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某月某日
鬱であっても寝ているわけにはいかないのが貧乏人。
その間にも仕事へ行き、自分はタフなネゴシエーターだと自分に言いきかせ集会に出て、その結果また疲れて・・・(笑)
cheseiさんの再開ブログを見て、satoboも頑張ろうと、目標閲覧者3人以上(笑)を掲げての再開です。
本日の話題は、アートの買い方。
写真を含めてアートの市場というのは買う人と売る人がいて成り立つ。
買った人がまた手放して売る人にもなる。
そうやって作品が循環しながら売買されるのが市場である。
satoboも写真、絵画含めて何点かの作品を買って持っているのだが、これらはいわゆるアート市場で購入したものではない。
特に写真の場合、市場なんてものはほとんど日本に存在しない。
もちろんいくつかのギャラリーで売買されているのは知っているし、実際にその場に立ち会った事もある。
でもその規模は他のアートに比べるときわめて限定的だ。
その市場を大きくしようと様々な人が様々な手法を考えて努力しているが、肝心の客が増えないようだ。
まあその筋の話は、今日の話題とは外れるので置いておく。
satoboの買い方は手放す時に値段がつく「リセールバリュー」とは別の買い方なのだ。
それを持っていたい、いつでも見たい、それが好きだという気持ちから作品を買うのです。
だから実際にはそれがポストカードであっても印刷でもいいのです。
グラビアのピンナップを壁に貼る気持ち。
もちろん本物の方がいいには決まっているけど、手に入らない時も多い。
佐伯祐三の絵など手に入るわけがない。
それでも美術館に行って実物を拝見し、その記憶を頼りに画集を眺めてイメージするのですね。
それは宇多田ヒカルをDVDで見て、昔(すでに40年も昔だ)実際に名古屋駅で見た藤圭子のお人形さんのように白く華奢な姿を思い浮かべるのと同様である(同様には思えんが)。
そういう気持ちで作品を買うと、納得がいけば「法外」でも構わないのだ。
絵でも写真でも無名あるいは新人であれば基本的には市場価格は0円である。
市場的価値がないからだ。
でもそんな事は好きなら構わない。
市場の基準で見ずに、自分がこの価格なら欲しいと思う値段なら納得価格なのだ。
それは市場性を無視した行為なのだが、もともと売り払う、あるいは利殖として考えているわけではないので、いくらで引き取ってもらえるかは考えないでいいのだ。
よく街頭で客引きをして、儲かるからと、どう見てもアートに興味のない人に、どう見ても価値のない絵を売る商売があるが、それとは対極の買い方なのだ。
叔父が池田満寿夫のパトロンの一人であった。
だから池田の作品が叔父の家に無造作に飾ってあった。
もちろん最初は無名である。
しかし初期の作品を叔父の家に行って眺めていると、叔父が応援したくなるわけがわかった。
抜群にイイのだ。
細かいところがどうのではなく、見た瞬間に線が輝いて見えるのだ。
それで叔父は池田作品が好きになり、買い集めたのだ。
その後池田は「有名」になったが、作品はある時から輝きを失った。
そんな血を引いているのか、自分が気に入ったものは手に入れたいと思う気持ちが素直なのである。
だから市場価格のある作品の値段が下がっても落胆する事はなく、安くなったのだからむしろ買いやすくなったと思うのである。
これが後悔しないアートの買い方なのだ。
鬱であっても寝ているわけにはいかないのが貧乏人。
その間にも仕事へ行き、自分はタフなネゴシエーターだと自分に言いきかせ集会に出て、その結果また疲れて・・・(笑)
cheseiさんの再開ブログを見て、satoboも頑張ろうと、目標閲覧者3人以上(笑)を掲げての再開です。
本日の話題は、アートの買い方。
写真を含めてアートの市場というのは買う人と売る人がいて成り立つ。
買った人がまた手放して売る人にもなる。
そうやって作品が循環しながら売買されるのが市場である。
satoboも写真、絵画含めて何点かの作品を買って持っているのだが、これらはいわゆるアート市場で購入したものではない。
特に写真の場合、市場なんてものはほとんど日本に存在しない。
もちろんいくつかのギャラリーで売買されているのは知っているし、実際にその場に立ち会った事もある。
でもその規模は他のアートに比べるときわめて限定的だ。
その市場を大きくしようと様々な人が様々な手法を考えて努力しているが、肝心の客が増えないようだ。
まあその筋の話は、今日の話題とは外れるので置いておく。
satoboの買い方は手放す時に値段がつく「リセールバリュー」とは別の買い方なのだ。
それを持っていたい、いつでも見たい、それが好きだという気持ちから作品を買うのです。
だから実際にはそれがポストカードであっても印刷でもいいのです。
グラビアのピンナップを壁に貼る気持ち。
もちろん本物の方がいいには決まっているけど、手に入らない時も多い。
佐伯祐三の絵など手に入るわけがない。
それでも美術館に行って実物を拝見し、その記憶を頼りに画集を眺めてイメージするのですね。
それは宇多田ヒカルをDVDで見て、昔(すでに40年も昔だ)実際に名古屋駅で見た藤圭子のお人形さんのように白く華奢な姿を思い浮かべるのと同様である(同様には思えんが)。
そういう気持ちで作品を買うと、納得がいけば「法外」でも構わないのだ。
絵でも写真でも無名あるいは新人であれば基本的には市場価格は0円である。
市場的価値がないからだ。
でもそんな事は好きなら構わない。
市場の基準で見ずに、自分がこの価格なら欲しいと思う値段なら納得価格なのだ。
それは市場性を無視した行為なのだが、もともと売り払う、あるいは利殖として考えているわけではないので、いくらで引き取ってもらえるかは考えないでいいのだ。
よく街頭で客引きをして、儲かるからと、どう見てもアートに興味のない人に、どう見ても価値のない絵を売る商売があるが、それとは対極の買い方なのだ。
叔父が池田満寿夫のパトロンの一人であった。
だから池田の作品が叔父の家に無造作に飾ってあった。
もちろん最初は無名である。
しかし初期の作品を叔父の家に行って眺めていると、叔父が応援したくなるわけがわかった。
抜群にイイのだ。
細かいところがどうのではなく、見た瞬間に線が輝いて見えるのだ。
それで叔父は池田作品が好きになり、買い集めたのだ。
その後池田は「有名」になったが、作品はある時から輝きを失った。
そんな血を引いているのか、自分が気に入ったものは手に入れたいと思う気持ちが素直なのである。
だから市場価格のある作品の値段が下がっても落胆する事はなく、安くなったのだからむしろ買いやすくなったと思うのである。
これが後悔しないアートの買い方なのだ。
ただしノンケですが・・・。
アートを買う...私の知らない世界の話で大変勉強になります。
パトロンの方が貧乏では意味がありませんよね(涙)。
arataさん
欲しい写真とか絵とかないのですか?
部屋に飾ると心が落ち着きますよ。
choseiさん
予定では2万アクセス増加の予定だったのです。
そうならなかった理由
・satoboの日記購読者が7-3=4人しかいない。
・2万人はいるのだが、choseiさんが怖くてクリックできない。
さてどちらなのでしょう?
satoboは、映像の世界はよくわからないのですが、choseiさんが「アホかオマエ、顔を洗って出直してこい!(意訳)」と叫ぶのが楽しいのですけど。
なんて心がぷあーなんだ、俺は...。