まにあっく懐パチ・懐スロ

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デジパチ、視線の先は…

2013-07-02 08:54:01 | 懐かしのパチンコ本・攻略誌・漫画

今から21年前(1992年)の必勝G誌(増刊)において、ある「企画」が行われた。

 

それは、著名なパチプロ達に、「あなたは、デジパチを打っているあいだ、どこに視線を置いていますか?」という質問を投げかける、というもの。

常に勝ち続けるプロ、攻略誌をいくら読んでも勝率が上がらないアマ…この「差」はいったい何なのか、という素朴な疑問から誕生した企画だ。

もちろん、プロとアマでは、「腕」「知識」「経験」の差が大きい。だが、ひょっとすると、遊技中の「視線」ないし「目線」(普段、盤面のどこを見て打っているか)が、そもそも違うのではないか…すなわち、「プロならではの目線」が存在するか否かの検証である。

 

ただ、結果からいうと、デジパチ遊技中の目線・視線は、プロもアマも大差はなかった。ヘソ、ブッコミ、寄り釘、デジタル…狭い盤面の中では、おのずと目の向く方向も限られる。

やはり、プロとアマの差は、盤面のどこを見て打つかではなく、釘の良し悪しやパターン認識などを見極める「眼力」が、大きく異なるという事に尽きる。

 

因みに、このとき回答を寄せたプロ及び編集スタッフは10名。プロでは石橋達也、銀玉親方(山崎一夫)、田山幸憲、寒河慶一、安田一彦、伊藤芳孝(敬称略)の6氏。一方の編集スタッフは、クマちゃん先生、ゴワゴワ王、スエイ編集長、そしてパチプロ負男の4氏。

いずれも、当時のG誌で活躍した「強者」である。若干一名、「毛色」の違う人物が含まれている気もするが(笑)…実はその人物こそ、今回の「主役」なのだ(謎)。

なお、回答方法だが、盤面の画像を見て、自分がいつも視線を向ける箇所に「マル」を書き入れる、というもの。

因みに、画像は当時大人気だった連チャン機「麻雀物語」を使用。


平和の連チャン機「麻雀物語」(1991年)…初のカラー液晶デジパチ

 

(各氏の回答)※敬称略

・石橋達也…中央始動口(ヘソ)、ブッコミ、デジタル画面の3点
・銀玉親方…左寄り釘下の風車からヘソにかけて、一連の誘導釘
・田山幸憲…デジタル画面、ヘソ(理由…画面=人情、ヘソ=つい目が行く)
・寒河慶一…打つ前はよく見るが、座ってからはあまり見ない。しいて言えばヘソ、ブッコミ、デジタル
・安田一彦…ブッコミ
・伊藤芳孝…打つ前は、釘師が良くいじる釘を見る。初見の場合、まずデジタルを見る。
・クマちゃん先生…ヘソとメモリーランプ
・ゴワゴワ王…データ取りの指示次第でいろいろ
・末井昭…ヘソ

という具合である。

目線の位置は人それぞれ違うが、どれもまっとうな、理にかなった回答であろう。ただ、プロでもアマでも、それ程大きな差がある訳ではないい。それでも、「ボーッ」とデジタルを見つめっぱなしのプロなど一人もいない、という事は判る。「私は、いつも盤面のさやか嬢しか目に入りません」という御仁も、当然いない。

プロと言えば、故・田山プロの「デジタル=人情」という答えに、氏の秀でた文才を感じる。そういえば、氏の命日(7月4日、ナナシーの日)も近い。あらためて、田山さんのご冥福をお祈りします。

 

さて、「視線」の話に戻るが…実は一名だけ、他の回答とは全く次元の違う「視線」を持つ人物がいたのだ。

 

それが、パチプロ「負男」氏である。彼がマルを付けた箇所とは…

 

なんと、「アウト穴」であった(笑)。

「早く出玉が欲しい」との思いに駆られ、遊技中にアタッカーを見てしまう人はいるだろう。しかし、さらに下の「アウト穴」に目を奪われるパチンカーは、かなり珍しい。

 その理由について、負男氏はこう語る。

「最初は、いろんなところを見てるのだが、あまりに入賞率が悪いと、次第次第にここに目が行き、またたく間に消えていく玉を見つめているうち、『ああ、何かいいなぁ…』と気持ち良くなってくる。皆さんにも、これはおススメです。」

…もはや、「悟りの境地」である(笑)。

もちろん、これは彼のキャラゆえの「ギャグ」である。実際は、パチ・スロに関する知識が非常に深い事でも知られる。

ただ、あえて「ヘタレキャラ」を演じる負男氏を支持するファンは、当時から多かった。平成初期には、ファンクラブ「ししゃも」が結成されたくらいだ(笑)。

その他、スロ関連では「この機なんの記」(マイナー台を打ち歩く企画)、「東回胴中膝栗毛」(東海道線の沿線ホールに立ち寄る企画)、「月刊マケタイ」(月イチ連載のコラム)などの名コーナーがあった。「マケタイ」は、今も続いているのだろうか…。

なお、個人的に好きだった企画は、以下の通り。

・「負男を探せin歌舞伎町」(1990年)
⇒歌舞伎町のホールに「神出鬼没」する負男氏を、読者が現地に出向いて探す「ウォーリーを探せ」的な企画。残念ながら、参加者ゼロに終わる。

・「新宿拾い打ち」(1992年)
⇒歌舞伎町のホールを回り、落ちているコインのみを拾って勝負する。結局、3時間半かけて9軒のホールで計27枚のコインを拾うが、日拓IVの「アポロン」で地球儀(10枚)を一回揃えたのみ。なお、最後に訪れたコマ劇前「ラスベガス」は客付ゼロで一枚もコインが落ちておらず、負男氏は「不戦勝」と主張。

・「ガリバースペシャル@ぱちんこ遊園」(1993年)
⇒伝説の小店「ぱちんこ遊園」での実戦(この機なんの記)。謎の「金魚打ち」の貼紙と遭遇。奇跡のボーナス連打で勝利と思いきや、まさかの「8枚交換」で1000円負け。詳しくはコチラ。http://blog.goo.ne.jp/selfconfide777mc/e/db0ad8ee631d1281222c7c711e126daa

・「負男の東京千円巡礼・新宿篇」(2000年)
⇒新宿界隈のホール(35軒)を回り、パチorスロを千円づつハシゴ打つ企画。大負け確定…と思いきや、28軒目の「スロットクラブ・エスパス3」で打ったキングキャッスル30(沖スロ)で、約1700枚のコインをゲット。奇跡の勝利かと思われたが、収支を計算してみると、ジャスト「1000円」のマイナスであった。

 

やはり、自分が勝手知ったるエリアでの企画が並ぶ。当時の新宿界隈は、大手チェーンばかりの現在とは違い、香ばしい中小のホールが、数多く並んでいたなぁ…(遠い目)。

※新宿・歌舞伎町のホール変遷についてはコチラ
http://blog.goo.ne.jp/selfconfide777mc/e/02e7d120715b2d1c45944c46c600bb6e