現在、翻訳終了間じかの【離婚家庭の子どもの援助】の中で、心打たれる素敵な文章があったので、ご紹介。すごく説得力があって、思わず手に力を入れて読んで、訳してしまった。悲しい時に、一番素敵なプレゼントとは・・・
「君たちは知っているかい? 悲しんでいる人にとって、一番の贈り物は、自分が悲しんでいる時であっても、自分のことを理解してくれて、自分のことを好きでいてくれる人がいることなんだよ。思いやりのある心は、人生の中で、とても大切なことなんだ。悲しい出来事から自分たちを守ってくれるものなんて何もないのだから、僕らみんなが思いやりの心を必要としているんだ。人生とは長い道だ。その道の上で、僕らは、大好きになる人や事物とたくさん出会う。けれど、いつ日か、そんな愛する人や事物とも再び離れてしまう時がやってくる。幸いなことに、共に過ごす時間はとても長く続く場合もある。でも、それは誰にも約束されていないんだ。時おり、別れの瞬間はとても早くに訪れる。しかも、しばしば自分たちが予想さえしていない時にやってくる。その時、僕たちは、もうここには存在しない人と別れを告げて、自分の道をさらに進んでいかなければならないんだ。それは、とても心が痛いことだし、とてもとても悲しいことだ。しかし、僕らはそれを変えることはできない。そうした痛みをぬぐい去ってくれる人もいない。僕らがその痛みに耐えて、思いやりのある人やその人の言葉に助けられるなら、自分の傷ついた心は、じきに完全に癒されるだろう。そして、僕らはまた新しい人間に変わり、自分にとって大切なものと出会えるだろう。その大切なものと共に、また新しい第一歩をふみ出すのだ。これが人生というものだ。生と死、出会いと別れは同じことなのだ。それは、昔からそうであったし、これからもそうなのだ。」 (カナカキス、1994年、p.50-51)
悲しみを止めてくれる存在がないのだから、僕らは人の思いやりややさしさを必要としている、という箇所にとても感銘を受けた。当たり前のことなんだけど、なるほどと思わせる何かがあった。
「思いやりを大切に」というキレイゴト、美辞麗句にどこか嫌悪感があった。だが、「思いやられたいでしょ」と言われたら、たしかに思いやられたい。誰もが、思いやりをもたれたい、やさしく接してもらいたい、共感してもらいたい、と思っている。この前提となる願望があって、はじめて「思いやり」の大切さに気付けるような気がするのだ。
愛されたことのない人が人をうまく愛せないのと同じように、思いやられたことのない人に人をうまく思いやることなどできるはずがない。そう考えると、やはり子どもには、惜しみない愛情を注ぐと共に、たくさん思いやってあげたい。思いやりややさしさを知らない子どもたちが大人になってしまうまえに。
出典:『虹の涙を求めて』(Here)