Nonsection Radical

撮影と本の空間

いつのように休みは

2019年09月27日 | Weblog
最近仕事の予定が決まるのが寸前という状況が多く、先の予定を立てるという事が難しくなっている。
休みを申請するのはかなり早い段階でと言われ、一体どうすればいいのかと悩む事多し。
家人などはさっさと休みなど決めてしまい、来年2月の予定は?などと言われて答えに窮す。
どういう状況が世間並みなのかわからないのでなんとも言えないが、世間はいかがなものかと。
連休なので今日は早起きして朝から動画の変換作業。
ひたすら同じことの繰り返しでようやく午後9時に終了。12本。
お金を使った割には撮影できたデータが少ない。
取材費は有効に使わないと。
純粋に遊びのために出かけたかどうかは、その場に立ち止まるかどうかではないか。
動画撮影しているとずっと歩き続けて、立ち止まって撮影を中止して何かをするという事がない。
だから印象は歩いたルートの印象しかない。カメラで見たものがその街のすべて。
不健全だな。

講談社新書の「未来の地図帳 人口減少日本で各地に起きること」を読んでいるが、街並みを記録保存する作業というのが有効なのかと疑問がわいてくる。
だって住む人もいなくなる地域がたくさんできれば、そこに懐かしさや記録性を求める人もいなくなるのではないのかと。
ま、記録自体がいつまで保存されるか未知数だけどね。
孫が年寄りになる頃には今と異なる姿を目にするのだろうが、果たしてそれまで「国」がもつのかね。
近頃の大人の無責任な振る舞いに将来を危ぶむ。
もう少し明るい話を読みたい。
コメント
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