだからな。 迷惑はかけられねぇやな・・。」
辰二郎も自分の感情を必死に抑えながら、胸元で泣くお幸を優しく包み込むのでした。
「本当に、本当に今までありがとう・・・。」
そんなお幸の言葉に、辰二郎も自然と涙が頬を伝うのでした。
いつのまにか起きていたお吉も、月夜に照らされた二人を見守りながら、涙を拭っておりました。