1980年代後期におけるマルホン一発台の名機「キャラバン」。
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先輩格の兄弟機「プリズム」と「ファイター」は、残念ながら実機経験がない。しかし、このキャラバンは、1990年に地元近くの店(川崎・向ヶ丘遊園「銀座ホール」)でチョクチョク打っていた。
この銀座ホールは、キャラバンを1990年の9月頃に外し、代わりにジャスティ(西陣)とファミリー(大一)を導入した。どちらも思い入れある一発台であり、今後折を見て紹介していくつもりだ。
さて、キャラバンであるが、大当りまでの流れは非常に単純である。天横から中央のヤクモノに入賞して、シルクハットの金髪女性の頭上にある「パンク穴」にさえ入らなければ、ヤクモノのアタッカーがパタッと閉じて「CHANCE」の文字が出現し、見事大当りとなる。普段は黒い平凡なアタッカーに玉が入って「CHANCE」が現れた時は感動モノであった。
「銀座ホール」のキャラバンは、このパンク穴を潰してあったので、役物入賞=大当りとなった。スーパーコンビなどの振り分けタイプとは違い、まさに「完全一発型」のギャンブル台といえる。当時、キャラバンをこのように完全一発調整していた店が、割と多かったのではないか。
大当り後は、ヤクモノ下の「2」と書かれた2回開きチューリップに玉が流れるようになる。ここに入賞があると、その下の電動チューリップが連動して6秒間開放する。電チューは玉の入賞を3つまで記憶する為、打止までの流れは比較的スムーズだったと記憶する。
当時、銀座ホールは非常に客付の良い店で、その中でも特にキャラバンのシマは、空き台が出ないほどの人気ぶりだった。オッチャン、オバチャンが多く、年齢層が高めだったのが印象深い。80年代からの長い設置で、熱心な固定ファンが多数存在したのだろう。
「はい、キャラバンコーナー、88番台のお客様、ラッキースタートおめでとうございます!」という年配店員のマイクパフォーマンスが、今でも昨日の事のようにハッキリと聞こえてくる。
一発入れば打止5000発まで一直線だったので、短時間勝負にはうってつけの台といえた。天釘が6本あるなど「鉄壁」ともいえる釘にガードされていたヤクモノには、そうそう簡単には入賞しなかったが、だからこそ、突然の大当り降臨には大いに興奮したものだ。
やはり、当時の一発台が面白いと思えたのは、「適度なギャンブル性」と「シンプルなゲーム性」が一体化していたからではないだろうか。この二つが、パチンコのもっとも大きな「醍醐味」だと感じるのは、自分だけではない筈だ。
可能ならば、当局に現在の内規を大きく変えて貰い、「シンプル・イズ・ベスト」を地で行く一発台が設置できる環境に戻して欲しい所だ。まぁ、しょせん無理な望みだとは判っているが…