あてどなき日々…。
もうすぐクリスマス。
久々に日記でも。。。
先日、らんちばさんと話をしていて、「もう、ブログの時代じゃないよねー」という話になりました。僕とらんちばさんがブログを始めたのが、同じ2005年。同期生(笑)。
あの頃は、「ホームページ」から「ブログ」に移行する時期で、ホームページより手軽に操作できるホームページビルダーみたいなもの、という感じでした。その後、ブログはブームになり、誰もかれもがブログを書くようになりました。ブログの書き方の本もいっぱい出ました。
でも、その後すぐにmixiやら、前略プロフィールやら、facebookやら、twitterやら登場し、ブログの存在価値はかなり低くなりました。そして、スマホの登場、LINEの登場で、ブログはますます隅に追いやられるようになりました。
ブログをやっている人というのも随分と減りました。有名人や自営の人(飲食店経営者)は変わらず、ブログを書いていますが、普通の人はまぁ、ほぼやっていない時代になりました。「ラーメンブロガー」も随分と減りました。一人、また一人とブログを書くのをやめていくの見ると、寂しさも覚えます。
でも、何かを調べたり、検索したりするときには、やはりブログは強いんです。情報が滝のように流れ落ちていくSNSと違って、ブログは検索にうまくひっかかってくれます。なので、PCを使っている限りは、またgoogleなんかを多用する際には、ブログはまだまだ利用価値ありだと思うんです。
だけど、今の人たちは、コミュニケーションツールとしてネット(SNS)を使っています。情報収集のためではなく、コミュニケーションが目的となっています。とすると、やはり他のSNSと比べると、ブログはワンウェイなんですよね。
ブログの行く末が気になるところです。
最近、鬼のように忙しくて、音楽もロクに聴いていません。CDはそれなりに買ってはいますが、「心に響く曲」と出会うことはほぼ皆無になっていて…。i-podでは、専ら自分の曲ばかり聴いている、という有様。ダメなんですけど、今はもう音楽を楽しむ余裕など、全然ありません。
しかも、今の自分が聴きたいと思うのは、昭和の歌謡曲だったり、80年代~90年代の洋楽だったりします。新しい音楽に、もう身体?が対応しきれなくなっています。好きだったバンドでさえそうなのだから、新しいミュージシャンの音楽など、もう微塵も入ってきません。心が動かないんです。
それだけじゃないんです。今年は、日本全土を通しても、ヒット曲が生まれませんでした。その背景には、日本国内の政治闘争(反アベ闘争)や国外でのISIL及びテロなど、とても穏やかではない一年となりました。今年、僕は心から学びました。「音楽って、平和の象徴だったんだ」って。もう、今は、国内外を問わず、平和じゃないんですね。ものものしい空気に満ち溢れている。反抗することも、抵抗することも、批判することも、参加することも、無意味なものに感じられるようになってきています。
虚無感、シニシズムに陥っている、というか。そんな時代に、音楽はとことん無力なのかもしれない。今年は、ホント、音楽を楽しめなかったなぁって思っています。紅白歌合戦のリストを見ると、「あー、日本の音楽って、止まっちゃっているんだ」って実感しました。まぁ、若者たちはいつでも音楽が好きだけど、この年になると、新しい音楽に感動する心って、かなり弱っちゃうんですね。(働き盛りの40代には、昔の懐かしい音楽だけで十分幸せになれちゃうっていうのもあります)
2015年の冬。
僕は、猛烈にシニシズムに襲われています。なんていうんだろう。「もう、どうでもいいや」っていう気持ちが強くなっていて、「今の時代、何をどう言っても、空虚でしかない」って感じちゃうんです。戦う気力も失せた気もします。自分の無力さや限界も、色々と感じることも増えてきました。
そんな空気が、この国全体を覆っているようにも思えます。I am not Abeというフレーズも、どこへやら。結果だけを見たら、安倍さんの圧勝状態が続くばかり。政治的なアノミーも半端なくなってきています。それに加えて、パリでのテロ。自分も「世界内存在」と考えると、この空気に抗うことはできない。
たかが40年しか生きてないけど、この40年で、ここまでシニシズムに襲われたのは初めてのような気がします。「世界には到底抗えない」って、痛感するばかり。「ただ忙しいだけの日々」。それに追われるだけの日々。10代、20代のようなキラキラとした感覚やジェットコースターのような感覚はなくて、一日一日をただこなすだけ。
忙しすぎるんだろな。
考えてみれば、僕なんか、ただの「ものぐさ人間」。だら~っとしてたいだけの人間。なのに、あれやこれやと手を伸ばして、自分で自分の首を絞めている、という…。
多分、きっとまだ、本当のシニシズムには陥っていなんだろうな、とも思います。まだ、「頑張らないと!」っていう気持ちが残っているんだと思います。無力さは感じながらも、「やれるだけやってやろう」とは思ってます。このブログも、(今はむちゃくちゃ辛いけど)地道に更新し続けることで、何かまた面白いことが起こるだろう、と。
シニシズムとフロンティアスピリットの狭間にいるのかな…。
久々に、ただの日記を書いてみました。
うちの学生や卒業生を含め、色々と悩んでいる若者は多いです。
けど、そんな苦悩も、やがては「疲労」と「シニシズム」に変わります(苦笑)。
自分の責任で生きていくって、ホント大変です。社会に飛び出れば、そう弱音は吐けないし、助けてくれる人もそうそういません。助けてくれる人がいたら、ラッキーだと思うべきで、世の中、みんな自分や家族のために必死で、自分を殺して生きています。辛くても、辛いなんて、なかなか言えるもんじゃないです。
そして、ただただ疲れます。休みの日に何かしようなんて、まず思いません(そうでない人もいますけど…)。安全と安心と安眠があれば、それだけでいいんです。金持ちにならなくても、寝る場所があって、泥棒さんが家に入ってこなくて、そして温かい布団で寝られれば、それだけで幸せを感じちゃうんです。
世の中、「貧困」「貧困」とうるさいけど、戦後直後の日本人はみんな(今の人の想像をはるかにこえるほどに)貧乏でした。母から聞いた話ですが、「昔は、給食の時間に、校庭を走る子どもがいっぱいいたわ。給食を食べるお金がなかったの。そういう子どもがいっぱいいたわ」、と。それでもやっていけたんですよね。ケータイやスマホなんてなくても生きていける。過度に贅沢な料理を味わわなくても、幸せに生きていける。子どもを大学や短大や専門に行かせられなくても、それは親の責任ではない。それを負い目に感じる必要もない。今が異常なだけなのだから。
安全と安心と安眠。
今の自分が求めるのも、それかな、と思います。疲労感とシニシズムを消してくれるのは、安心、安全、安眠というとってもシンプルでお金のかからない三つの言葉でした。
まー、みんな、年を重ねれば、苦悩は消えて、(肉体的な)疲労とシニシズム(あるいはアパシー、デカダンス)に襲われて、ただただ生きる(=働く)だけになりますからね。大いに苦悩して、迷ってほしいですね。で、いっぱい感じてほしいですね。(感性も枯れるから…)
さ。。。
そろそろ寝ますかね。
真夜中のラプソディー、おしまい!
最後に、今の僕を癒してくれる一曲でも。
こういう曲をずっとずっと聴いてたいですね。
ちょっと、心がキュンってします。
酒と音楽で、自分を酔わせたいわ。。。