背寒日誌

2024年10月末より再開。日々感じたこと、観たこと、聴いたもの、読んだことなどについて気ままに書いていきます。

F・W・ムルナウ監督作品『ファウスト』(3)

2024年11月03日 14時04分58秒 | ボンクラ店長の雑記
 脚本に関し、一つ、重要なことを付け加えておかなければならいない。実は、ハンス・カイザーの脚本がウーファ社の幹部たちには不評で、これを却下して、別の作家に脚本を書き変えさせたのである。依頼した相手は、なんとドイツを代表する著名な劇作家で詩人のゲアハルト・ハウプトマンGerhart Hauptmann(1862~1946)だった。この辺の事情は不可解極まりない。ハウプトマンが脚本を書くことを引き受けたのは、ムルナウがカイザーの脚本で映画を撮り終わってからなのか? また、ハウプトマンがどれほどの日数で脚本を仕上げ、ムルナウはたしてその脚本で映画を撮り直したのだろうか? どうやら中間字幕の部分だけをハウプトマンに書き変えさせたようである。ムルナウが撮った映像はそのまま使い、字幕の部分だけを差し替えて、ハウプトマン版『ファウスト』を再編集したのだろう。
 このハウプトマン版『ファウスト』の試写会は、1926年8月26日、ウーファ直営の劇場で催されたと言われている。しかし、ウーファの幹部たちはカイザーの脚本よりさらに気に入らず、結局また元のカイザー版を復活させて、一般公開することに決めたのだった。ハウプトマンの脚本(字幕)は韻文(詩)で書かれていたため、文学的だ難解で一般観客向けではないと判断したのだと思う。ハウプトマンに対しては、一般公開の前週に「予期せぬ困難」が生じたと通知し、一方的に事後承諾を得たようだ。
 『ファウスト』のドイツでの初公開は1926年10月14日。場所は、ベルリンのウーファ直営の大劇場パラスト・アム・ツォーであった(Ufa-Palast am Zoo ベルリン動物園の展示ホールを改装した劇場で、当時ドイツ最大2000席以上ある封切り館)。ハウプトマンが脚本として書いた韻文は、パンフレットにして頒布されたという。
 『ファウスト』は、その後ヨーロッパ各国で上映され、アメリカ合衆国では1926年12月に、日本では翌々年の1928年3月に公開された。上映国によって、再編集され、いくつかのバージョンが作られた。ムルナウはアメリカ・ハリウッドのフォックス社と契約して、1926年秋に渡米していた。ドイツでの初公開の前だった。ムルナウ自身の手で編集が行われたのは、ドイツ語のオリジナル版とアメリカ公開用の英語版だったという。

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