たまに証明写真を撮ることになるのだけれど、確認したくもないけれど、撮るたびに華麗な加齢を感じることになる。
ちなみに今夜はカレーうどんであった。
何年かごとのその写真には、どこのオッサンやねんと思う顔が写っているのだけれど、それぞれにその時の事情が写し出されているようで興味深い。
極悪非道な顔、苦悩の顔、不安げな顔、疲れた顔・・・
今回の顔にはオッサンからジイさんへの変化が如実にあらわれている(笑)。
あんな可憐な少年の時代もあったのにと自分で自分の人生の長さに気がつき、なんだかなぁと思うことしばし。
できることならもう一度少年に戻って・・・などとは絶対に思わない。
できるだけ早く時間が過ぎて欲しいなぁと思うのは、結構うんざりしているからであろう。
そんな気持ちに振り回される年頃でもないのは、目の前に可憐なジョシがあらわれたら、コロッと心などウキウキに変わってしまう軽薄さを自覚しているからである。
そういう自覚こそが人生の重みを表現する元となっているのである。
萩中通り商店街
東京都大田区萩中1,2丁目
撮影 2014年12月28日 日曜日 17時30分
ちなみに今夜はカレーうどんであった。
何年かごとのその写真には、どこのオッサンやねんと思う顔が写っているのだけれど、それぞれにその時の事情が写し出されているようで興味深い。
極悪非道な顔、苦悩の顔、不安げな顔、疲れた顔・・・
今回の顔にはオッサンからジイさんへの変化が如実にあらわれている(笑)。
あんな可憐な少年の時代もあったのにと自分で自分の人生の長さに気がつき、なんだかなぁと思うことしばし。
できることならもう一度少年に戻って・・・などとは絶対に思わない。
できるだけ早く時間が過ぎて欲しいなぁと思うのは、結構うんざりしているからであろう。
そんな気持ちに振り回される年頃でもないのは、目の前に可憐なジョシがあらわれたら、コロッと心などウキウキに変わってしまう軽薄さを自覚しているからである。
そういう自覚こそが人生の重みを表現する元となっているのである。
萩中通り商店街
東京都大田区萩中1,2丁目
撮影 2014年12月28日 日曜日 17時30分