僕の最愛なるおじいちゃんが、昨夜、2011年1月3日午後8時に他界しました。
おじいちゃんが生前からずっと口にしていた「100歳」には至りませんでしたが、
奇跡的に2011年を迎えて、亡くなることができました。
これで、足かけ100年、生きました。よかったね。おじいちゃん。
他の家族がどう思っているかは分からないけど、僕はすごく寂しい。
99歳まで生きたのだから、「大往生」じゃないか、と言うかもしれません。
たしかに、99年生きられるということ自体が幸せなことではあります。
でも、僕はやっぱ寂しいです。
幼少期はもちろんですが、大学生以降もずっとお世話になりました。
なによりも、おじいちゃんは僕の「絶対的な精神的支柱」でした。
おじいちゃんは、大学時代に心理学を学んでおり、その後は新聞記者として働きました。
僕も大学で心理学を学び、そして、一応物を書く学者として生きています。
おじいちゃんはとにかく書くことが好きでした。
ほんと自力で立てなくなるまで、自宅でものを書いていました。
書くことの素晴らしさ、書くことの尊さは、おじいちゃんから教えてもらったと思っています。
僕が一時期、不真面目になったときも、おじいちゃんは一番厳しかったです。
「真面目に勉強しない孫とは話をしない」、と僕をばっさり切り捨てました。
数年間、口を聞かないときもありました。その時の厳しい目は今でも忘れられません。
でも、自分が立ち直って、真面目に真剣に勉学に励むようになってからは、色々と話をしてくれました。
(うちの家系はどうも、勉強することがよいことという文化・環境にあったみたいです)
大学院に進学したときも、おじいちゃんはすごい喜んでくれました。
いつも、「もうやっちゃんにはかなわないな」と言うようになりました。
「学問の素晴らしさ」をおじいちゃんはきちんと分かっていました。
もちろんアカデミックな世界に踏みとどまったことも喜んでくれました。
口癖はいつも、「カントは~」でした。カントが好きだったみたいです。
(というか、カントについての大学での講義が印象的だったみたい)
心理学を専攻としつつも、おじいちゃんの興味は哲学や歴史や文化にありました。
おじいちゃんは、生前、謎を残して他界していきました。
「我が人生で第一番目に幸福だったのは、大和の媛みこ(卑弥呼)である」
僕は、最後の最後までおじいちゃんから大切なことを学びました。
おじいちゃんの人生の一番の幸福は、家族でも仕事でもありませんでした。
おじいちゃんにしか分からない、いやおじいちゃんも分からない大きなテーマでした。
僕の人生も、「第一番目の幸福」は、家族でも仕事でもなく、永遠のテーマでありたいと思いました。
(まだ、これ!って言えないのですが…)
知(Wissenschaft)こそ、自分の人生の最大の幸福であり続けるよう、頑張ろうという気持ちになりました。
そういえば、おじいちゃんはドイツ語のLIED(歌)が好きでした。
足腰がダメになっても、ドイツ語の歌をよく歌っていました。のばら、ローレライetc.
学問も、ドイツ語も、思想も、おじいちゃんから学んだものでした。
もちろんおじいちゃんだけじゃないけど、この人がいなければ、その価値に気付けなかったでしょう。
物質的には、おじいちゃんは息を引き取りました。
けれど、おじいちゃんの精神は僕の中で生き続けています。
自分自身の血となり精神となり知性となり、それを受け継いでいきます。
僕が、学生たちに「書くこと」を強く求めるのも、おじいちゃんの精神の一つの現れだと思います。
Ich hatte dich sehr geliebt, mein Opa.
Auf Wiedersehen. Leb wohl. und Ich vergesse dich nicht.
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最後に、この数年のおじいちゃんのメモリアル・フォト&コメントを☆
おじいちゃんは日本の歴史が大好き。今日は「卑弥呼」について語ってくれた。僕自身、「日本」の誕生についてとても興味がある。僕的には「大化の改新」が日本の誕生だと思っている(これは僕なりの解釈)。でも、おじいちゃんは「邪馬台国」の時代に力点を置いている。「魏志倭人伝」、、、僕も読まなきゃって思わされた。ただ「魏志倭人伝」って中国の記録だし、どういう意図でどういう手続きを経て書かれたのかよく分からない(僕の不勉強も大いにあるが)。
kei「おじいちゃんいくつになるの?」
祖父「あと四つで100歳だよ。わっはっは!」
kei「何年生まれ?」
祖父「1912年だよ」
kei「・・・じゃあ、96歳じゃない?」
祖父「そんなことはない! もうすぐ100歳なんだから!」
kei「いいや。おじいちゃんは96歳だよ!計算すると・・・」
祖父「あら、そう?! そうなの~?! じゃあ(100歳まで)あと5年か~ 長いなぁ・・・」
***
2007年のおじいちゃん すごい元気でした。
2008年のおじいちゃん まだ色々語れて、元気でした。
2009年のおじいちゃん 髭がすごくなって… ちょっとしゃべるのがつらそうでした。
2010年のおじいちゃん(1月) かなり弱ってましたが、まだ外に出れました。
2010年のおじいちゃん(6月) 起きるのは辛そう。でも会話はたくさん…
2010年のおじいちゃん(11月) 容態はかなり悪化していました。
2010年のおじいちゃん(12月) 最後の最後におじいちゃんとつながれた気がしました。
僕が生まれてからの35年、ずっと僕を見続けてくれました。
小さい頃は本当によく面倒を見てくれました。
僕をケアしてくれる大切な存在でした。
高尾山によく連れていってもらいました。
ケーブルカーが好きで、「もう一回乗る!」といって困らせました。
幼少期に、おじいちゃんに叱られることはほとんどありませんでした。
おじいちゃんと散歩に出かけるのが大好きでした。
立川、国立、東大和市、色んなところに歩いてでかけました。
ただの散歩なのに、おじいちゃんと一緒だってだけで嬉しかった。
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この最後の数年は、ブログとおじいちゃんがセットになっていました。
読んでくださる方々にも感謝申し上げたいと思います。
・・・そうそう、今月、おばあちゃんが遂に千葉にやってくることになりました!!
今年はおばあちゃんの記事が増えそうです。いつもおじいちゃんネタばっかだったからなー。
Meine Oma, Willkommen in CHIBA!!