Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

彼女のこと-教師の無力感か、それとも…

 

先日、たまたま偶然、人づてに、ある卒業生が亡くなったということを知らされた。

僕にとっては二つの意味でショックだった。

一つは、この仕事をしていれば、いつか必ず「教え子の死」という経験をすると分かっていても、実際にそういうことが起こってしまったこと。

もう一つは、そのことを、偶然に、しかも人づてにしか知らされなかったこと。


この11年半の間に、常勤・非常勤を合わせると、3000人以上の学生に出会った。常勤だけでも、1500人は下らないだろう。

これだけの人間を相手にしてきたら、いつかは「教え子の死」も訪れるだろう、とは思う。自分より若い人が、未来のある人が、自分よりも先に亡くなる、というのは、やはり耐えがたいものがあるし、悲しさ以外に何の感情もわいてこない。

僕が生きている限り、きっと常にそういうことが起こり得るんだと思う。今回、知らされた事実は、僕にとって初めてのことだった。だから、狼狽した。

死については、僕らは何も語れない。沈黙するしかない。そして、冥福を祈るしかない。

けど、それ以上にショックだったのは、「何も知らされなかった」、という事実だった。

もちろん、これだけの人間を相手にしている仕事だから、個々の学生との関係は様々だ。濃厚な関係になる学生もいれば、一言も言葉を交わさないまま卒業していってしまう学生もいる。だから、「知らされなかった事実」に、責任を感じることもないし、それはそれで仕方ないことと割り切ればいいのかもしれない。

けど、なんか、すごい悔しい。というか、無力感に苛まれている。その子は、一応「制度的に」僕に近い存在だった。だから、深くなれるチャンスはあった。けど、深い関係になることなく、卒業してしまった。卒業後に会う、ということも一度もなかった。

だから、悔しく思う必要はないのかもしれない。けれど、悔しさを感じている。


僕は、自分の人生が一度破たんしたときに、「若者たちの力になりたい」、と思い、人生をやり直す努力を始めた。

「先生」になろうと思ったのも、リアルに、本当の意味で若者たちに接せられる、と思ったからだった。

だけど、実際に先生になっても、力になれるどころか、全然力になれないことを悔やむだけだった。

せっかく先生という職業に就いたのに、若者たちに何もしてやれない。何も教えられない。何も伝えられない。それを繰り返すだけの日々。

このブログでも、毎年のように、卒業式にそのことを嘆いているけど、今回は、またその無力感に苛まれた。

授業、講義、ゼミは、全力でやってるつもり。

だけど、どれだけ頑張っても、学生たちとつながれない。一部の学生とはつながれても、それが広がらない。毎年毎年、すれ違うだけ。学生たちに何も届けられず、あっという間に終わってしまう。

「何を、甘いことを言ってんだ」、と思われるかもしれない。

けど、やっぱり、自分的には、「こんなはずじゃないのに…」、と思ってしまう。そして、何もできない自分が腹立たしい。


彼女とは、在学中にも、数回話した程度だった。なんとなく記憶はあるけれど、何を話したとか、どういうことを考えている学生だったかは全然覚えていない。うっすらとなんとなく覚えている程度に過ぎない。

だから、きっと彼女も、僕のことなんか、思い出すこともなく、この世を去ったんだろう、と思う。きっと、身近にいる大切な人に、看取られながら…。

そして、彼女の身近にいる大勢の人が涙したのだろう、と思う。若い人の死ほど、辛いものはない。残された家族にとってみれば、悲痛以外の何ものもない。

本人も辛かっただろう。苦しかっただろう。20代、30代で命を落とすことに、神を恨んだだろう。運命を憎んだだろう。「なぜ、私が?」、と何度も問うただろう。

けど、その全てが、自分の想像でしか思い浮かべることができない。分かりようもないし、第一、卒業後に一度も会っていないのだから、知る術もない。

そんな無力さを感じている。

もちろん、「大学なんだから、学生と仲良くなることはないし、そんな深い関係を求めることの方がおかしい」、とも思う。きっと、この話を聞いたら、どの同僚もそう言うだろう。

でも、彼女の死を知らされた時に、どうしようもない無力感、脱力感に苛まれた。そのことを、ここで書き残しておきたい。

遠い存在だった。だけど、それでも、若い数年間に、同じ場所で過ごした存在でもあった。近い存在ではないにしても、第三者的な存在でもない。実際に、僕の話を、何時間も聴いてくれた元学生なのだから。(それに、彼女は制度的には、「僕の学生」と呼んでもいい学生だった)


このことは、自分が教師になった時から、ずっと思い悩んできたことだった。

「教師なんて、実際、何の力にもなれないじゃん」って。

教育関係のどの本を読んでも、そういう教師の無力さについては書いてない。

けど、僕が求めているのは、人間的な関わり、というか、交わり、というか、そういうものでしかない。教師である前に、一人の人間なのだから。

どこまでも人間的でありたい、と思う。

なんだけど、そうなれない。

その「ズレ」というか、「ギャップ」が、この教育という仕事にはあるな、と思った。

きっと、ここで何をどう書いても、この無力さを解消することはできないし、何かが変わるわけでもない。

この無力さと共に生きていくしかない。


彼女は、どう生きてきたのだろう。僕の講義をどう聴いたのだろう。卒業後にどんな人生を歩み、どんな人と出会い、どのようにして、死と向き合おうとしたのだろうか。

きっと知る由もないだろう。

そして、事実として、僕は無力だった。最後まで、「再会」することなく、旅立ってしまった。

そういう人の死を、僕はどう受け止めたらよいのだろう。

受け止めなくいいのだろうか。それとも、別の受け止め方があるのだろうか。

僕としては、これから出会う学生たちとの一瞬一瞬を大切にし続けるしかないかな、と思う。

キャリアを積めば積むほどに、一人ひとりの学生と向き合う余裕も時間もなくなってくる。

だからこそ、一期一会というか、そのときそのときの関わりや、接触を大切にしようと思う。それしかできないのだから。

僕がこの仕事に就いたのは、上にも書いたけど、若者たちの力になりたいから。

それ以外に理由はない。

バンドマンとして成功していたとしても、その理由は同じだったと思う。

だから、学生が望めば、バンドだってやるし、ドイツにだって連れていくし、議論だってするし、ラーメンだって食べに行く(そして奢る)。

それでも、出会えない学生がいつでもいる。

すれ違うだけの学生もたくさんいる。

歳を重ねるごとに、どんどん一人ひとりの学生を記憶できなくなっている。

これからはもっともっと、記憶できなくなるんだろう。

それでも、僕は教師としてこれからも生きていかなければいけない。

そして、教師として生き続けるかぎり、この問題と直面し続けなければいけないのだろう。

 

彼女の冥福を心から祈りたい。

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