「わたくしの知らないわたしを知っているあなたが語るわたしの思い出」
あなたは、わたしと会うと、いつもわたしの話をしてくれました。「昔ね、やっちゃんとデパートに行ったら、いつもオレンジジュースが欲しい欲しいって、駄々をこねて大変だったわよ」。「高尾山に行くと、ケーブルカーに乗りたい乗りたいって言って、ほんと困ったわ」、「ちいさい頃のやっちゃんは、かわいくてね、本当にいい子だったわ」、「一緒に歩いていると、いろんな人から、かわいい男の子ね、と言われたわ」・・・。あなたは、嬉しそうに、懐かしそうに、まるで昔に戻ったかのように、わたしの話を語ってくれました。
でも、わたしは、あなたの語る思い出話がいまいちピンと来ていませんでした。なぜなら、その当時の記憶など、とっくの昔に忘れてしまっているし、思い出そうにも、思い出せないからです。写真を見れば、なんとなく想像はできるのですが、はっきりと覚えていることは何ひとつありません。「そうなんだ・・・」というくらいにしか、思えない感じでした。けれど、あなたの語る姿から、わたしは、「わたしはあなたに愛されていたんだ」ということだけは、しっかりと伝わってきます。あなたがわたしを見ていてくれて、愛してくれて、育ててくれたからこそ、今のわたしがあるんだということを強く感じます。
あなたが語るわたしは、今のわたくしと重なる部分もあれば、重ならない部分もあります。でも、あなたが知るわたしは、無垢で、純粋で、健気で、いい子でした。幼い頃のことですから、当然、無垢で、純粋で、健気で、いい子だったことでしょう。でも、そのまま、あるいは本質的にそういう要素を備えて、大人になれたということは、やはり嬉しいことです。あなたの語るわたしは、今のわたしをどう見るのでしょうか。どう感じるのでしょうか。分かりません。けれど、わたしは、たしかにあなたに見守られ、その庇護のもとで育ったことは間違いなさそうです。そして、そのことに誇りを感じますし、少しの幸せを感じます。
もう、わたしを語るあなたはいないのですね。いないのですが、わたくしの中にあなたはいます。いつまでも、わたしを語るあなたの存在は、わたくしの中で生きつづけます。わたくしは、あなたの語る声を絶やすことなく、残しつづけたいと思っています。わたしは、たしかにあなたに愛されていた。それだけは、疑い得ない事実だと思いますし、それを糧に、強く生きていきたいと願っています。
人は、誰かに愛されることで、人を愛することができるようになります。わたしも、あなたがわたしを語ったように、誰かを語ってみたいと思うようになりました。