ファンタジーセブンは、太陽電子(現・タイヨーエレック)が1992年(平成4年)に送り出した新要件デジパチである。
太陽電子といえば、もともとは手打ちや電動ハンドルのアレンジボールやアレンジフィーバーのメーカーであり、デジパチの販売は行っていなかった。昭和末期~平成初期の旧要件時代にもデジパチは登場せず、「ワイワイワイ」「タックル」「パラダイス」「クラッシュ」「サンビート」「ロックアップ」「メカコング3」などのアレパチがメインであった。上記のアレパチは、デジタルの大当り確率が非常に低く設定されたモノが多く(1/500前後)、釘調整次第で完全な「デジタル式一発台」に変身した。
しかし、1991年の平成・新要件機時代への突入を機に、太陽電子はデジパチに参入を開始する。同社のデジパチ第一弾は、中当り機能付きのドットデジタル機「ウルトラ7」(大当り確率1/210)である。次いで「ファジー7」(1/220)「ファジー7P-2」(1/170)が第二弾として登場。太陽電子が新しく送り込んだこれらの新機種には、デジパチ初の試みとなる「一旦ハズレ停止した絵柄が再始動する」という逆転演出が搭載された。
ファンタジーセブンは、以上の流れの中で1992年に登場した太陽電子デジパチ第3弾だ。賞球7&15で出玉は2300個。大当り確率は1/240と低めだが、保留玉一個目での強烈な連チャン性が特徴だった。
デジタル回転中は「ビビディ・バビディ・ブー」、大当り中は「ミッキーマウス・マーチ」「イッツ・ア・スモール・ワールド」などの軽快なディズニーメロディが流れる。但し、著作権の問題をクリアーしていたかどうかは知らない。デジタル回転中は、連続回転が途切れない限り、エンドレスで曲が続くようになっていた。その特性を利用した甘釘台の判別法が「ビビディバビディブーが途切れない台を狙う」というものであった。当時、ガイド誌のスエイ編集長もこの台を好んでおり、「(BGMの)ウルサイ台を打て、という事ですね」と語っている。
太陽電子独特のリーチサウンドも好きだった。古めかしくも力強い電子音という感じだ。リーチ後、中デジタルハズレ目停止からの再始動アクション(1~34コマ)※も健在で、大当りの40%は再始動アクションを伴った。保留玉での連チャンは、当時流行の「2段階抽選方式」によるもので、大当り後の保留玉1つ目に限り1/60の一次抽選を無条件で通過する。後は1/4の二次抽選にさえ当たれば、連チャンが発生した。すなわち、保1での連チャン率は25%と高かった。自力連チャンを加えれば約27%と魅力的な数値であった。
※再始動時の中デジタルスベリコマ数について(訂正)
私がいつも参考にしている某ブロガー氏の記事で、4コマスベリの話(証拠動画付き)が出ており、当方も資料を再確認したところ、確かに再始動時のスベリコマ数は「1~4コマ」となっていました。訂正させて頂きます。ちなみに、再始動のシステムについては、内部プログラムに「中出目スベリカウンター」が存在。大当り判定当選後はこのカウンターが参照され、移行範囲「0~9」のうちカウンターが「0、1、2、3」の4つを取った場合、再始動が発生(「4~9」なら再始動せず)。内訳は、「0」なら1コマスベリ、「1」なら2コマスベリ、「2」なら3コマスベリ、「3」なら4コマスベリを選択。よって、再始動選択率は大当り時の40%で、スベリコマ数選択率は均等に1/4づつ。
しかし、その連チャン性の高さゆえに当局に目を付けられ、その後販売自粛を余儀なくされる。当時は「連チャン率20%を超えるデジパチは、自粛の対象になる」とも言われており、ファンタジーセブンも例外ではなかった。代わりに登場したのが後継機「ファンタジーSS」(1/210)である。こちらもバリバリの連チャン機(連チャン率20%)だったが、設置率は高かったと記憶する。
さて、ファンタジーセブンでの思い出といえば、私がかつて東京・新宿のパチ屋で体験した「ハプニング」が思い浮かぶ。
1992年某月、新宿・歌舞伎町の「モナミ」(→ゲームアドアーズ→閉店)での出来事だった。当時、金と暇があれば新宿のパチ屋に入り浸っていたダメ学生の私は、デジパチを打ちたくなると、良くこの店に足を運んだ。ロータリーセブン(マルホン)やフィーバーマキシムEX3(SANKYO)など打っていたのを覚えている。また、地下にはパチスロ1.5号機の名機「ニューペガサス」が設置されており、魅惑の吸い込み連チャンを堪能すべく、足繁く通ったものだ。ノーマルの「ペガサスEXA」なんかも、専らこの店で勝負していた。
(新宿モナミ・1990年頃)
さて、当時モナミの1Fはパチンコフロアで、セントラルロード(当時はまだ「コマ劇中央通り」という名前だった)側の正面入口を入ると、新台・旧台取り混ぜてのパチンコシマが縦にズラッと並んでいた。このメインシマの右奥には、一シマ3台ほどの小さなシマが4列あり、すぐ後ろが裏口の自動ドアになっていた。この裏口のシマには、ファンタジーセブンが6台ほど置いてあった。
初めて見る独特のドットデジタルに興味を覚えた私は、空き台に着席した。小さいが愛嬌のある赤いデジタルには、私をワクワクさせる「何か」があった。デジタル回転時の「ビビディバビディブー」の軽快な調べも私を魅了する。そして、打ち始めて10分も経たないうちに大当り。「イッツアスモールワールド」のメロディを聞きながら、既に脳内は「この台は連チャン機なのか?」という事で一杯だった。当時は、情報も充実しておらず、台のスペックも知らないまま勝負を挑む事も多かった。新台の連チャン性の有無を実戦で初めて知ることも、決して珍しくなかったのだ。
すると、大当り終了後の保留玉一つ目で、ダブルが発生する。すかさず満タンのドル箱を足元に置き、傍らの空箱を手元に引き寄せる。連チャンが終わると、再び保留一発目でトリプル。間違いない、コイツは強力な保留玉連チャン機だ。その後も4連、5連と当りが続き、足元にはドル箱が積み上がっていく。
と、5連チャン目の途中で、私はある事に気が付いた。「賞球の払い出しが止まっている…」そう、台上の補給レールが玉詰まりを起こしたのだ。連チャンでアタッカーにザンザカ玉が入っているのに、一発の玉も出て来ない。まぁ、これも良く有る事だと思い、私は呼び出しランプを押した。ただ、連チャン中に自分でドル箱を調達していた為、それ迄一度も店員を呼んでいなかったのがマズかった。その事が災いしてか、店員は全くトラブルに気付かずコチラにやって来ない。店の「死角」ともいえる小さなシマだけに、忙しい時間帯には何かと放置され易い場所でもあった。
その間も、打ち出した玉がどんどんアタッカーに吸い込まれていく。しかし、玉の払い出しは一向に回復しない。そうこうしている内に、台がエラーを起こしてしまった。連チャン中のエラーなんて、なんか気分が悪いな…。そこへ、ようやく店員が到着して、頭上の補給レールをガチャガチャっとやって玉詰まりを直したのだが、次の瞬間、驚くべきことが起きた。
何と、まだ大当りの途中だったにもかかわらず、何事もなかったかのように私の台は朝一出目を表示しているではないか。そう、エラーが復旧したと同時に、大当りが完全に消えてしまったのだ。まだ、5、6ラウンド辺りだったから、残り10ラウンド分の出玉がフイになった格好だ。そればかりか、大当り終了後の「魅惑の保1連チャン」のチャンスまで一瞬で消え去ってしまった。
私は、店員に「この大当りは、どこまで伸びるか分からない大連チャンの最中だった。途中で大当りが消えるなんて有り得ない。呼び出しランプを押したのに来なかったのは、店の責任だ。キチンとこの先の連チャン分の出玉を補償しろ。」とクレームをつけた。この時は、ファンタジーの保1連チャン率が25%とは知らず、まるでキャスターやロータリーセブンの「永久連チャン」の途中で、大当りが消えてしまったかのような錯覚をしていた。5連もしていること自体、結構な引き強だったのだが…。
しかし、店員は私の連チャンの様子を見ていない為、「確認のしようがないから…」と取り合ってくれなかった。どうしても納得できなかった私は、それならば、せめて消えた大当り一回分の出玉は補償して欲しい、と頼むと店員はしぶしぶ応じた。結果的には、千円かそこらの投資でドル箱5杯をゲットして快勝した訳だが、非常にモヤモヤとした不満ばかりが残る実戦であった。既に20年近く経過した現在でも、あの時の悔しさは忘れられない…。