23546 通信の今昔

2025-02-18 16:37:37 | 23540

 

おはようございます。昭和生まれのジイさんは小原昭介さん。

年寄りは夜より朝風呂の方が健康良いと勝手に思う。

 

恐らくですが、ヒットショックでこの世から去る確率は低い。

どうでも良いですが、今日のお勉強は「通信の今昔」です。

 

 

 

江戸時代では、郵便業・運送業のルーツとなった「飛脚」が発達。

1871年(明治4年)には、長崎~上海、長崎~ウラジオストク間を

つなぐ海底電信ケーブル。大北電信会社により建設された。

 

長崎・小ヶ倉千本(現・長崎市)の海底線陸揚庫(りくあげこ)

通称「ケーブルハット」で日本の国際通信が始まった。

 

1950〜60年代、電報は一般人にとって最も身近な通信手段。

1956年(昭和31年)、電電公社が国内テレックスサービスを、

KDDが国際テレックスサービスを開始。

 

1890年(明治23年)日本初の電話サービスが東京〜横浜間で開始。

1934年(昭和9年)には東京〜マニラ(フィリピン)間で、短波無線

 による日本初の国際電話サービスが開始。

 

当時の通話料金は1分35円。当時は公務員の初任給が75円という

時代で個人としての利用はほとんどなく、利用者は報道関係や

証券会社に限られていた。

 

そして、1928年(昭和3年)ポケベルやFAXなどの登場により

伝達手段がより身近になった。

1984年(昭和59年)には全国の設置台数が70万台を突破。

 

1979年(昭和54年)、携帯電話の前身ともいえる「自動車電話」

サービスが開始される。

1985年(昭和60年)には、初の一般向けショルダーホン」の

レンタルが開始された。

 

1984年は自動車電話からの国際電話サービスが開始。

1988年には携帯電話による国際電話サービスがスタート。

 

2007年には、Appleが初代iPhoneをアメリカで発売。翌年、

日本でも発売が開始され、スマートフォンの普及が急速に進む。

 

オンラインでのビデオ通話によるコミュニケーションが積極的に

取り入れられるようになった。そして、インターネット上が普及。

 

僕が社会人のひよこの時代は、電報が主力でした。使い方は非常に

原始的でした。郵便局に行ってカタカナで用紙に書いてお願いした。

電話で依頼するときは笑ってしまうほど変でした。

 

和文電報をお願いする時の伝達方法は....

「あ」: 朝日の「あ」
「い」: いろはの「い」
「う」: 上野の「う」

 

英文電報(Telegram)の読み上げ方

「A」: Americaの「A」

「B」: Bombayの「B」

「C」: Chinaの「C」

 

上記の様に文章を間違わない様に文字を反復しながら一字一句を

連絡しないと通じなかった。

 

次に飛躍的に改善されたのがTELEXです。どう使っていたのか?

一般家庭には無く、特に事務所で活躍しました。

これは電話通話の料金でしたからベラボウに高く、節約するのに

文字を短縮しました。

 

紙テープに穴をあけながら文字を認識させる。これがPCの始まりだと

思われます。昔のPCはハガキの大きさの紙に穴をあけて認識です。

 

例えば....(料金節約の略字活用)

Please=Pls、Therefore=T4、Thanks=TKSなどのマニュアルが

ありました。これを使いこなすには苦労が多かった記憶です。

 

 

現在では、e-mailなどはほどんと使わなくなりましたが、特に

感動したのは「絵」を伝達できる仕組みです。昔はこれを文章で

表現するんですから笑ってしまいました。殆ど不可能です。

 

長く生きていると通信が飛躍的に変わって時間の無駄なく伝達

できるのは非常に有り難いと思います。情報伝達の歴史はどうか?

動画を見ていると面白いと思います。

 

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