Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

人生としての芸術

今日の夜、大学院時代の先輩、
いや、違う、学問の、人生のパートナー(^O^)と、たくさん議論しました。

その中で、「芸術」と「美的経験」の話が出ました。
芸術と美的経験は同じか、違うのか、と。

芸術は、芸術作品みたいに対象化できるものではなく、
ただ芸術体験があるだけだ、という考え方もあるみたいです。

その話を聴いて、僕は、芸術って、自分の人生そのものかな、と考えました。

対象化できる芸術もあれば、対象化できない芸術もあるかな、と。
ちょっと都合いいですが、僕的にはリアリティーがあります。

僕は、芸術には、

●商売としての芸術、
●趣味としての芸術、
●人生としての芸術、

があると思うんです。

今の芸術は、商売としての芸術ばかりな気がします。
売れるかどうかばかり。

芸術家も、自分のしたいことをするのではなく、
『お客さんが望むもの』を表現しようとする。
他者の意向に迎合する芸術家は少なくない、と思います。

その一方で、趣味としての芸術を楽しんでいる人も多いと思います。
趣味ですから、気晴らしです。ゆるくていいんです。
ただ、楽しければいい、と。
そこにはホンキはありません。
だから、作品を極めようとはしないし、飽きたら辞めてしまいます。

でも、それでいいんです。趣味ですからね。

僕は、どっちもピンと来ません。
僕は、自分の作品は、自分の人生そのものだと思っています。
その瞬間を生きた証、というか、生きた痕跡というか、傷というか。
そういうものだと感じています。

いつからか、僕は自分の作品が人に気に入られるかどうかが全く気にならなくなりました。
昔は、どう気に入られるかばかり考えていました。
そして、いかに売れるか、と…

でも、今は、自分が納得できればいい、自分が最高に満足できればいい、
と思うに至りました。

でも、趣味じゃないんです。満足を得るために必死ですから。
最高の一曲を作りたいし、ドラム、ベース、ギター、歌、全部自分でやりたいし、
曲も最高の一曲が作りたい。

ま、贅沢な趣味に入るかもしれませんが…

でも、僕にとっては、音楽は人生そのもの。
自分の音楽は何にもまさる大切な存在。
対象化できないんです。

だから、批評も批判もできない。自分自身ですからね。

コメント一覧

kei
yukisukeさん

なるほど! 確かに!!

自己表現=芸術なら、世の中に発信していっていいんですね。なるほど!と思いました。誰に届くかどうかは問わず、とにかく「発信する」ということは続けていってよい、と。

なんか、力が沸いてきましたよ(笑)

成功する/しない問わず、とにかく僕も発信し続けてみよう、と思いました。ありがとうございます☆
yukisuke
こんにちは!
以前書いたコメントが投稿できていませんでした。。

あれから考え始めるようになったのですが、芸術ってその人の世界観その物なのかなとおもいます。

カフカの変身やゴッホの絵画もそうだし、ムンクの「叫び」KEI氏のROCKも。

時代の流れや風潮によって、焦点が当てられたり、まったく話題に上らなかったりするのもあるのですが、自己表現=芸術と置き換えるのであれば、世界の人々に向けて発信する必要があると思うのです。

音楽や絵画、彫像や建築物って五感で感じるものなので、人種を問わず、言語も問わず共感できるものなのかなぁって思います。
kei
yukisukeさん

なかなか深いですね。。どういう意味ですか???

人に知ってもらうもの???


知ってもらえて、気に入ってもらえたら嬉しいけれど、知ってもらうために、気に入ってもらうために作るものではないかな、と思ったりもします。。。

芸術論はもっとこれから展開していきたいですねー。ご助言よろしくお願いします!!
yukisuke
芸術は人に合わせて作るものではなく

芸術は人に知ってもらう物。

だとおもっています。

ただ、それに賛同する人が多いか少ないか?
だともおもっています。
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