Nonsection Radical

撮影と本の空間

11月16日 アジア映画

2022年11月16日 | Weblog
少しずつ休みの日にはアマゾンプライムでアジア映画を観ている。
特にこれというジャンルではなく、鑑賞期限が迫っているものから適当に選んでいる。
筋書きを読んで良さそうという基準に特にこだわりもなく、面白そうという感覚だけだ。
この面白そうも、楽しい、悲しい、寂しい、憤りるなど様々な理由がある。
まあ中身はそれぞれだけど、その中から色々と見つけて感じることができれば良いんじゃないのかと。

ひきつづき読書に励んでいる。
ドンドン読んでドンドン処分していかないと。
しかし発行年月を加味して読むと、当時の空気が感じられて興味深い。
わかる事といえば、当時の人はその先に来る激変には気がつかないで生きているという事。
これは今現在も同じだろう。明日にも時代が変わるかもしれないのに気がついていない。

写真集を買うにも中身がわからないと値段的にもおいそれと手が出ないんだけど、ネットで調べると数ページでも中が紹介されていると雰囲気がつかめて判断ができる。
そう思う人も他にもいるんじゃないかと、少しずつだけどsnsなどに上げていこうかなと思っている。
案外写真に興味がある人など少ないんだけど。
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11月14日 始動

2022年11月14日 | Weblog
日々「そんな事してなんになるの?」と逆に「あんた生きててなんになるの?死ねば?」と問い返したくなる無意味論争に巻き込まれる。
でも上記のように相手は自分の存在価値など疑ってもみない肯定論者なので、これは単なる他者に対する嫌われ行為でしかないのがわかる。
何か意味がなければ行為や存在に価値がないかの言動は何の役にも立たないばかりか、発展を阻害する原因にもなる。
なぜなら世の中のほとんど多くが意味のないものであるからだ。
この場合の意味とは多くが経済的意味が多い。
では経済的意味を考えない行為とは経済的困難を抱えていない人がおこなうのかと言えばそんなわけがないし、経済的意味を問うためにしているわけでもない。
だから経済的意味を考えないおこないをする人に経済的意味を問うのは無意味なのだが、そもそも経済的意味を問う人が経済的意味を問うのは単なる他人に対する嫌がらせなのだ。
とにかく他人を蔑みたい人が多い。
そこに自分の存在価値があるかのように執拗に絡んでくる輩が多い。
そういう輩は案外安定的な立場(もちろんこういう場合も経済的にだが)だったりするのだが、その言説と現在の日本の状況を見比べると、こんな連中の言う事をまともに受けているとこんなひどい社会状況の国になるんだと反面教師にしかならない。
だから最初から一切相手にしないに限るのだが、面と向かえば殴るに限る。
相手は安全圏から嫌がらせをしているつもりだからまさか反撃があるとは思っていない。やはりナメられているのだ。
意味のない事をまったりと楽しくやっていくには、それ相当の腹のくくり方をするしかない。
そんな思いでまた一つひっそりと事をおこした。
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11月11日 名刺

2022年11月12日 | Weblog
仕事場を去る人に連絡をつけられるようにと名刺を作る。
デザインに関しては絶望的なセンスを自覚しているので、ともかく知らせるという目的を達せられるように必要なことだけを記する。
街並みを撮影していて何か連絡先を知らせるような場合、あるいは妙齢の女性から連絡先をせがまれた場合にと以前から用意はしていたが使用する機会はなかった。
従来のものを少し変えて作り直したが、データの羅列だけで終わる。

年末調整の記入作業。
遺産相続の委任作業。
年末に向けて提出書類がたくさん。
面倒だ。
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11月7日 任せる

2022年11月07日 | Weblog
街並みを撮るためにこれまでシフトレンズを持ち歩いていた。
ニコンの中古で買った28mmレンズだ。
建物を仰ぎ見た時にとんがって見えるのが実は嫌なので使っている。
これをソニーの安物カメラにコンバーターをかましてつけているのだが、カメラも軽いしレンズも軽いものなのだが、それでも老化によってかさばるし重いし困ったねえと思っていた。
それで以前にソニーでは使えなくなった古いコシナの広角レンズを再利用しようとオリンパスの安物中古ミラーレスを手に入れ、そのコンパクトさと軽さが気に入ったのだけど、説明書を読んでみるとソフト的にシフトあおりが出来ると書いてあった。
難しいことや手の込んだことは出来ないたちなので(操作方法をすぐに忘れるため)シャッターを押せば写るのが理想としてきたけど、重いレンズを持ち歩く事を考えるとチャレンジしてみようかと思った。
説明内容を(あいまいに)頭に入れ仕事帰りに操作を思い出しながら一人ブツブツ言いながら住宅街を怪しく歩いた。
液晶画面を見ながらダイヤルをグリグリ回すとドンドン垂直になっていく。
撮影後にソフトウェアで垂直に出来ることは知っている。
でもそれをすると、画面上で写っていた周辺部が切り取られていくのが見えて癪に障るのである。
実際にはカメラ内で同じ事をしているのだが、見える絵柄が切り取られた後のものなので、それを見ながら構図を考えられるので許せるのだ。
面白いねぇなどと呟きながら撮影していて、もうこれで良いんじゃないの?と思ってしまった。
レンズもオートフォーカスで良いし、何もこだわらずにシャッターを押すだけで良いじゃない、十分面白いよ、と。
こんな事を言ってると、こだわりだらけの写真を撮っている周囲の知り合い達からはバカにされるのだろうが、そこじゃないんだよと言いたい。
ではどこなんだと言われると困るんだけど。
結果として機動性を手に入れることができるのだからすらばしいではないか。
参考までにオリンパスなどのマイクロフォーサーズ規格って150gとかの重さのレンズが普通にあるから凄いよね。
小さな安いカメラに安いレンズをつけて気楽に撮り歩く。
最高だね。

口絵は試し撮り。
コメント (2)
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11月5日 放電

2022年11月05日 | Weblog
カメラを手にしなくなって時間が経ち、再びカメラのスイッチを入れるとバッテリーが放電されていて動かなかった。
一番の理由は休みがない事だが、体調に対するマイナスイメージが意外に心理的影響を与えていて、脱水症状になるような動き方は控えないととか考えるとそれだけで病人扱いになってしまう。
また今回のように、長い間隔があくとすべてがリセットされ、いちから始めなければならないのが面倒だ。
まあこれはずっと動画撮影をし続けていた際に、一度やめたら再開は困難だと思っていた事ではあるのだが。

でも今回もバッテリーを充電してまた新たな気持ちで撮影をしようとは”思っている”。
何が撮りたいかはわかっているのでずいぶん楽ではある。
世間には、そしてかつて自分も、何を撮ったら良いのかわからないという状態に陥る落とし穴があるので注意が必要である。
その時にわかったのは、撮りたくなったら撮れば良い、という事だ。

カメラの使い方も忘れたので、設定を説明書を見てやり直そうと思い、説明書を探したらニャンコのゲロまみれという悪夢が襲ってきた。
ニャンコのゲロってかなりクサいんだよねぇ。
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