某国からミサイルが飛んでくるかもしれないと「空襲警報」が鳴り出す騒ぎであるが、全然現実味がない。
きっと騒ぐ人にはミサイルが打ち込まれる「心当たり」があるのだろう。
地震以前に朝鮮人が毒を井戸に投げ入れるような”テロ”がなかったにもかかわらず、地震発生後にそのような流言飛語が飛び交い、それを信じた人が多くいたのも「心当たり」があったように。
個人的には現実味はないのだけれど、それが現実的なものかはわからないでいる。
自分の得る情報などたかが知れているし、自分の知らないところではそのような現実が進んでいるのかもしれない。
そのようなリアルさ加減の違いは、現在ではほとんどのことであるもので、それでいて”リアルさ”と”リアル”にもまったく関連性もないものが多いのが現実である。
そういう場合、自分の信じることが”正しい”と思うことが多いのだけど、信じていても正しいわけではないこともわかっているはずだ。
こういう状態の時には”様子見”することにしているのだけど、別のリアルを感じている人の中にはヒートアップする人もいる。
ヒートアップして結局訪れるのは虚脱感だけということを何度も繰り返して自分の”特性”を知ったりするわけだが、だからといってすべてのことで自分に鳴るアラートが間違っているわけでも、あるいは正しいわけでもない。
またすべてのことにリアルさを感じられなくて、なんでもバーチャル的に対応する人もいるかもしれない。
これはこれでまたバーチャル的現実をリアルに感じていると言えなくもない。
どちらにしても、多くのことが自分の知らないところで進んでいて、それでいながら情報だけは多岐にわたって流れてくるものだから、どういう態度で臨むのかはまたそれぞれによるというのが今現在の世の中である。
それぞれにはそれぞれのリアルがあるわけだ。
でもどれが”正しい”のかは後になってみないとわからないなと思うのだ。
熊川の街並み 7
東京都福生市熊川
撮影 2017年4月14日 金曜日 13時00分
きっと騒ぐ人にはミサイルが打ち込まれる「心当たり」があるのだろう。
地震以前に朝鮮人が毒を井戸に投げ入れるような”テロ”がなかったにもかかわらず、地震発生後にそのような流言飛語が飛び交い、それを信じた人が多くいたのも「心当たり」があったように。
個人的には現実味はないのだけれど、それが現実的なものかはわからないでいる。
自分の得る情報などたかが知れているし、自分の知らないところではそのような現実が進んでいるのかもしれない。
そのようなリアルさ加減の違いは、現在ではほとんどのことであるもので、それでいて”リアルさ”と”リアル”にもまったく関連性もないものが多いのが現実である。
そういう場合、自分の信じることが”正しい”と思うことが多いのだけど、信じていても正しいわけではないこともわかっているはずだ。
こういう状態の時には”様子見”することにしているのだけど、別のリアルを感じている人の中にはヒートアップする人もいる。
ヒートアップして結局訪れるのは虚脱感だけということを何度も繰り返して自分の”特性”を知ったりするわけだが、だからといってすべてのことで自分に鳴るアラートが間違っているわけでも、あるいは正しいわけでもない。
またすべてのことにリアルさを感じられなくて、なんでもバーチャル的に対応する人もいるかもしれない。
これはこれでまたバーチャル的現実をリアルに感じていると言えなくもない。
どちらにしても、多くのことが自分の知らないところで進んでいて、それでいながら情報だけは多岐にわたって流れてくるものだから、どういう態度で臨むのかはまたそれぞれによるというのが今現在の世の中である。
それぞれにはそれぞれのリアルがあるわけだ。
でもどれが”正しい”のかは後になってみないとわからないなと思うのだ。
熊川の街並み 7
東京都福生市熊川
撮影 2017年4月14日 金曜日 13時00分