多分、誰よりも、僕は『成功願望』をもっていると思う。とにかく、『成功』したい。「ビッグになりたい」っていつも思ってて、でも、全然成功なんかしてなくて。。。
過去の僕の誕生日の日記を読んでも、ずっと「成功したい」って、言葉の行間に込めていて。
36歳になっちゃったけど、全然、一向に「追い風」が吹くことはなくて。。。
世の中では、もうたくさんの36歳が華々しく色んな分野で活躍していたりします。いや、36歳以下で、でっかく活躍して、成功している人ってたくさんいます。年を重ねるごとに、どんどん焦りは出てきていて。「あー、もう、自分の人生って、成功しないのかなー」って思ったりもします。
調理師もダメだったし、バンドもダメだったし、大学院だって不完全燃焼だった。
全部中途半端で終わってて、、、、
…
でも、最近思うんだけど、「成功しないからこそ頑張り続けられるのかな」、と。成功してしまうと、そこで、何かが終わってしまう。もちろん、成功の先はもっと過酷だと思う。でも、自分はまだ成功していないから、その向こう側のことは分からない。
なんとか、なんとしても、「成功の向こう側」が見てみたいって思う。けど、その向こう側に立ってしまえば、今の僕は終わってしまう。何の成功もしていないけど、成功を夢見て頑張っていられる。それもまた幸せなことなんじゃないかな、って思うようになってきた。
成功したいっていう気持ちはあるけど、でも、実はどこかで、「そんなこと、どうでもいいじゃん」っていう自分もいたりもする。もしかしたら、無意識に、成功しないでいたい気持ちがあるのかもしれない。もしかしたら、それはただの言い訳なのかもしれない。けれど、成功しないでいることもまた、考えようによっては、幸せなことかもしれない、、、
「諦め」の気持ちもどこかにあるのかも。自分には、そんな器はないんだ、って。
でも、だからといって、成功することを目ざさなくなったわけではない。いつでも、成功したいし、ビッグになりたいし、でっかいことをしたいって思ってる。そんな思いをもっている「今」が、実は一番幸せなのかもしれないなぁって、最近思えるようになってきた。
すべての成功者がそうだっていわないけど、成功者って、その先を見失っている場合が多々ある。「成功」という分かりやすい目標を達成してしまうと、その先で目ざす方向が分からなくなってしまうのだ。いや、分からない。もしかしたら、もっとスケールのでかい夢があるのかもしれないけど、、、 それは、成功した者にしか分からないことだろう。
ツイッターなんかをみてると、成功者ってすごいなぁって思う。フォロアーが何千人、何万人っていて、自分の声が瞬時に大勢の人に届くわけで、それって、僕的にはすごい羨ましい、というか、凄いなぁって思う。YOSHIKIなんかをみてると、いつも「いいなぁ~」って思う。YOSHIKIなんて、36歳の時、もうすでに絶大な地位を築いていたわけで。もちろん、壮絶な人生を生きているとは思うけど、彼は間違いなく「大成功者」だ。ホリエモンをみていると、本当に凄いなぁって思う。
妬ましさも感じなくはない。「なんで、僕はこうも成功できないんだ?!」と思って、ひねくれてしまう気持ちがないわけでもない。バンドで成功していく人たちをみると、「どうして、こいつらが?!」って思うこともたくさんあった。自分より若い人間が、とっとと准教授になったりしているのをみると、殺意が湧くほど、悔しい気持ちになったりもする。
で、「なんで、僕はこんななんだ?!」、と凹んだりもするし、いじけたくなる気持ちもあったりする。「こんなに頑張ってるのに、どうして全然成功できないんだ?!」、と暗い気持ちになったりもする。
けれど、そんなことを思える「今」って、すごい幸せなのかもしれないなぁ、と思うのだ。妬ましさや悔しさって、いい感情ではないけど、決して悪い感情でもないのかもしれない。悔しいからこそ、「よっしゃ、頑張ろう!」って思えるわけだし。。。
…
このまま、成功しなくてもいいかな、と少しだけ思えるようになってきた。成功しないまま、成功を求めて老いていくのも悪くないかな、と。
もちろん、虎視眈眈と成功できる日を待ち焦がれている自分もたしかにいます。成功して、ビッグになって、時代の寵児になりたい、と。でも、実際にそんな風になってしまったら、きっと自分を見失い、自分を過大評価し、努力することを忘れ、刹那の快楽に暴走していくこと、間違いなしでしょう。そうなりたくもない。うーん、つまり、だから成功したい/したくないがせめぎ合っているんですね。
そんなせめぎ合いこそが、実は、ものすごい幸せなことなのかもしれないな、と。
今の状態が一番幸せなのかもしれない。うん、そう思えるようになってきた。
成功することよりも、成功を求めて必死にもがき続けることの方が、実は本当の意味で幸せだったりするのかも。
36歳最初の夜に、こんなことを考えました。