15日は、僕の教員としての15回目の卒業式の日でした。
15年目が終わった…。
長かったような、あっという間のような…。
(以下、暗~い記事なので、閲覧注意です!!)
…
これまでずっと、一度も感動したことのない卒業式。
今年も、普通に終わりました(苦笑)…
感極まって泣いている学生はいっぱいいるし、
学生に囲まれて、いっぱい感謝されている先生もいるけど、
僕は、なーんもなし…(;´・ω・)
卒業後のお呼ばれもなく、早急に会場を後にしました。
恥をさらすようだけど、全然人気のない先生なんだなぁ、、、と(;;)
(15年間、一度も卒業式後の飲み会にも誘われたことがない!orz...)
…
このまま、何の感動もない卒業式をこれからも続けていくのかな?
苦痛と嫉妬と無力感だけに包まれる一日…か。
ま、40代半ばとあって、もう何の期待もいていないけど…。
教育って、そういう仕事なんだな…。
いくら頑張っても、いくらいい授業をしても、感謝もされなければ、感動もない。
虚しさだけがどんどん満ちていく。
そして、また4月を迎えて、自分を鼓舞して、奮い立たせて…。
…
15年を終えて、教師を辞めたくなった。
辞めたいといっても、他に仕事があるわけじゃないから、辞めないけど…。
でも、あまりにも虚しすぎる…。
教師や保育士になるのに、「お世話になりました」の一言がない。
全然ない。(ほんのごくごくわずかの学生だけは言ってくれるけど…)
「こいつら、大丈夫か…」、と思うばかり。
(数日前に、寝ずに文集の編集をやっていたことがバカバカしく感じられる)
友達的なノリを許容する(ように見える)先生方には、馴れ馴れしく話しかける。
でも、そうでない先生には、無視か、スルーか、いずれか。
教育者になる人間が、それでいいのか??、と。
先生から学ぶことをしないで、親身になってくれたというだけで感謝するだけでいいのか?、と。
幼児教育や保育を学ぶ学生が、保育士のような先生を求めるってどういうことなんだ?、と。
(幼児性の強い学生が、幼児的な扱いに満足して、それ以上を求めない、とはどういうことだ?、と)
ぬるすぎる…
これから子どもたちの「甘え」を受け止めなければいけない人たちが、甘えているのだから…
…
でも、それを言ったところでどうなるわけでもないし、場が凍りつくだけ(;´・ω・)
だから、沈黙するしかない。黙って、時が過ぎるのを待つしかない。
今年も僕は、ただただ沈黙して、息を潜めていた。
それが、この15年の僕の「卒業式」…。
…
もうそろそろ、「卒業式」から卒業しようと思う。
どうやっても、変わらないのだから…。
それが現実。
かといって、自分のスタイルを変えたくもない。
学生のニーズにうまく応える先生にはなりたくない。
調子よく、ムード(雰囲気)に流される先生にもなりたくはない。
親身な先生にも、相談によく乗る先生にもなりたくない。
気安く話しかけられる敷居の低い先生にもなりたくない。
(「敷居の低い支援を求めること」と「敷居の低い教育を目指すこと」は別だと思う)
つまり、こういうスタイルじゃ、ダメだということ。
…
だから、来年からは、もうこのことをどこかに書くこともやめよう。
語り得ぬことは沈黙すればいい。
だから、最後に書いておきたい。
「教育とは、どこまでも無力で、虚しいものだ」、と。
…
15年走り続けてきた。
もう、ここまでかな、と。
自分の中の「リミッター」が切れた感じがしている。
「吹っ切れた」じゃない。「切れた」だけ。
(あるいは、ブレーカーが落ちたって感じ??)
その切れた先に、何があるんだろうな…。
きっと何もないんだろうな、、、
<PS>
でも、ちょっと嬉しいこともあった。
手紙をくれたSさん、ありがとう。
LINEで感謝のメッセをくれたYさんとAさん、ありがとう。
親御さんと一緒に挨拶に来てくれた学生さん、ありがとう。
まだ、なんとか絶望しないで、頑張れそうです…(;;)