Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

佐伯市歴史資料館~毛利家御居間~佐伯城三の丸櫓門~佐伯城跡河童像-「歴史と文学の道」を歩く

僕はラーメンブロガー&ラーメンフリークですが、、、

でも、同時に(いちおう)「先生」であり「学者」であります。

そして、やっぱり「歴史」や「文化」が大好きです。

佐伯に来たなら、ここでしか学べないことも学びたい!と思い、向かったのが、

歴史と文化の道エリア

でした。

このエリアに、佐伯の歴史と文化を学ぶ施設や文化財が集まっています。

で、まず向かったのが、

佐伯市歴史資料館

でした!

佐伯の人たちは、9000年前から集落を作って生活していたんですって。

9000年前ですよ、、、

明らかになっているだけで9000年前ですからね。

汐月遺跡出土の土器も展示されていました。

こういうのを見ると、古の人たちが実際に生きて、生活していたんだなぁと分かります。

これで、どんなものを作ったり、加工したりしていたのかなぁ~~

汐月遺跡が、重要な場所だと分かります。

佐伯の歴史についてはこちらを参照

こういう遺跡巡りもいつかしてみたいなぁ、、、

僕が感動したのが、この「古銭の一部」です。

これが、日本の昔の「お金」かー!!!って。

このお金で、人々はどんなものを買って、どんなものを食べていたのかな?

古銭を見ると、なんかすごく幸せな気持ちになります(お金好き💓)

歴史資料館とあって、歴史的な資料がいっぱい展示されていました。

その中心にあったのが、、、

この巨大なジオグラフィック模型です。

僕がこれから向かう「三の丸跡地」と山の上にある「佐伯城」です。

山の上に「佐伯城」があったんですね。

資料もいっぱい展示されていました。

このエリアの歴史を研究している人にはたまらない資料ばかりでしょうね。

かつて使われていた鉄砲もまたありました。

これで、やっぱり多くの人が亡くなったのかな。

そう思うと、あんまり鉄砲って見たいものじゃないなぁ、と。

攻めの鉄砲があれば、守りの鎧もあります。

この鎧、めっちゃ強そうでした。

実際に使われていたものなのかな?!

江戸中期以降の「先哲たち」。

佐伯の先哲として、「四教堂の教授」ですって。

明石秋室、中島子玉という教授もいたみたいですね。

中島は、1801年生まれで、1834年に亡くなったというから、若くして亡くなった学者さんか。

1797年に書かれた「荘子因」という書物もありました。

中島教授の蔵書と書いてあります。

早稲田大学図書館にも「荘子因」が保存されていますね

これは明石先生が書いたものらしいです。

これは「経蘇秦墓」(?)の写し、でしょうか?!

なかなかクセのある字体ですね~~。

中国唐の詩人の「賈島(かとう)」の詩を書きとったものみたいです。

その他、たくさんの資料が展示されていました。

これ、読めたらきっと面白いだろうなぁ、、、

(けど、勉強しなきゃいけないことがありすぎてなかなか古文や漢文までいけない…😢)

歴史資料館の隣りにあったのが、

毛利家御居間

でした。

毛利高範子爵一家が1893年~1907年まで住んだ住居みたいです。

130年前の日本人の住居を見て楽しむことができます。

修理・修復されているので、とてもきれいです。

130年前、ここでどんな生活を過ごしていたのかな?

今とはまったく違う生活形式だったし、全然違う「時間」が流れていたんだろうな。

はたして、僕らは本当に便利で快適になっているのかな?!

とてもノスタルジックな建物でした。

いわゆる「縁側」もあって、それもいいなぁって思いました。

もう、今となっては「縁側」をもつ家ってほとんどないし、、、

こちらは、佐伯城につながる、

佐伯城三の丸櫓門

です!!

この櫓門、すっごく存在感がありました。

門なのに、その門の上に建物があって、お部屋もあるんです。

この門の上って、どうなっていたんだろう?!

こちらが三の丸の跡地です。

今はもう何も残っていなんですよね。

更地状態でした。

そんな三の丸跡地の隅に、こんな銅像が建てられていました。

誰だ?!

村上勇先生

と書いてあります。

こちらのサイトによると、「大正7年早稲田工手学校卒。土木建設業にはいり、飛島組重役を経て地元に大和土建を設立。昭和21年衆議院議員(当選14回、自民党)。大野伴睦の派閥に属し、第3次鳩山内閣の郵政相、第2次岸内閣の建設相、三木内閣の郵政相をつとめた。日本遺族会会長として靖国法案づくりを推進した」とあります。

うーん、そうか、、、

でも、この先生、大入島出身の人で、敗戦後の日本の立て直しに尽力した政治家だったみたいです。

更に歩いていくと、、、

あれあれあれあれ?!?!

なんか、いるぞ。

なんか、立ってるぞ、、、

いました!!!

僕が愛してやまない、

河童(かっぱ)

です!!

この河童像を見たくて、ここにやってきたんですよね(笑)

こちらが、佐伯で出会えた佐伯の河童さんです。

僕は、それこそ小学生の頃から「河童」に惹かれていました。

水木さんの「河童の三平」を読んで、河童に会いたいって思っていました。

その後、いろんな本などで、河童は、「捨て子」のシンボルだったのでは?という話を聞き、それから「捨て子」にも関心を持つようになり、そして、赤ちゃんポスト研究にのめり込んでいきました。

河童って、日本全国あちこちに「逸話」があって、その地域ごとにいろんな河童が描かれているんですよね。

中国からやってきた「河童伝説」ですが、日本も河童を大事にする文化が根付いています。

河童についてもいつか真面目に論じてみたいなぁ、、、

お食事三男坊で朝ラーをした後、こんな感じで佐伯の文化エリアを見てまわりました。

見知らぬ土地の見知らぬ文化に触れるのもまた、ラーメン旅の楽しみになっています。

そうこうしている間に、11時前になりました。

最後の佐伯ラーメンの食べ歩き、頑張りたいと思います。

この後、ものすごい経験をすることになります。

ラーメンの食べ歩きの醍醐味というか、なんというか。

一期一会ってホント、素敵だなぁって思うような経験です。

次の記事をお楽しみに~~\(^o^)/

この漫画は僕にとってオンリーワンの大切な漫画です。

復刻版もありますね。この漫画、本当に不思議で面白いんです。

アニメもあるんですね!!

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