僕のドイツ・プロジェクトは、いつも強制収容所で終わります。
観光ではない学びの旅である以上、強制収容所の訪問は欠かせないと思うからです。(ドイツの強制収容所ほどの規模の跡地は日本にはありません。徳島にやや広い収容所跡地がありますが…)
異国の地で、戦争の無意味さ、怖さ、愚かさを知る。
そして、遥か遠い異国でありながら、現在の僕たちにも通じる問題。
ナチスドイツの問題として考えるのではなく、戦争そのものの反省に向かうような経験。
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このBuchenwald強制収容所は、ヴァイマール駅からバス6に乗って、最終駅。10kmほど離れた場所にあります。
この収容所は、いわゆる「強制労働収容所」で、多くの捕虜たちがここで死ぬまで働かされていました。
ロシア人が多く収容された施設だったそうです。
森を切り開いて作った大きなスペース。どれだけ広いか。すごい広さでした。
果てのない平原。
どこまでも続きそうなほどに広い敷地でした。
まさに非人間的な空間ともいえます。
戦争は、極限の状況を作るわけですが、そのスケールは本当に大きい。
この収容所に象徴的な言葉がこれ。
JEDEM DAS SEINE。
そのまま訳せば、「各々すべての人に、その人のを」。
解釈すれば、「それぞれの人がそれぞれその人の役割を果たせ」、かな。
なんとも暴力的かつ理性的な感じがして、震えます。
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ちなみに、ずっと腑に落ちなかったことが分かりました。
ここの収容所は、強制労働収容所。
というか、現在のドイツ国内にある強制収容所は、どれも、「アウシュヴィッツ」に代表されるユダヤ人絶滅をねらった大量虐殺収容所ではないんです。
絶滅を目的とした大量虐殺収容所は現在のポーランドに集中しています。
なので、ドイツ国内にある強制収容所だけでは、不十分なんです。それにようやく気づけたというかなんというか(なんとなくは分かっていたのですが、上の地図でよく分かりました)。
近い未来、必ずやアウシュヴィッツ強制収容所に行きたいと思います。
僕の原点は、「二度と戦争を起こさせないという理性的決断を育てる」、ということ。「NO MORE WAR」は、臆病者の叫びではなく、人間の理性における冷静な判断である、ということを喚起すること。
憎しみや怒りから人を殺すのではなく、国家命令で人を殺すこと。
しかも、個人ではなく、とんでもない量の人間を殺戮すること。
それが戦争であり、どこまでも無意味な殺人行為であるということ。
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学生たちがどういうことを感じたのかは分からないけれど、「二度と戦争を起こしてはならない」という強い決意が芽生えてくれたら、嬉しいなと思います。
そして、それは、「同調しない人間教育」でもあります。
Noを言える人間を作ること。Yesと簡単に言わない人間を作ること。
それこそが、これまでずっと日本の教育が無下にしてきたことだと僕は改めて強く思います。
僕自身も、常に、誰に対しても、Noといえる強い精神をもっておきたいと思います。
全員が、いつでも、誰に対しても、Noと言える時が来たとき、ようやく日本も近代化されるんだと思います。