人間は、どのようにして「悪魔」と化すのか。
その悪魔となった人間とどう向き合っていけばよいのか。
そして、悪魔となる人間を生まない社会をどう作っていくか。
そもそも、「悪魔を生み出すメカニズム」とは一体何であるか。
今、まさにこのことが問われていると思う。
世界秩序は不安定化し、世界各地で過激組織が生み出され、予期せぬ場所で無差別テロが起こり、殺戮が繰り返されている。それを、世の為政者たちは、「絶対悪」と名づけて、淡々と粛清しようとしている。現政権トップも、「テロには屈しない」、「罪を償わせる=復讐する(revengeする)」、と言っている。
だが、特定の団体を粛清しても、また新たな団体が生まれ…。
人間の知性が考えるべきは、「いかにして悪魔を生み出す要因を排除するか」の一点に尽きるように思う。そして、そのためには、その悪魔(的組織)が生み出されるメカニズムの解明がどうしても必要なのである。
比ゆ的に言えば、凶悪ないじめっ子は家庭での暴力やネグレクトから生まれ、悪魔になる。また、いじめられっ子はいじめられた経験から悪魔になる。人間は、経験によって、悪魔になるのだとすれば、その経験の撲滅こそが、悪魔を生まないための条件となる。
悪魔といえば、昨日、秋葉原の連続殺人事件を起こした加藤智大の死刑判決が決まった。法廷では、「強固な殺意に基づく残虐な無差別殺人であり、酌量の余地は見いだせない」、と語られた。彼は、法の裁きを受けて、死刑となる。日本という小さな国で生まれた小さな悪魔は、死をもって、裁かれることになった。
彼もまた、「悪魔」となりて、そして、「正義」によって裁かれることになった。また一人、悪魔が法の名の下に消されることが決まった。
他方。
邦人二人を殺害したとされるISILの「ジハーディー・ジョン」こと、アブデルーマジェド・アブデル・バリーの画像が毎日のようにテレビ画面に映し出されている。彼もまた、現代社会が生んだ「悪魔」の一人だろう。彼の顔を直視できない自分がいる。世界で最も恐ろしい人間の姿をした悪魔の一人と言えるだろう。
もし、今、加藤智大に極めて近い人物がこの世にいるとすれば、このアブデルーマジェド・アブデル・バリーに感化されて、ISILに羨望を感じるだろう。そう想像してしまう自分がいる。もし加藤智大が事件を起こしておらず、今を生きていたら、もしかしたらISILに憧れてしまうのでは?!、と懸念する。悪魔の予備軍は、国内外を問わず、膨大にいる。世界各地に、イスラム国に憧れを抱く(悪魔以前の)人間が存在する。
かつて、日本にも悪魔の集団が存在した。
20年前の1995年、日本国内で、小さなISIL的存在が化学テロ行為を行った。オウム真理教の地下鉄サリン事件だ。彼らもまた、国家を破壊し、自分たちで新たな国家を作ろうとしていた。かつて、そのトップである麻原にたくさんの若者が憧れ、同一化しようとした。後に死刑の判決を受けることになる「悪魔たち」が、オウムの名の下で団結し、無差別テロを実行した。そして、そのほとんどの悪魔たちが、法の裁きを受け、死刑の判決が下された。
そのトップである麻原に該当するのが、2003年のイラク戦争以後に対等したISILのトップである「バグダディ-(Abu Bakr al-Baghdadi)」であろう。今、国際社会では、このバグダディ-こそ、「悪の化身」の代表的存在と見なされている。
けれど、彼の生い立ちを調べると、麻原よりもはるかに知的で、文化的で、博識のある人間のようだ。
バグダディ-は、1971年生まれとされているので、実は僕とそんなに変わらない年齢なのだ。現在、43歳くらいだろうか。しかも、このバグダディ-は、マホメットを信じる敬虔な家庭で育ったそうだ。19歳の時にイラクの首都バグダート(バクダット)に行き、10年間、イスラム学を学ぶ。若い頃は、スンニ派とシーア派の若者が共に暮らすところに住んでいた(つまりは、共存していた)。その後、2000年頃に、イスラム法に関する研究で学位(博士号)を取得する。この頃に、結婚もしていて、息子もいる。大学で講師をしていたという情報もある(未確認)。彼の歯車(?)が狂い出すのは、2003年のアメリカのイラクへの軍事介入だった。この介入が、「イラク戦争」に発展する。そして、彼はアメリカ軍によって拘束され、アメリカが作った「収容所(かなり劣悪な施設)」に二度にわたり、何年も収容される。
その間に、いったい何人の人が拷問を受けたり、殺されたりしただろうか…。
想像に過ぎないが、僕とほぼ同時代を生きるバグダディ-は、徐々に社会の混乱の中で、自国に、世界に、アメリカに絶望したのではないだろうか。もしかしたら彼の親族や妻や子どもがアメリカを中心とする「有志連合軍」に殺されているかもしれない。まだよく分からないけれど、彼の下に集まるISILの人々は、皆、そういう経験をしていると考えられる。ISILのメンバーは僕ら世代。大切な人を失い、家族を殺され、国をめちゃめちゃにされた経験をしている人々である僕ら世代の人間なのだ。
「この世の中に正義も真実もない。だから、われわれの手で破壊し、新しい世界、理想郷を作るのだ…」
もしかしたら、そういうメッセージを誰よりも強く発信してきたのが、バグダディ-だったのかもしれない…。
だから、今回の一連の事件を受けて、僕は、どうしても「他人事」に思えないのだ。ISILの卑劣極まりない行為の背後に、オウムのかつての信者たちの姿を思い浮かべてしまう。もちろん、それを、「悪は悪だ。ISILは悪魔だ。われわれは悪くない。彼らを認めることは絶対にあってはならない」と言い切ることはできる。
玉井さんは、「何で湯川さんと後藤さんがこの世から排除されなければならないの。連中は悪。こちらに悪はない。定義の問題などではない」、「背景が何であれ、悪は悪。無辜の市民を惨殺したのは絶対的な悪」、「この世に絶対的な悪はある。その担い手を説得によって改心させることはできず、ただ排除することしかできない」、と言い切っている。実に法学者らしい見解だ。きっと橋下さんも同意見になるだろう。
もちろん僕も、加藤智大、ISIL、オウムといった「悪魔」を擁護することはできない。ただ、人間学的・哲学的・教育学的(あるいは社会学的)視点で考えると、彼らを、ただ「悪魔」と名づけて、一方的に「粛清を!」と叫び、善か悪かで切り捨てるのではなく、「なぜ悪魔が生まれてしまうのか」、と問わなければならない。悪魔が生み出されるプロセスそのものが問題視されねばならない。
どんな人間もかつてはかわいい赤ちゃんであり、誰かにとって大切な存在であった(はず)。彼らは、自らの意志で「悪魔」として生まれたのではなく、この社会で生きていく中で「悪魔」となったのだから(現事実として、悪魔の赤ちゃんは存在しない)。悪魔として生まれた赤ちゃんをわれわれは知らないし、それを認める人もいない。だから、ドイツでも、ナチスが生み出されたメカニズムの解明はずっと行われ続けているし、二度とアウシュヴィッツを繰り返さないための教育には力を入れている。日本も徹底して、平和教育を戦後70年行い続けてきた。
それでも、「ナチス的なもの」は、名前や姿を変えて、立ち現れてくる。
「この社会は狂ってる」、「この国家にはもう何も期待できない」、いや、グローバル時代であるからゆえに、「この世界は狂っている」、「この世界は不平等だ」、「この世界の<勝者>を一掃する以外に、道はない」、「この世界の勝者=アメリカ等を徹底的につぶす以外に、選択肢はない」、と思う人(予備軍)は、決して少なくない。奇しくも、『21世紀の資本』を書いたピケティーが来日し、世界的な「格差」についての議論も同時に起こった(詳しくはこちら)。社会のあちこちに、そういう不満や怒りや絶望が転がっているのだ。
それを、「悪魔的手法」ではなく、「理性的手法」(ないしは言語的手法、ないしはアート的手法等)で表現する力を与えるのが、教育(ないしは啓蒙、陶冶)の目的だったはず。こういう悪魔を生み出してしまうのは、社会(政治や経済)の責任であり、また教育(親や教師)の責任なのではないか、と思う。
後藤健二さんは、twitterでこうつぶやいていた。「世界市場では、待っていても何も起こらない。最初の一歩は自らが踏み出さないと。この日本国では、待っていたらこのザマなのですから。子どもを大事にしない政府や国に未来なし」(出典元)。
彼こそ、まさに理性的手法で、悪魔を生み出すその根っこを見つめ続けてきた人なんだろうと思う。そのことは数日前に述べた。この彼の言葉から、政治的にもかなり批判的な人だと推測する。ゆえに、現政権トップも、心の底では彼のことを(実は)好きではないだろう。現政権トップは、自分の考えに異を唱える人間を排除する(沖縄県知事しかり)。この国の為政者は、子どもだけじゃなく、個々の人々(特に意見の違う人間)を大切にしない。後藤さんに言わせれば、「未来なし」なのだ。
では、いったい何をどうすれば、≪悪魔の生成≫を食い止めることができるのか。
それこそ、まさに、過去の悪魔たちから学ぶしかない。なぜナチスが生まれたのか。なぜオウムが生まれたのか。なぜ加藤智大が生まれたのか。こうしたことを繰り返し問いなおす以外に、道はない(と確信する)。ISILはまさに今現在進行形で動いている存在なので、まだ学べる段階ではない。ただ、「悪魔から学ぶ」という視点で、彼らを知ろうとすることはできるだろう。 既に、アブデルーマジェド・アブデル・バリーやバグダディ-の背景についての情報は表に出つつある。彼らの「過去」に何があったのか。どんな悲しみや怒りや絶望があるのか。そして、どんな人生を歩んできたのか。
それこそ、悪魔の成育史的な研究の積み重ねによってしか、この問題は解決し得ないだろう。そして、その悪魔を生み出すメカニズムの解明を通じてしか、根本的な解決にはならないだろう。たとえ彼らを捕獲し、裁判にかけ、死刑という罰を与えても、それに代わる悪魔がまた生み出されるだけであろう。それは、この20年近いアメリカの失策を見れば明らかなはずだ。
(*僕が研究対象にしている児童遺棄・児童殺害・児童虐待に与する親もまた、「悪魔」と見なされ、法の裁きを受ける。この問題と、悪魔の問題は決して別のものではない。いや、同じ問題の表裏に過ぎない…)
社会が、時代が、悪魔や化け物を生み出す。それ以上でも、それ以下でもない。とすれば、悪魔を生み出さない社会秩序を常に作り続けるしかない。この世の中は不完全であり、常に、矛盾やコンフリクトで溢れている。当然、不満を抱く者や怒りや復讐心を強く抱く者もいる。そうした人々をも排除しない社会づくりが欠かせない。結局は、排除や差別や偏見が、悪魔を生み出すのだから。もちろん政治的な影響も増大であることが分かる。ISILは、国際的な政治的混乱の中で生まれ、台頭し、勢力を拡大させてきた。ナチスもまた、そういう世界的な政治的混乱の中で生まれてきた存在だし、大量殺戮(ジェノサイド)は常に政治的(political)である。オウムや加藤智大のような人間が集団になり、政治的な権力を掌握すれば、新たな殺戮政党が生まれるし、そういう人間が政権のトップに立てば、悪魔的な国家が誕生する。
日本もかつては、国際社会から脱し、独自に領土拡大に手を染め、支配領土を広げ、「大東亜共栄圏」の樹立を目指した。ISILのやろうとしていることと、かつての日本(大日本帝国)がやろうとしたことは、全くの無関係ではないだろう。もっとさかのぼれば、イギリスがアメリカ大陸を発見し侵略したのも、また、欧米がオーストラリア大陸を侵略したのも、同罪なのかもしれない。人類の歴史は、侵略と殺戮と抹殺の連続だ。ISILの行為を、いったい誰が責められるというのだろう(もちろん容認し得ないことだが、責める権限は誰にもない)。
でも、だからこそ、皆で「悪魔を生み出すメカニズム」を解明し、悪魔が再生産されないための世界秩序づくりを真剣にしていかなければならない。マクロでみれば、国際的な安全保障の問題になるし、ミクロでみれば、加藤智大を二度と生み出さない社会づくりの問題になる。犯罪が起こるのは常に、「お金(経済的安定)」と「愛情(家庭的安定)」の喪失だと言われている。経済的安定や家庭的安定のためには、国家の安定や政治的な安定が必要不可欠である。
こういう時代だからこそ、学ぶことを忘れず、考えることを忘れず、感情的にならずに、冷静に、批判的に、そして建設的に議論し、知恵を出し合って、「どうしたらよいのか」を、みんなで考えていかなければならない。
全員が、「当事者」なのだから。
ドイツの政治家、ヴァイツゼッカーの言葉を、今こそ思いださなければならない。
「過去を忘れるものは現在に対しても盲目となる」。
そして…
忘れてはならない。
われわれすべての人間の内に、その悪魔が眠っている、ということを。
最後にこの曲を。(映像が極めて今日的にシンボリックである!)
このPVの最後のシーンをどう解釈するか…。
PS
この記事には、特定の政治性やイデオロギーはありません。悪しからず。