Nonsection Radical

撮影と本の空間

日本街並みアーカイブ財団

2011年04月16日 | Weblog
この地震によって街ごと消滅し、地震前の街並みが残っていない場所がたくさんあるようだ。
地震前の街並みがグーグルのストリートビューでしか残っていない状態や、地震後に街を撮影しに行って、その撮影行為に関して自粛や反対の声もあがることを知り、キチンとした形で日頃から街並みを記録しておく事の正当性を得る必要があると思った。
こういう事は公的機関が行ない、キチンとした形で保存しておくべきなのだが、そんな動きもないし、その動きを待っていても無駄な時間が過ぎるだけなので、出来る者が出来る事をさっさと始めて、そのネットワークを作っておこうと思った。
ネット上では様々なカタチで各地の街並みを記録しているが、名のある街並みを多くが取り扱っているし、災害地のようにまったく何もなくなった状態での街の様子はわからないし、多くが横のつながりはない。

問題が多いとされたストリートビューであるが、これほどこまめになんの目的もなく街並みを記録してあるものは珍しい。
もちろん目的はあるのだろうが、そのための労力と結果とに差がありすぎると思う。
誉めているのだ。
プロのやる事ではない。
個人で震災の記録を撮ろうとした人に、報道ならともかくシロートがウンヌンという声があったが、報道機関やプロなにやらという人たちは金にならない事はしない。
新聞やテレビで報道した素材は、時間とともに抱え込んで死蔵され、公開するには金を取るという当然の商行為を行なう。
そういう事には鷹揚なのが不思議なのだが、無償で行なう記録行為には価値を認めないのも不思議だ。
価値を認めないどころか、記録する事にさえ邪魔をしようとする。
そういう動きに対して、キチンとした活動である事を認めさせるために、キチンとした団体を名乗って怪しげな活動を行うべきではないか。

残念ながら現代では、記録される媒体が電子的なものになっていて、倉から写真原版が出てきたとか、原稿が見つかったとか、フィルムが出てきたという事が今後は期待出来ない状態である。
おそらく今回の震災でも多くの人々の電子的記録が消滅してしまい、街の様子や人々の姿、声、文字、映像、絵など消えてしまっただろう。
そこで、電子的なものは個人で所有するのではなく、ネット上にアップして共有できるようにすれば将来に残る確率が高まるのではないかと考えた。
個人のホームページなんかではダメなのよ。
なぜなら、閉鎖されると記録がそのまま消滅してしまうから。
出来れば、死んでも記録だけは残るようなものがイイ。
それを個人で持つというのは難しいのだが、ひとつの形が大手サービス会社の利用ではないかと。
つまりユーチューブやブログというのは、アップすれば基本的に消える事はない。
街並み専用ブログなどを作り、そこへ載せた情報は削除しないという姿勢で将来へ残していく事は考えられないだろうか?
有名無名関係なく、各自がそれぞれの形で街並みを記録しておくサイトを持ち、それをつなげる団体を作る。
なにに役立つわけではなく、ただ街並みを記録し続ける団体。
それが結果的に時間をまたぐ街並みのアーカイブとして存在すればイイ。
価値は後々の人が判断する事とし、ひたすら記録するのはどうだろう。
記録を含んだ表現行為。
写真、画像、絵画、文章、いろいろな形の記録を集める事は出来ないだろうか。
コメント
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