「せいやんたなか」の遠くの山もあせらず歩いて登りましょ・・・

「旅・登山やウォーキング!」に仲間と共に歩いた道中で、心を打った出来事など「今の証し」を記してみたい・・・。

岡山・旧久世町へ 「学童疎開」 の昔を訪ねる・・・

2014年08月28日 20時30分30秒 | 日記
2014年8月24日(日)は、  ・・・ 岡山県真庭市鍋屋(旧久世町)へ ”「学童疎開」を語る会” を尋ねて  出掛ける!

 長老・C hi さん・・・曰く  「学童疎開」 はもう昔々の70年前の話だ!?・・・が、我が精神(こころ)のふるさとの話を聴いてくれるか!” と・・・ 
  1. それは戦時中の昭和19年9月のこと、神戸市内の某小学校3年生の時に岡山県久世町「遷喬国民学校」への「学童疎開」だった!
  2. ちょうど今、その ”学童疎開誌の編纂” に勤しむ現地のAさんと出合って・・・、当時をいつぱい語るんだよ・・・!
  3. 僅かな、当時の情報の交換によって知る歴史的手掛かりや現存する建物などが徐々に明らかに!・・・「語り部」になればいいんだ!

吾輩も、そのご苦労を経験された昔を観てみたい・知りたいと・・・同行を願い出て、お供として訪ねる   
                                                    ※「旧遷喬尋常小学校」のリンク先は、  (こちら) です。


戦時中の「遷喬(せんきょう)国民学校」、現存する「旧遷喬尋常小学校」校舎・・・明治40年築で107年経過、・・・今は国指定重要文化財だ!

学び舎で当時を語る →       現地の仮宿舎には・・・→  
           Aさんと当時の想い出を熱く語るC hiさん・・・!                         ↓↓↓
     疎開先の仮宿舎「円山大師堂霊場」では、当時のまま残る建物などに感傷的な一言・・・”今では年寄りは「老人ホームだよ!」か?!・・・せつないなぁー!”

※ 立派な「旧遷喬尋常小学校」校舎は、築107年も経っているのか!?、・・・平成2年まで「遷喬小学校」が使っていた学び舎だ・・・と  
 廊下は  走るな! 
         往時の ”子供たちの声に耳を傾けてみた!” ・・・、そこには”螺旋階段を駆け上る遷喬っ子が居た!”

※ 初めて訪れた 勝山 は「城下町」だった・・・なるほど ”落ち着きのあるいい街だ!” 、四季を感じる・・・もう一度 ”訪ねてみたい街だ!”







コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ちょこっと敦賀の ”日本海さ... | トップ | 四国・讃岐の 「金刀比羅宮」... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
偶然? (かずちゃん(高知))
2014-09-03 19:49:08
およよ。1週間前の8月17日(日)から3日間の予定で大山登山のため、私はその旧遷喬尋常小学校に立ち寄り見学しました。歴史の由緒のある建物で感動しました。偶然ですね。

返信する
かずちゃんへ (せいやんたなか)
2014-09-03 22:21:59
偶然!!
70年のタイムトンネルを抜けると・・・ 「学童疎開」経験者の過去が、旧遷喬国民学校の校舎として現存していました・・・。
その校舎では、神戸の子供たちの ”我が家へ帰りたいよぉ~!” との 声が聞こえたように思う!?
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

日記」カテゴリの最新記事