この数年、得体の知れない「モンスター」に苦しめられてきました。
モンスターは、訳せば「怪物」。
文字通り、怪しい存在者のことです。
怪しいというのは、「信頼できず、手のひらを返してくる、不気味な」という意味ですね。
モンスターペアレントという言葉は、まさに、そんな存在になる親たちのことを言います。
モンスターは、至るところにいますが、その姿を見ることはなかなかできません。
僕のまわりにも、あなたのまわりにも、すぐ近くにいるんです。
ですが、その姿を見かけることはまずありません。
それが、「モンスター」ですから。
ただ、そのモンスターに遭遇すると、僕らは誰であっても、襲撃され、危険に晒されます。
…
僕は、ずっと長い間、「モンスター」の意味をはき違えてきました。
そのことを、痛感させられることがあったので、ここに記しておきたいと思います。
(*一部、話は誇張しています。あくまでもリアルとフィクションの間の話ですので、そこはご了承ください。事実と異なる点も多々あります。なので、「keiの個人的な話」にはなっていない、ということに留意してください。伝えたいのは、「モンスターは私たちの思うところにはいないから、気をつけて!」ということです!)
話は遡ること、17年くらい前のことです。
当時はまだ30代前半で、七転八倒していて、全部が必死だった頃でした。
その頃は、毎回、講義の後に「コメントカード」を学生たちに書いてもらっていました。学生たちの声をしっかり聴きたかったからです。
その中で、こんな感じのコメントが多く出てくるようになりました。
「後ろの人たちがうるさくて、講義に集中できない」
「もっと私語をつつしむよう、注意してください」
「さわいでいる学生を、先生は甘やかしすぎです」
「まじめに講義を受けている学生の邪魔をしないでほしい」
「寝ている学生は、注意してください。ずるいです」
「講義の時にずっと寝ている学生に単位を出すなんて、おかしいと思います」
などなど。
それを読んだ(バカ正直な)当時の僕は、「そうかそうか…、それは大変だ💦」と思いました。
と、同時に僕自身も、学生時代に、一部の講義で「うるさくしている学生」がいて、そいつらにムカついて、キレていたことを思い出しました。「うるせーよ、黙れよ、話に集中できねーよ!」「でていけよ!」って。
そんなこともあって、徐々に「私語する学生」や「寝ている学生」を強く注意するようになりました。この時の僕には、そういう私語をする学生や寝ている学生が「モンスター」だ、と認識していたわけです。
それでも、8年くらい前までは、そんなに問題になりませんでした。
「ああ、あの先生、また怒ってるよ…(;´Д`)」
「あれでも、学生のことを思ってのことだよね」
「怒り方はちょっとあれだけど、まぁ、当然だよね」
っていう感じで、、、
もちろん、「すぐ怒る先生」というレッテルは貼られましたが、、、😢
…
でも、時代は変わっていきました。
7~8年くらい前から、風向きが変わった気がします。
「強く注意すること」や「怒ること」や「忠告すること」それ自体が、問題になるようになってきました。また、そういう注意や激怒や忠告に対して、「ハラスメント」という言葉を当てて、本人にではなく、別の第三者にそれを訴える風潮が広がっていきました。
そんな風潮はますます強くなりつつあります。
…
たまに書いてもらうコメントカードにも、キツい意見が出てくるようになりました。
「寝ている学生を注意している間の時間がきついです」
「真面目な学生たちがいる中で、怒ったり注意したりするのは、不快です」
「寝ている学生を無理に起こす必要はないと思います。怒っている時間が無駄です」
「いつ先生が寝ている学生を怒るかと、毎回、怖い思いをしています」
「私語している学生を注意するなら、外に出て、外でやってください」
etc...
ええええ?!?!って思いましたが、、、
17年前にコメントを書いてくれたような学生もいるからと思って、「私語」と「居眠り」については、ずっと一貫して、厳しく注意していました。「真面目に講義を受けている学生たち」の不利益にならないように、って。
もちろん、言い方や伝え方はその都度変えながら、こっちも神経をすり減らしながら、講義中だけは厳しくやってきました。
ですが、この数年、色んなことがあって(あり過ぎて)、これまでのやり方はもはや不可能だ…と思うようになりました。「どうしたら、私語をする学生や寝てしまう学生や内職する学生を、怒らずに、なくすことができるのか」、と悩みに悩みましたが、ある時、ふと思ったんです。
「一度、そのこだわりも捨ててみようかな」って。
つまり、「しゃべるな」「寝るな」「内職するな」というこだわりを、です。
度を超えない限りは、「大目に見よう」って。
分かる人なら分かると思いますが、『不適切にもほどがある!』というドラマの最終回を見て、「大目に見る」という「技」?を会得することができました。そこで、自分が考えたのが「オトナな先生になる」ということでした。
…
で、今年度から、(かつてコメントカードで書いてくれた「真面目な学生」の貴重なご意見は無視して)私語や居眠りや内職を注意しない方向で、動くように決めました。
そういう学生を「モンスター」と思うのをやめよう、と。「抑え込むのをやめよう」、と。
もともとは、そこまで私語や居眠りが気になるタイプじゃなかったし、うちの学生たちもそんなに騒がしいわけじゃないし、居眠りしている学生が多いのは困るけど、僕の場合、寝ている学生ってそんなに多くないし、、、(多分、他のどの先生よりも寝てない!っていう自負はあります😊)
なので、少しざわざわっとした感じで、うとうとしていてもスルーして、(広い教室での)講義をしてみたんです。昔みたいに、ピリピリっとした感じではなく、ゆる~~~い感じで。「私語するな」とか「居眠りしないで」とか、うるさいことを言わないで。(あと、パワポやプリントもやめて、ホワイトボードとしゃべりと問いかけに徹して…)
…
初回の講義だったので、なんとなしに「コメントカード」を書いてもらったんです。まぁ、「講義の感想」ですよね。
僕的には、「これだけゆる~く、やさしく、丁寧にやったのだから、文句や不満は出ないだろう」と思ったんですが、、、
そのコメントカードを見て、慄きました。
そんなに多くはないのですが、、、
「先生の話は面白いけど、ゆる~い講義には不安を感じます」
「後ろの方で私語をしている学生がいて、先生の話に集中できませんでした」
「初回から寝ている学生がいて、ちゃんと聞けよって思いました」
「スマホをずっといじっている学生がいました。注意しないのですか?」
などなど…Σ( ̄ロ ̄lll)…(無論、そんなに多くはないですよ!💦)
これを読んだ瞬間、僕はもうひっくり返りそうになりました。
「えええええええ?!?!」って、、、💦
注意したり怒ったりするのをやめると決めて、最初の講義で、17年前にもらった当時の学生たちと酷似した内容のコメントが再び出てきたのです!!!
…
その瞬間、僕をこの数年苦しめてきた(?)本当の「モンスター」の居場所が分かった気がしたんです。
真のモンスターは、「講義中に私語をしている学生」ではなく、また「講義中に、居眠りしている学生」でもなかったんです。無論、「内職している学生」でもないし、「スマホをいじっている学生」でもなかったんです。
そうではなく、「真面目に講義を受けている学生たちの中に潜む誰か」こそが、モンスターだったんです。そう断定するのは早計だと思いますが、多分、そういうところにいる人なんだろうな、と。
上のコメントを並べてみると、おそらく…ですが、同じタイプの学生たちだったのでは?、と推測できます。
どんなタイプかというと、「どんな状況にあっても、不平不満を言い、どこかの誰かを「敵」にして、それを水面下で攻撃したい・攻撃せずにはいられないタイプ」っていう感じ?!
おそらく…ですが、きっとそういう学生たちは、どんな講義をやっても、「不平不満」を言ってくるんだろうって、思うに至りました。
本当のモンスターは、すぐに見えて、すぐに分かる存在ではない。常に身を潜めていて、何か自分に都合の悪いことがあると、それを直ちに見つけ出して、襲撃を開始する…。
しかも、そのモンスターたちは、一見、そんなに怖くは見えないし、そのモンスター性も内に秘めているんです。だから、ちょっとやそっとで、その正体を見破ることができないのです。多分、最初は、「弱々しい存在」「かわいそうな存在」「か弱そうな存在」に見えるはずなんです。で、僕みたいな「バカ正直な単細胞」(苦笑)は、そういう存在の人を守ろうとしちゃうんです。で、後々になって、モンスターに襲われるんです。(僕だけの話じゃないですからね!)
そのことを、ハッと気づかされた21年目の僕でありました。
この話は、大学の講義だけの話ではなく、今の社会全般に言えることだと思うので、(一部、話を誇張して)ここに書いておきました。
きっと「モンスター」からの襲撃を喰らう可能性があるのは、僕だけじゃないと思うので…😢
(あと、この話は、DV加害者やストーカー、虐待する親などの見極めにもつながる話だと思います)
…
最後に、朝日新聞の「折々のことば」に出ていた言葉を記しておきます。
「自分が理解できないものは全部悪だって決めつけたほうが楽だもんね」(原田ちあき)
この本からの引用みたいです。
この言葉、まさに「モンスターたち」の実践哲学なんだと思いました。