音楽評論館

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2018.6.30(sat)リキ・フィルハーモニッシェス・オーケストラ@杉並公会堂

2018-07-02 11:11:31 | コンサートレポート
2018.6.30(sat)リキ・フィルハーモニッシェス・オーケストラ@杉並公会堂



A.ブルックナーの 交響曲 第5番[原典版]を一度も聴いたことないのに、[シャルク版]を聴いてきました(笑)
まず、入場時に貰ったパンフレットを、聴く前に目を通した。指揮者・長野力哉氏のご挨拶には、
『楽譜には録音を聴いて感じ取れるよりも遥かに多く原典版との違いがあります。』と書かれていた。
私は[原典版]を聴いたことがないので、その違いについて、偉そうに、述べることは出来ないのですが、一般的なお客様は、短縮された演奏時間とか、楽器編成の違いとか、大きな変更箇所に気がつくのが限界だったかもしれない。
一般名詞の『楽譜』で簡単に括ってしまったとき、時代によって、どのような作曲をしたのかは大きく異なり、広範囲に及ぶものがある。
『楽譜』という言葉に反応してしまうと、色々と思うことがあるのです。
先に演奏していた曲を、あとから、壁画などに、今の時代でいう音符や奏法を書き残した時代もあったらしいですし。
マルチチャンネルレコーダーを使っていた訳でもなさそうな時代の作曲家は、作曲家自身が、全パート同時に演奏することなど、到底出来ないのは明らかなので、ペンなどを用いて、楽譜に書き残す形で、作曲をしてから、初演を迎えることが多かったのではないでしょうか。
ヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲とかは、即興演奏で、作曲をしながら、同時に演奏をしていた可能性は高そうです。作曲時に、ペンではなく、弓を用いていたのかと思われます。音符の音が鳴る前に、弓で鳴らしていたことでしょう。
今回のコンサートの場合、指揮者が言いたい、情報量は、録音〈 楽譜〈 演奏 だと思いますので、再現演奏という言い方は、よくないのかもしれません。
楽譜が出来上がるまでの過程に、いくつかの道が存在したという、事前知識からの推測ですよ。
別働隊の金管楽器奏者(11人)がステージ上から演奏に加わった後半辺りから、弦楽器奏者らも、いくつかの大きなウネリのある、音と音の塊が衝突するような、他のオケではあり得ないような、迫力ある演奏を聴かせてくれました(´ω`)

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J.シベリウスの交響曲 第3番に関しては、事前に、同じ交響曲を、別の指揮者、編成による録音盤を聴いてから、コンサートホールで聴いて来ました。
一番落ち着けるのは、どこのコンサートホールでもなく、自宅の書斎なので、その点では、録音盤を超える演奏を、落ち着いて聴ける場所はないのですが、書斎で聴いていたときには感じなかった、フィンランドの自然、情景が目に浮かんで来そうな雰囲気に、会場全体が包まれていたような感はありました。
生演奏には、会場全体を動かす、大きな力がありますね。とてもいい時間を過ごすことが出来ました(´ω`)