Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

SAYONARA... 静かに天国に行ったおばあちゃん


写真が大嫌いなおばあちゃんでした。

今日は朝からとても憂鬱だった。なんだかよくわからないけれど、なんともいない不安感があった。

今日、午後一時頃,父方のおばあちゃんが静かに息を引き取った。享年98歳だった。 つい二時間前だ。今日はたまたま実家にいたので,今,母と一緒におばあちゃんのところに向かっている。

信じられない気持ちもあり,『お疲れ様!』と言いたい気持ちもある。実際,『大往生』だったと思う。悶え苦しむことなく,静かに生を終えた。最後の最後までしっかり意識があったようだ。 昼食を少し食べた後、寝ている間に息を引き取ったとのことだった。

実は昨日おばあちゃんに会いに行く話もあった。しかし、仕事もたまっていて「また次回に」、と思い、会わなかった。だから、昨日会っておけば…っていう後悔だけが残る。 前にあったのが今年の4月。最後の最後の姿を見ることができなかった。

当然だけど,死は思いがけないときにふとやって来る。予想できない。いつどこでどのような形で死を迎えるのかは,生きている人間には知り得ないのだ。 だから,いつも大切な人とは会っておきたい。(死ぬ時期がいつか分からない、というのは人間の最後の幸いなのかもしれない。知っていたら、それはそれでとても不幸だと思うのだ)

ただ、おばあちゃんとは定期的に会えていた。会える時はしっかり会っていた。特にこの数年はよくお話することが出来た。だから,それほど寂しくはない。他のいとこたちは聞いたことのないような話もたくさんしてくれたし、僕とおばあちゃんの関係も新たに作ることができた。おばあちゃんから学べることはかなり学べたと思っている。

小さい頃は恐いおばあちゃんだったけど,晩年はかわいくてやさしくてちょっと毒のあるおばあちゃんだった。

『ぼうや! 髪の毛長いんじゃない?切りなさい!』,『あんた,ペラペラしゃべるのやめなさい』,『ちゃんと親の言うことを聞くのよ』、『あんた、先生になれてよかったね。頑張ったわね』、『あんた、デブね』、といった言葉は今も心の中で響いている。

今までありがとう、おばあちゃん。叱ってくれて、世話してくれて、かまってくれてありがとう。

32年間、お世話になりました。

しっかりお別れしたいと思います。

『僕の愛するおばあちゃん』の記事はこちら

『●僕のおばあちゃん●明治43年生まれの96歳』の記事はこちら

『生きるのやになっちゃった』の記事はこちら

コメント一覧

kei
ひろちんさん

ひろちんさんのおじい様もお亡くなりになられたんですか・・・ そういう年齢に達しつつあるんですね。(ひろちんさんは僕(32)と同じ世代ですか??)あとおじい様はおいくつだったんですか??

かいけーさん

そうだったんですか、、、かいけーさんはまさにおばあちゃんっ子だったんですね。。。初孫となると、そりゃ可愛がられたでしょうね。。。初孫ってやっぱり特別みたいですよね。。。今回のお葬式で一番悲しんでいたのは僕のいとこのお兄ちゃんでした。初孫だと、子どものほうにとってもおばあちゃんはかけがえのない存在のようですね。。。

yuki-hiroさん

お母様との思い出、いっぱいいっぱい作ってください!!! 

僕は、やれる限りのことはしました。特に日記をかなりつけました。その時おばあちゃんが何を思い、何を語ったのか。どんな雰囲気だったのか。書くことで安心することって結構あるんですよね。。ノート二冊分はあると思います。いかがでしょうか?

いつかのことはいつか考えたい。今は今のことをしっかり考えたい、そう思う今日この頃です。

yuki-hiroさんの文章を読ませていただいて、かつて書いた文章を思い出しました。よかったら読んでみてください。

http://blog.goo.ne.jp/sehensucht/e/47fef6847c61c2d7edaf8ef1be61cd2f

招き猫さん

「心の中にいる」と思うと、「悲しいけど嬉しい」、まったくその通りに思います。それが「存在」なんだなあってつくづく思います。モノとしての人間は消滅するけれど、誰かの記憶で生き続けるその人の存在は消滅しないんですよね。

10年ほど前におじいちゃんを亡くしましたが、おじいちゃんの声がたまに思い出されます。そんなときに、僕はあのおじいちゃんの孫なんだなあ~と思い、「頑張って生きよう」って思えます。

そういう存在がいるってすごいことですよね。。人間の不思議かも?!

*博多のおじい様ってやっぱりラーメン好きだったんでしょうか?!?!
招き猫
私も2年前、父方の祖父を96歳で送りました。
肝臓ガンの末期といわれて「あと半年」と言われてから3年近くも生きた人です。
「ひとりで家を建てて仕事もちゃんとしてて偉かねぇ」
と褒められたことを今でも覚えています。

じいちゃんは福岡に住んでいたのでkeiさんのように頻繁に会えなかったのですが
父の中にじいちゃんを感じることがよくあるのです。
ということは私の中にもじいちゃんはいる…
そう思うと悲しいけど嬉しい。
口は重たいけど手先が器用なじいちゃんで、元気な頃には竹で鳥かごを作ったり木材を加工して水車を作ってました。

お別れは悲しいけど、おばあちゃんはkeiさんの中にいつまでも行き続けていますよ。
yuki-hiro
こんばんは。
死との対面は嫌なものですよね。。。

明日、遠い?親族のお通夜に行きます。
実は私は会ったことのない人なんですが、周りの人たちには思うところが沢山あると思うのです。。。
その中に入った時に私は何を思うのだろう?という気持ちが今はあります。

まだ先の話、でも、そう遠くない将来、母の死と直面しなくてはならないという現状。
死よりも、どのくらいの時間か分からないですが、今は、一緒にいられる時間を、とにかく大切にしようと思っています。

最後を一緒に過ごせなかったという後悔はあるかも知れませんが…keiサンに愛され大事にされていたおばあ様は幸せだったと思います。

今すぐ元気になれるとは思っていません。
い~思い出が沢山、良い時間を過ごせたと思える日まで…後悔し、思い出し、そんな日々を過ごすことで、今以上に進歩?成長できるのだと思います。

辛いと思いますが、乗り越え、大きくなって下さい。
意味不明な文章で申し訳ありません。

最後に、おばあ様のご冥福をお祈りしています。
かいけー
http://blog.goo.ne.jp/takao_0731
私も今年の5月に祖母を亡くしました。
共働きの家庭、初孫ということもあって、とにかく祖母には世話になりました。
大往生だったと思っています。
いいお別れをしてください。
ひろちん
ご愁傷様です。
僕も去年じいちゃん大往生でした。
死ぬ前の日まで笑い話してたのにス~って感じで亡くなりました。
書いてはる様な同じ思いだったので思わず書いてしまいました。。

ほなまた!
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「あてどなき日々(日記)」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事