先ほど、新木場スタジオコーストで行われたDIR EN GREYのライブが終わりました!
久々のライブで、楽しかったです。DIR EN GREYのライブは相変わらずファナティックで、幻想的で、狂気的で、迫力満点でした。
今回、驚いたのは、ステージ上のスクリーンに映し出された映像でした。
今回のライブは、「真世界」というタイトルが付けられていました。流される映像は、さまざまな真実の世界のリアルな映像でした。グロいものから、美しいものまで…
DIR EN GREYのファンはこの映像をどう見たんだろう?
太平洋戦争のあのリアル過ぎる映像をどう見たのだろう?
DIR EN GREYの退廃的で耽美な楽曲と映像が重なることで、リアルな経験以上のリアリティーが感じられるな、と思いました。
懐かしい曲から最新の曲まで、バリエーション豊かなラインナップで、あっという間の二時間でした。
セットリストは…
20180630
— ロシアまで人間を被りに行く深矢 (@filthy_deity) 2018年6月30日
DIR EN GREY
真世界 追加公演 2日目 セトリ
人間を被る
鱗
腐海
鴉
禍夜想
てふてふ
ASH
孤独に死す、故に孤独
VINUSHKA
RANANCURAS
audience KILLER LOOP
REPETITION OF HATRED
THE IIID EMPIRE
EN
Behind a vacant image
THE FINAL
I CAN NOT LOVE MYSELF
Beautiful Dirt
詩踏み pic.twitter.com/I6Y5ljsijg
一曲目は、最新シングルの「人間を被る」。
J-ポップや弱々しいロックに物足りないと感じる人は一度聴いてみてもらいたいです。
全く違った「音楽の顔」が、あります。
やっぱり、京は凄いボーカリストだ。孤高のボーカリスト。曲が終わり、音が消えるその瞬間まで、緊張感をもたせていて、照明が消えた瞬間に、ファンの悲鳴じみた叫び声がこだまする。それと同時に、京も倒れこむ。
DIR EN GREYのライブをアートと呼んでいいか分からないけど、僕は美術館の中にいるような気分だった。少なくとも、この会場には、最もアートのもつ強烈な力が満ちていた。最も強烈な負の力が…
ライブの最後には、メンバーみんながフロアのファンたちにペットボトルの水をぶちまけていた。京は、ペットボトルの水を口にふくみ、ファンに吹きかけていた。こういうのもまた、ダークなバンドには本当によく合いますね。
コーストの会場を出ると、チラシが配られました。
2018.9.26
New Album
The Insulated World
いやー、楽しみですねー。
PS
今回のライブは、「演奏」×「映像」×「照明」を通して、「真実の世界とは何か」を問いかけているように思いました。ファンの人たちがどうこのライブを経験したのかは分かりませんが、DIR EN GREYが「人間の真実」を描こうとしているのが伝わってきました。
一番、僕が気になったのは、あのかつての大戦の映像をファンがどう感じたのか。
DIR EN GREYのメンバーは僕と同じ世代。戦争に対する嫌悪や戦争を美化する思想に対しては、まだ抵抗をもっている世代だと思います。彼らがどう意図して、ああいう映像を流したのかは分かりませんが、少なくとも、DIRのファンたちの中で、「戦争への嫌悪」が共有されればいいなぁ、と思いました。
一方で、ゆずやRADWIMPSが、愛国的な歌を歌い、話題になりました。いわゆるメジャーな世界で活躍するポピュラーミュージックのトップクラスのアーチストが、イノセントに国や国家や領土を想う(僕ら退廃的な人間からすると「キレイゴト」にしか聞こえないような)考えを歌詞にする時代です。
今回のライブを経験して、そういうイノセントなポップミュージックの「対極」を見た気がしました。
京は、ライブの後半で、「生きてんのか?」「生きてんだろ?」と叫んでいました。「生きている」ということ、「生きられている」ということ、それ以上の価値はないんです。戦争は、その生を奪う営みです。国や国家は、他国とのコンフリクトから、その国で生きる人々を戦地へと強制的に送り込み、殺戮を強制します。そういう力があるんです。
世俗的なポピュラーミュージックと全く対極に存在するDIR EN GREYの「真世界」。
色々と考えさせられました。