ずっと行ってみたいなぁと思っていた、
会津武家屋敷
に行ってきました!
会津武家屋敷とは…
「会津武家屋敷は会津藩政の歴史的建造物、遺品や体験を通して、当時の歴史、文化、精神に触れることのできるミュージアムです。約7000坪の敷地には復元された会津藩家老 西郷頼母の居宅を中心に陣屋、茶室、各種資料館などが軒を連ね、当時の人々の生活ぶりや生き様を偲んでいただけます」(公式HPより)
会津藩時代の様々な文化財に触れることができる場所なんです。
実際に当時、生活していた屋敷とあって、かなり迫力のあるミュージアムになっています。
この屋敷は、「西郷頼母(たのも)」の邸宅になります。
敷地面積2400坪で、建築面積も280坪とあって、かなり巨大です。
部屋の数も38部屋と、もうこれは大豪邸と言えますでしょう!
こちらが式台玄関です。
かつての武家屋敷の玄関って、こんなに立派だったのか‥
着物を着た女性が出迎えてくれます。
…
僕が今回、一番「おおお!」ってなったのが、「歴史資料館」にある、
藩校 日新館
の展示物でした。
明治以前の(つまり前近代の)会津藩の学校。
ここでの学びの様子が色々と展示されていたんです。
素読学習の様子です。
この一枚の絵に僕の心は釘付けでした。
明治以前の藩校では、こうしたスタイルで学びが行われていたんですね。
みんな、横に並んで、同じテキストを読んでいます。
先生が一人いますが、その横に「TA」みたいな人もいます。
全員「男性」というのも、なんかこの時代を映していますよね。
礼式方の学習の様子です。
武士として必要な行儀作法、つまりマナー学習ですね。
武士のためのマナー講座、と言えばいいのかな?!(今風に言うと…)。
あるいは、当時の「道徳教育」と言ってもいいのかな?!
その他、色んな学びの場面が描かれていました。
これを見ると、かなり軍事色の強い教育だったんだなぁって思いますが…
でも、歴史的には、世界でもまず教育と言えば、「戦士教育」ですからね。
人間の歴史って、もうず~~~っと「戦争の歴史」なんですよね。
武士って、結局は「戦士」ってことになるのかなぁって…。「警察官」か「戦闘員」か、あるいはその両方か。治安維持のために生きる人たちであり、また、ひょっとしたら国民を監視・管理する人たち…。
そういう武士を育てるのが、この「藩校」という場所だったのかな?!
…
それと、この資料館で出会った一人の女性がいました。
海老名リンさん。
この人は、1849年生まれで1909年まで生きた女性です。
この人が、この会津の地で初めて「幼稚園」を創った方みたいです。キリスト教に接し、洗礼を受けたとあるので、かなり進歩的な考え方をもっていた女性のようであります。
「幼児・女子教育の先駆者」と書かれています。
このリンさんについても知りたくなりました。
こんな本が販売されていました。
この本、是非とも読みたいなぁって思います。
この本の中に、海老名リンさんの節が入っていました。
このリンさんの生涯を学びつつ、幼児教育の原点を探るのもいい学びになりそうです。
保育園や幼稚園も、昔から当たり前にあったわけじゃなくて、誰かが「創ろう!」と思って生まれたものですからね。その辺のスピリットもやっぱり学びたいものです。
で、こちらが、第二資料館…かな?!
この家屋には、当時の家臣たち(主に若者)が暮らしていたそうです。
家臣の部屋の中、見たくないですか?!
どうやら大人数で、共同生活を送っていたんだとか…?!
ここが家臣たちが生活する部屋だったそうです。
わりと広いなぁと思いますが、何人で暮らしていたのかによって変わってきますよね。
これ、1人とか2人なら、かなり贅沢だよなぁって思いましたが、、、
そんなことは…、きっとありませんね。
…
で、そのお隣にある「家老屋敷」へ!
家臣の部屋を見た後だったので、「でっかい!」って思いました。
台所もとっても広いです。
風呂場もとても立派でした。
ちゃんとお湯につかってお風呂に入っていたんですね。
どんなふうにお風呂に入っていたのかなぁ~?!
こちらが西郷家が自ら自決したとされる場所です。
西郷頼母らは、会津戦争の際に一家心中を図ったとされています。
その時に頼母の妻の千重子が詠んだ詩が有名ですね。
「なよ竹の風にまかする身ながらもたわまぬ節はありとこそきけ」
弱いなよ竹のように風に吹かれるわが身だけど、強風にも負けない竹の節のように、強い節義はありますからね、という意味らしいです。それが「自決」だというのなら、哀しいものでありますが…。
日本の歴史に触れると、どうしても自決や自刃という言葉が出てきます。この問題は今も続く大きな社会問題ですが、日本人の歴史において、自決や自刃はずっと続くものでもありました。
死んで礼儀をつくすというのは、美談でこそあれ、やはり容認することはできないよな、と思いますが…。なかなかそう簡単にはなくすことはできないんだろうな、とこの場所で思いました。
でも、その一方で、日本人のまなざしには「子ども」がいました。
この絵に書いてある子どもは、幼児くらいでしょうか?!
なんかいたずら好きっぽい顔の男の子?が何かを見ています。
その後ろには、お坊さんがいて、その子が見ているものを見ています。おそらくは父親ではない誰かだと思いますが、とてもいい光景ですよね?!
子どもを大事にする姿勢というのもまた、日本にはあったんでしょうね。
会津天満宮もありました。
なんか、映画のワンシーンみたいな階段でした。
あまりにも暑い日中だったので、上に昇るのは断念しました。
…
最後に、「くらしの歴史観」というところに行くと、、、
会津の人たちが何を食べていたのかが展示されていました。
縄文人が食べていたものと弥生人が食べていたものが並んで展示されています。
弥生人は、とちの実、くるみ、くり、魚など、自然に獲れるものを食べていました。
他方、弥生人になると、主に米類を食べるようになります。
アクティブに狩猟をするっていう生活から、農耕するという地道な生活に。
これ、かなり大きなパラダイムシフトでしたよね?!
狩猟から農作へ。
これを「多動」から「自閉」へという視点で歴史を捉えている人もいるくらいで。
農作するようになり、人間の生き方や活躍の仕方ががらりと変わった、と。
キビ、ヒエ、アワ、そして、白米。
こうしたものを食べるようになったとヴィジュアルで分かります。
縄文時代の「魚」と弥生時代の「ご飯」、これが合わさったのが「お魚定食」ってことですよね。
そう考えると、僕らの食生活って、縄文✖弥生のミクスチャー生活なんですよね?!
…
そんなこんなで、、、
会津武家屋敷、とっても楽しく見学することができました。
なんか、この歳になると、こういう歴史的な博物館がすっごく楽しいんですよね…。
昔は、「つまんねーよ!」とかって思っていましたが、今は、こういう歴史施設が一番楽しく感じるんです。まぁ、それだけ僕も歳を取ったってことでしょうね。
もっともっとこういう施設に足を運びたいなぁ…
50手前の僕にとっては、輝かしい未来より、古ぼけた過去の方がキラキラして見えるんです。
昔の僕がこの話を聴いたら、かなり激怒しそうですけど、、、苦笑
場所はこんなところです。
車でも行けますし、公共交通機関(バス)でもすんなり行けますよ。
是非、会津藩時代の武家屋敷で、生きた歴史を学んでほしいなぁって思います。