今回は、1994年(平成6年)にSANKYOから登場した現金機デジパチ「フィーバーウォーズI」を振り返りたい。
フィーバーウォーズI(SANKYO、1994年9月登場)
★賞球…7&15
★大当り確率…1/205
(同時登場の「Fネプチューン」と確率は同じ)
★ワープルート搭載
(ワープ経由のヘソ入賞が非常に多く、命釘のみならず、ワープ周辺釘やネカセも重要)
★デジタル停止順⇒左⇒右⇒中
★大当り図柄…計15種類
(数字の「0~9」と、宇宙絡みの図柄5つ(惑星、宇宙船、戦闘機など))
★最高16ラウンド継続
★アタッカーは10カウント、出玉は約2400個
(9カウントのFネプチューンより、出玉は多い)
★意図的な連チャン性…なし
(但し、個人的には数珠連の経験多し。高確率故の自力連と思われるが…)
★Fネプチューンに搭載された「LNランプ」は、本機は非搭載
★後継機…本機の「CR版」が存在
「CRフィーバーコマンドSP」(1995年10月登場)
※現金機のFネプチューン(94年9月)とそのCR版「CRFネプチューン」(94年10月)は、登場時期がほぼ同じ。一方、ウォーズのCR版「コマンドSP」は、かなり遅めの「95年秋」にデビュー(両者のタイムラグが約1年)。その為、コマンドSPの方が、CRFネプチューンより認知度は低い。
CRFコマンドSP(SANKYO、1995年10月登場)
大当り確率1/391。1/3で確変+2回ループの、フルスペックタイプ。
(新台発表)
1994年9月6日、東京・港区「新高輪プリンスホテル」の大宴会場「飛天の間」において、SANKYOの新台発表会が盛大に開催された。
(当時の会場の様子)
芸能人の結婚式場としてもお馴染み、飛天の間での「お披露目会」。大手メーカー・三共ならではの超豪華イベントとして注目を集めた。
(会場入口では、綺麗なコンパニオン達がお出迎え)
(SANKYO期待の新台を一目見ようと、多くの業界関係者が集った。宴席よろしく、飲食用の大きな丸テーブルも、多数用意された。)
この発表会においてベールを脱いだ最新台は、以下の7機種であった。
・フィーバーネプチューン(現金機、デジパチ、ドラム)
・フィーバーウォーズI(現金機、デジパチ、ブラウン管)
・フィーバーキャッスル(現金機、デジパチ、ドラム)
・CRF・ワールドI(CRデジパチ、ブラウン管)
・ゾンブレロ(現金機、ハネモノ)
・力士I(現金機、ハネモノ)
・CR力士I(CRハネモノ)
中でも、デジパチ2機種(Fネプチューン、FウォーズI)、及びハネモノ1機種(ゾンブレロ)には、最新型の「台枠」が初採用された。そう、新枠「NASUKA」(ナスカ枠)である。
(他の4機種は、従来の「ステラ枠」を使用)
(NASUKA枠)
それまで「角型」が当たり前だった台枠の既成概念を打ち破り、斬新な「円形」枠を採用。
カラフルかつ奇抜なデザイン(潜水艦チックな雰囲気も漂った)は、パチンコの「次世代感」「近未来感」を、打ち手に印象付けた。
また、上部左右スピーカーから流れる音声多重・ステレオサウンドも、臨場感タップリ。
ナスカ枠は、2年以上の長い構想期間を経て開発され、多大な予算が投入されたといわれる。新枠開発に対するSANKYOの強い意気込みが感じられる。
(関係ないが、下皿の玉抜き穴に小銭が入り込み、取れなくなる「ハプニング」も多発したw)
今回紹介する「フィーバーウォーズI」は、この新台発表会で「フィーバーネプチューン」と共に脚光を浴びた、当時話題のデジパチである。
会場の特設シマにて、フィーバーウォーズIの試打を行う女性(1994年9月)
(デジタル)
6インチ・ブラウン管(CRTモニター)※を使った美麗なデジタル画面は、宇宙船(戦闘機)のコックピットから見た視点が特徴。宇宙戦闘を疑似体験する「バーチャルゲーム」感覚で楽しめた。
画面の上半分が宇宙空間、下半分がデジタルとなっていた。上部中央には「照準器」もあって、デジタル回転中は次々と敵が接近、ゲームに負けない迫力があった。
※業界初のCRTモニター採用機は、同年登場の先行機「フィーバーファイターI」(SANKYO)。これに続くCRT第2弾が本機。なお、同時発表された「CRFワールドI」もCRT搭載の為、こちらもやはり「第2弾」。
また、本機では保留4つ目が点灯した瞬間に、「ババーン」という耳に残る派手な効果音が、一瞬鳴るようになっていた。これは、「保留満タン」を打ち手に知らせる「お知らせ機能」で、無駄玉を減らす為のメーカーの「気遣い」といえる。シマを観察中、お知らせ音が頻繁に鳴る台は、保留満タンになり易く、甘釘でワープ入賞率も高い、と予測できた。
(リーチアクション)
左⇒右テンパイでリーチ。本機には(1)ノーマルリーチ、(2)ノイズリーチ、(3)ハイパーリーチと、3つのアクションがあった。
★ノーマルリーチ
左右テンパイ後、中デジが速度を落として、上⇒下にスクロール(テンパイ直前、画面がフラッシュしてリーチを予告)。
通常、図柄の背景は「緑」だが、リーチ時は「ピンク」に切り替わる。
リーチ中、画面奥から「SP」の文字が、手前に繰り返し迫ってくる。
本機は、ノーマルリーチでも頻繁に当る。ノーマル大当りのパターンは、次の4通り。
・大当り図柄でダイレクトに停止(再始動せず)
・+1コマでいったん停止後、1コマ戻って当る(再始動1)
・-1コマでいったん停止後、1コマ進んで当る(再始動2)
・+1コマでいったん停止後、14コマ(約一周)進んで当る(再始動3)
※再始動(1~3)は大当たり確定
★ノイズリーチ
ノーマルから発展。いったんハズレ停止後、中デジが砂嵐のようなジグザグ画面(画像参照)に切り替わり、シャッター開閉動作を繰り返す。開閉のたびに、中デジも1コマ進む(コマ送り)。
ノイズリーチの大当りは、普通に大当りで停止する「通常パターン」と、大当り図柄出現後にシャッターが閉まって「ハズレ」と思わせて、再びシャッターが開くと大当り図柄が現れる、「フェイントパターン」の計2通りがあった。
★ハイパーリーチ
デジタル回転中、突如けたたましいアラーム音が鳴り響き、画面上部がオレンジに点滅を開始。全デジタルが高速回転した状態で、約20秒間ほど回り続けて、最後は一斉停止。
インパクト的に最も強いリーチで、かなり期待を持たせたが、不調時はハズレまくってガックリ。個人的にも、「ハイパーハズレがハマリの前兆」などと勝手に思い込んでいた(オカルト)。
回せども回せども、ハイパーリーチがサッパリ来ない時も、ハマリが深くなりそうで怖かった。
(オカルト)
★各リーチの振り分け率(解析値)
大当り抽選に当選した場合、必ずリーチ抽選に当選する。
この時は、ノーマル=30%、ノイズ=35%、ハイパー=35%と、ほぼ均等に振り分けられる。
ノーマルの選択率も、かなり高めである。
一方、大当り抽選にハズれると、ハズレ専用の「リーチカウンター」を使い、リーチ抽選とアクションの振り分けが行われる。
このリーチカウンターは「0~134」(135コマ)で、「0~9」(10コマ)ならハズレリーチが発生。よって、ハズレリーチ出現率は1/13.5。
この時は、これまた専用の「ハズレ出目カウンター」で決定した中デジタルの出目と、左右デジタルの出目の関係によって、各リーチの振り分け率が異なる。
(a)中出目が、左右出目に対して「-1コマ~+5コマ」の場合(比較的惜しいリーチ)
ノーマル=80% ノイズ=10% ハイパー=10%
(b)(a)以外の場合(惜しくないリーチ)
ノーマル=100%(ノイズとハイパーは選択されない)
なお、ノーマルリーチの大当りパターンは計4つだが、選択率は次の通り。
・そのまま停止…50%(1/2)
・二段階(1コマ戻る)…約16.67%(1/6)
・二段階(1コマ進む)…約16.67%(1/6)
・二段階(1周進む)…約16.67%(1/6)
また、ノイズリーチの大当りパターンは「通常」と「フェイント」の2通りだが、選択率は通常=57%、フェイント=43%で、やや「通常」パターンの方が出易くなっていた。
なお、上記解析値に照らせば、ノイズリーチとハイパーリーチの出現率と信頼度が、全く同じ事も判る。「ハイパーの方が当り易い」などと感じたとすれば、単なる確率の偏りによるものだ。
(内部抽選方式、連チャン性、実戦の思い出など)
本機は「一発抽選方式」を採用。大当り抽選カウンターは「0~204」の計205コマで、大当り値は「7」のみ。よって、大当り確率は1/205となる。
また、大当り中や大当り後の「乱数上書き」等の現象は見られず、意図的な連チャン性がない「ノーマルデジパチ」ということも、解析結果より判明している。
’94年当時は、現金機の「連チャン規制」真っ只中で、香ばしい保留連や数珠連を搭載した新機種を出すのが、かなり困難な状況にあった。
そこで、本機の様に、ビジュアル面など連チャン以外の面で工夫を凝らした機種が、数多くデビューした訳だ。
また、「疑似連チャン機」といわれる確変デジパチ(小デジタル)も重宝されて、その流れが初の時短機といわれる「エキサイトレディ2」(ニューギン)の登場につながった。
さて、本機は個人的に多くの店で打つ機会があったが、もっとも頻繁に通ったのが、当時の地元近くの私鉄O線・Y駅前にあった「J」(現存)というホール。
本機とF・ネプチューンがちょうど1シマづつ、背中合わせに6台づつ並んでいた。
「当時はネプチューンがメジャーで、本機はマイナーだった」との意見も散見するが、少なくとも、都内・神奈川の活動範囲では、本機の設置率は比較的高かった(当然、地域差もあろうが)。
ちなみに、当時J店は「LN制」だったが、日曜・祝日を除く朝9時半の開店~午前11時の間は、図柄に関係なく「無制限札」を貰えるサービスをやっていた。勝負前日、閉店前に釘をあらかたチェックして、当日は朝から気合を入れて入口前に並んでいた、あの頃が懐かしい…。
(スロはニューパルやダイバーズXX、赤パネルのスープラなどあったが、モーニングはなし)。
「ノーマル」とはいいつつも、個人的には50回転以内にポンポン調子良く当てて、いかにも「数珠連モード」的な展開も多かった。短時間で3,4箱積み上がる事も、しばしばあった。
まぁ、それも「1/205」という甘い確率がなせる業かも知れないが、逆に、1万、2万と追ってもサッパリ当らない展開もあり、「この台、地獄モードじゃないの?」と思う事も…。まぁ、確率のバラつきといってしまえば、それ迄だが。
また、本機には、保留点灯後にチャッカー入賞があると、デジタル回転時間が短縮される「連続回転中の時短機能」が備わっていた(保ゼロでチャッカー入賞しても、時短は効かない)。
すなわち、「回りの良い台ほど、デジタル回転効率が上がる」訳だ。当然、甘釘台では大当り間隔も短めに感じられた。ひょっとすると、これが数珠連ぽく感じた「遠因」かもしれない。
そうそう、本機の場合、今までブン回りだったのが急に回らなくなる事があって、それを契機に、大当りも一気に遠のく(深くハマる)印象も残る。いかにもオカルト然としているが、こうした体に染みついた感触というのは、あながちバカにできない(開き直り)。
それと、「回る、回らない」の話でいえば、通常打ちでサッパリ回らなかった台が、開き直って右打ちしてみると、アホみたいにブン回ることがあった(オカルトではない)。ちょっとした工夫で、こうした「意外なお宝台」に遭遇する事もあったから面白い。
(地上波メディアでの露出)
・パチンコNOW(テレビ神奈川で土曜深夜に放映) 1994年11月放映分。新台紹介コーナー「マル特パチンコ講座」にて本機が紹介。司会は渡辺正行(メイン)と斉藤絵里(サブ)。解説は守屋彰二(守ピー)。ゲストはセクシーメイツ※(斉藤りさ、染谷まさ美、星野かおり)。
※テレビ東京・深夜番組『ギルガメッシュないと』などに出演した、セクシー系の女性ユニット。
・DAISUKI(日本テレビ系で土曜深夜に放映) 1995年1月14日放映分。番組恒例の「パチンコ対決」第1回戦で、本機が対戦台に(所持金3000円、20分対決)。レギュラーは中山秀征、松本明子、飯島直子。ゲストはバカルディ(後の「さまぁ~ず」、大竹一樹と三村勝和)と益子直美。Fウォーズ対決で大当りしたのは、益子と中山の2人(共に1回づつ。益子はノイズリーチ、中山はハイパーリーチから大当り)。2回戦は「CR黄門ちゃま2」、3回戦は「フルーツマシン2A」。ロケ地は東京・八王子の「SAP日野」。
※参考…90年代「パチンコNOW」のMC変遷
91年10月(番組開始)~95年9月 渡辺正行・斉藤絵里 講師:守屋彰二(98年3月まで)
95年10月~97年3月 渡辺正行・中條かな子
97年4月~98年3月(番組終了) 渡辺正行・菊池万理江
(引き続き「パチンコNOW2」にリニューアル)
98年4月(番組開始)~2002年6月 小林千絵(新MC)、守屋彰二(講師⇒MCに昇格)
その後も「パチンコNOWTV」などに名称を変更、MCもリニューアルして番組は継続。しかし、当時はパチへの情熱がかなり失せていて(ほぼ、スロ一辺倒)、詳細は不明。
ただ、かつてMCを務めた村上恵梨さんが、2007年に病気で亡くなったというニュースは、ハッキリと覚えている。謹んで、ご冥福をお祈りします。
たしか、この枠から台の盤面がアクリルに変わったと思います
ノーマル1/200デジパチ時代はやたら回って遊べた印象残ってますね
見た目のカッコ良かったFウォーズは特に好きでしたよ
管理人さんとは近い地域だと思われる僕もFネプチューンよりFウォーズの方を多く見掛けた気がします
FネプチューンはCR版が多かった印象ですね
この機種も1~2度、打ったことがあると思いますが、あまり覚えていないのは導入店が少なかったからでしょうか。台枠のセンスとは対照的に、この頃の三共は液晶やドラムの出来があまり良くなかったように記憶しています。その後もパッとしませんでしたから、これが最後の大花火、だったのかな?
ネプチューンの全回転ハズレは許されざるけど(しつこいな俺)
ナスカ枠は防音ガラスだがやっぱり耳栓は必須でしたわ。今もPSゲームでこの台やってますよ(笑)
あーこんなだったかも、とか、ここってこんなだったの?とか見ていたよ。