![]() | 御嶽山噴火 生還者の証言 あれから2年、伝え繋ぐ共生への試み (ヤマケイ新書) |
小川さゆり | |
山と渓谷社 |
何の偶然か、図書館で予約したら「火竜の山」と一緒に届いた。
ワタシは山には登らない。
標高の高いところは苦手。
筑波山がせいぜい。
でも山岳小説は大好き。
登れない私でも、体験できるのが小説、
この本は小説ではなくドキュメンタリー。
あの日あの山で起こったこと、そしてその後のこと、これからのこと。
読んでいくうちに伏せんがいっぱいになった。
「火竜の山」にも同じような子とが書いてあったけど
登山者全員に共通していたのは、「今日噴火するわけない」「生死を分ける危険に遭うわけない」
という警戒感の欠如だったと思う
ということ、ワタシだけは大丈夫と思う気持ち。
それから、先日みたテレビで「山で死ぬなら本望」といっていた人がいるけど
全く別の事が書いてある。
よく世間は山が好きで山で命を落とすと「好きな山で死ねて本望」とか言うが、
そんなわけがない。山が好きであればあるほど、山では死なない。山ヤはきっと
そうもうのではないか。生きて帰るために、最悪の状況であろうと、生きることを
諦めず、精一杯の抵抗をするのではないか。山に踏み込んだからには、自力で
生きて帰らなければならない。
そして、山岳救助の鉄則
「命がけであっても、命を懸けてはいけない」
激しく同意したこと、息子の事故後にワタシも思ったこと
身内には「ご先祖様が助けてくれた」といわれたが、噴火直前まで自由にさせておいて
それはどうだろう。欲を言えば、もっとは早い段階で手を打って助けてほしかった。
生き残るのは、「運」もある。説明できなければ「運」しかないのかも知れない。
噴火に巻き込まれた時点で、運は最悪だろう。
ワタシもご先祖様がみてたらバチが当たるかもしれないけど
助けてくれるなら、事故に遭う前に助けてほしいと思ったし
運がよかったなら、そもそも事故に遭うことはなかったろうとも思った。
「自己責任」とは の章に山に登る、揺るぎない暗黙のルールが書かれている
山で死なない、無事下山して家に帰る
という究極のルール
ワタシが山に今日を持ったのは植村直己さんがある。
彼の本を読んで、山の本もたくさんよんで
彼が、マッキンリーで消息を絶ったと聞いたときも、彼に限ってと想いながら号泣した。
家に帰る・・・これが登山の基本なんだと思う。
御嶽山は登ったことはないけどワタシには特別な山。
亡くなった祖父母が、信仰していた山。
いつか、登山口までいってみたい山
山頂は・・・標高高いから。