Nonsection Radical

撮影と本の空間

総評論家

2016年11月09日 | Weblog
海の向こうのアメリカ大統領選挙が終わり、新たな大統領が決まったようだけど、ラジオではそのニュースで持ちきりだ。
持ちきりで不思議なのは、未知数の大統領候補であったトランプ氏の”今後”をあれこれ評論する人たちが集まっているんだけど、誰一人として「そんなのわかるわけない」と言わないのだ。
余計なことに「街の声」などを訊くと、いっぱしの評論家気取りのようなケーザイの話などして、「お前、じゃあ現在の日本のケーザイ状況を正確に認識できてるのかよ」とラジオにツッコミを入れたりしたくなる。
未知の事態に遭遇した時には、何もせずにそっと様子を伺うというのがこれまでの日本人の”特性”だったことを自覚していれば、何も言わずに推移を見守るというのが”正しい”やり方だろうに。
それがネットの普及によるものなのか、自分も含めて(汗;)好き勝手なことを言っていいものだと勘違いしたシロートたちがどうでもいいことをアレコレその場限りの思いつきで口に出してしまう世の中になった。
そんな戯言は何の意味もないことである。
せいぜい言えることは「どうなるんだろうねぇ」程度のことだけだ。
そしてどうなっても黙ってそれに従っていくというのが、これまでの日本人であったのだから、今回も、これからも、そうやっていくのだ。
ただそれだけのことである。



長後商店街 2
神奈川県藤沢市長後
撮影 2016年10月26日 水曜日 13時30分
コメント (2)
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