Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

アウシュヴィッツ・ビルケナウの「絶滅強制収容所」から考える(1)

遂に、遂に、念願のアウシュヴィッツ~ビルケナウにやってきました。

これまで、ドイツ各地の「強制収容所」を見てきたけれど、いずれも「労働強制収容所」でした。一部に「絶滅強制収容所」もありましたが、本格的な絶滅収容所は、ドイツ国内にはなく、東欧各地に置かれていました。そのことを知った時に、愕然としました。

また、僕は今、「アウシュヴィッツ以後の教育」について色々と学んでいます(もちろん「研究」として)。アウシュヴィッツという言葉を(自分の著書でも)使っているのに、アウシュヴィッツに行っていない、というのは、やはり自分的に納得できない。そう思い、いつか必ずアウシュヴィッツに行きたい、と思っていました。

遠かったです。。。

ポーランドの東南エリアです。ドイツからいったいどれだけ来たんだ?!という感じで、疲れ切ってしまいました。飛行機で日本からドイツに来るくらいに遠いわけですからね。本当に遠かったです。

さらに、最寄りの街、Krakowからもバスで1時間15分くらい。ポーランドの静かな田舎町でした。

ちなみに、「アウシュヴィッツ」とは、かつてドイツ人が付けた町名で、ポーランドでは、OSWIECIM(オシフィエンチム)といいます。アウシュヴィッツ強制収容所があるのは、オシフィエンチムです。

ビルケナウに到着すると、もうとんでもない数の訪問者がいました。それこそ、世界中からやってくるわけですから、凄い数です。しかも、この時期、最も混む時期で、本当に大変でした。

世界各国のツアーバスがたくさん並んでいました。

ビルケナウ収容所に入ると、有名な「ARBEIT MACHT FREI(労働によって自由が得られる)」という言葉の入った門があります。

この文字、よく見ると、一つだけ変なところがあるのです。

分かりますかね?

アルファベットのBの文字がさかさまなんです。これは、囚人たちが密かなる抵抗の意味を込めて、そうした、と言われています。本当かどうかは分かりませんが、もしそれが真実だとすれば、そこに「抵抗」があったということでしょう。

収容所とはいえ、そこには生身の人間がいたんです。この文字の逆さまは、囚人たちの声なき抵抗だったと思いたいです。

アウシュヴィッツの位置です。囚人の中でも圧倒的に一番多かった「ユダヤ人」の「移送」を考えると、このアウシュヴィッツが最適だったのでしょう。東欧各地にユダヤ人がおり、そのユダヤ人捕虜を合理的に集める場所としてふさわしい、と。

アウシュヴィッツに移送されてきた人の数は、130万人。

110万人がユダヤ人で、14万~15万人がポーランド人でした。ポーランド人もまた、アウシュヴィッツ絶滅強制収容所の被害者でした。当時のドイツ人はポーランド人をも嫌悪し、殺戮を繰り返していたのす。

そして、注目すべきは、「ロマ」と呼ばれるジプシーたちです。2万3000人の人が囚人になりました。さらには、ソビエト人捕虜やその他の民族集団の囚人も2万5000人いたそうです。どれだけの人の命を奪ったのでしょうか。。。

ビルケナウの収容所跡地には、かつてのドイツ人やユダヤ人が書いたと思われる文書がたくさん保存されています。

戦争が終わり、このアウシュヴィッツ~ビルケナウの当時の写真がソビエト軍などによって多数発見されたようです。

子どもの写真がありました。こちらを見ています。

この子もカメラを見つめています。

この子も殺されてしまったのでしょうか。

なお、映像では、ドイツ軍の医師が死んだ胎児を無造作に扱うシーンが残されています。その屍の隣には、その母親の死体が横たわっていました。かなりショッキングな映像ですが、こういうことを「医師が」やっていた、ということは是非知っておくべきことなのかな、と思います。

「死の道の途上で」、と書いてあります。

この三人の男の子たちも殺されたのでしょうか。きっとそうなんでしょうね。

その後ろには、赤ちゃんをかかえたお母さんがいます。

これはショックでした。当時の死体保管施設の模型です。

あまりにもリアルで、怖くなりました。

人間の命も尊厳も何もかもが失われていたのが、絶滅強制収容所です。

こちらは、当時現地に残されていた「毒ガス」の入った缶です。

人間を殺すために使われた毒ガス(素)。

ドイツ語で、「死ぬ。注意せよ」、と書いてありました。

毒ガスの素となる原料です。

自然科学(化学)と集団殺戮(ジェノサイド)は深い関係にあります。

科学は、使い方次第では、とんでもないことになる、ということをアウシュヴィッツは示したと思います。

高い理性と確固たる倫理のない人間に、科学技術が与えられると、こういう結末になる、とも。

ビルケナウは、とてもよい天気に恵まれました。(僕は元祖天気男♪)

かつて、ここで悲惨な惨劇が繰り返されていたとは思えません。

けれど、実際に起こっていた話なんですよね。しかも、この場所で。

更に進みます。

こちらは、当時のメガネ、ですかね。多分、そうです。

メガネが一つに集められたものを保管しているようです。

こちらは、囚人となった人たちが持ってきていたカバンです。

すごい数です。。。

ふと目に留まったのが、Dr.Bernh Jsrael Aronsohnさんという方のカバンです。

どんな方だったのでしょうね。

このカバンの中には何が入っていたんだろう、とふと思いました。

首の取れた人形がありました。

きっと誰か女の子がもってきていた人形なのでしょうね。

大事に抱えてこの収容所に来た姿が思い浮かびます。

その子も、きっとここで殺されたのでしょう。

これには、圧倒されました。

女性の囚人たちが履いていたと思われる無数の靴の山。

たまたま目に入ったのが、この靴でした。

これもまた、誰かが履いていたものなんですよね。

この靴を履いていた女性もまた、ここで殺されたんだと思うと、何とも言えない気分になります。

囚人たちは、このようにしっかりと写真を撮られていました。

どんな気持ちで、撮影されたのでしょうか。

髪の毛がみんな坊主なので、ここに来てから撮られたものと思われます。

収容所内のトイレです。意外と綺麗に保存されていました。

70年以上も前のトイレですよね。いったいどんな思いでトイレをしていたのでしょうね…

こちらが手洗い場(洗面所)です。蛇口の取っ手の部分が壊れてなくなっています。

ここでもまた、集団で生活していたことが窺えます。

とあるバラックの地下室です。ここでも、処刑が繰り返されていたようです。

何の罪もない人を、ただその人が「○○人」だからといって、殺し続ける。

それがジェノサイドであり、少数民族への大量殺害なんです。それがなんとも無機的に行われていたことに怖さを覚えます。

こういう収容所って、逃げられるんだろ、とちょっと思っていましたが、実際に見ると、「あ、無理だ」、と思う自分がいました。

何重にも「壁」や「鉄条網」があって、とても越えられそうにない、と思いました。

つまりは、ここに入れられたら、もうどうすることもできない。

しかも、SS親衛隊の警備はほぼ完ぺきで、逃げることはまずできなかったと言います。

こちらが、有名な「死の壁」です。

この壁(石が積み重なっている中央部分)に、囚人を立たせ、銃で撃ち続けたんだそうです。

ここで、いったい何人の命が奪われたのか。正式な数も分かっていないと言います。

死の壁の隣のバラックの窓です。全部、板で覆われています。

毎日、銃の音と、囚人の悲鳴が響いているところで、生活するってどういう気持ちなのでしょう。

せめてその姿を見せないための策だったのでしょうか。あるいはただの隠蔽なのか。

いずれにしても、処刑される場所の隣りで暮らす、というのはまず現代の僕らには想像できませんよね。(でも、その想像する力を鍛えておかないと、また同じことを人間は繰り返します)。

この杭はなんだと思いますか?

木の杭の上に長細い鉄筋が設置されています。

分かりますよね。

ポーランドの囚人が主にそうされていたようです。

ホント、逃げられないと思いました。

この茶色くなった看板、「Vorsicht(注意せよ)」とドイツ語で書いてあります。

現在のポーランド人はほとんどドイツ語ができません。だから、逆にそれゆえに、この看板が一層不気味に見えてきます。

この看板を書いた人はいったいどんな人だったのでしょうかね。

今のポーランド人は本当にドイツ語、できません。。。(ちょっと深い実感)

さて。

ビルケナウ収容所の中でも最も関心の高い場所である「ガス室」です。

この中は、是非自身で見ていただきたいので、ここでは掲載しません。

一枚だけ。

フランクルの「夜と霧」を読んでから来ると、こういう風景がなんか滲むように何かが浮かんできます。

空は真っ青でした。


さて。

バスで、ビルケナウからアウシュヴィッツ絶滅収容所へ移動します。

その途中、もう今や「モニュメント」になった「使われていない線路」がずっと横たわっています。

こういう「線路」さえも綺麗に完璧に保存されていることに驚きました。

日本ならとっとと取り壊すだろうな、と。。。ポーランド人の努力に敬意を表します。

そして、、、

かの有名なアウシュヴィッツにやってきたわけです。

遂に念願の「アウシュヴィッツ絶滅強制収容所」です。

 

つづく。

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