映画館のホームページの作品データを参考に、観た感想を書いていく。
まず、『ポール&マヨネーズ』(20分)。これは篠原哲雄監督ではなく、陣内天飛という人の監督の短篇。シュウマイなのか肉マンなのか分らなかったが、その製造工場で共に働く中年のおばさんと不良っぽい若い女の子との触れ合いを描いたもの。といっても内容は奇抜。おばさんはマヨネーズが大好きで、なんにでもマヨネーズをつけて食べるほど。しかも、若い女の子に弁当のおかずを無理やり食べさせようとするおせっかいなおばさん。一方、若い女の子は、昼は工場で働き、夜はライブハウスでショーに出演しているという二重生活者。おばさんが女の子が勧める切符を買ってライブハウスへ行くと、なんと女の子がヌードダンサーのような衣裳でポールに上って絡みつきスネークダンスを踊っているのでびっくり。このおばさん、若い頃はダンサーを目指していたという理由もあって、すっかり女の子のファンになってしまう。この短篇、映像的にも面白く、展開もなかなか奇想天外で良かった。ただ、見終わって考えると、なぜ、おばさんと女の子にしたのか分らず。せっかくなら男と女にすればもっと良かったのにと思う。マヨネーズの好きななよなよした若い男と、筋肉質のつっぱり女のダンサーとの関係の方がもっと説得力があったのではあるまいか。
二作目『下校するにはまだ早い』(40分)。監督は篠原哲雄、脚本は日比野ひとし(舞台挨拶したプロデューサーの平埜敬太氏のペンネーム)。小学校のPTAと先生たちの男女の入り乱れた恋模様を描いたコメディねらいの作品。展開がわざとらしく、また無理やりあれとこれをひっつけて、話を面白くしようとした作為があざとく、途中で観るに耐えなくなる。笑えるところもなく、コメディにもなっていなし、また風刺にもなっていない中途半端な作品。最後は、それまで互いに浮気をしているのではないかと嫉妬していた主人公夫婦が、妻が夫に子供が出来たことを打ち明けことで、手をつないで仲良く焼肉を食べに行くという、取って付けたような結末。
三作目『柔らかい土』(3分)。3分というこんな短い作品だとはつゆ知らず、あっと間に終って、唖然。仕事が嫌になってうつ病になった女の子が、送られてきた土に感動して、また仕事に復帰する話だったと、観終って納得。
四作目『深夜裁判』(55分)。中原俊監督の『12人の優しい日本人』は佳作、大林宣彦監督の『理由』は力作だと思うが、『深夜裁判』は、この二つの作品を足して二で割ったような作品だと思ったが、どちらと比較しても、雲泥の差で劣ることはあっても、優るところはない。裁判所の会議室かなにか知らないが、審議の場面が面白くないのでは話にならない。川上史津子さんには悪いが、隣りにいたもう一人の女性とのキャラクターの対照が際立たたなかった。
これはシナリオ上の問題だと思うが、登場人物が多すぎて、だれもかれも面白おかしく描こうとしたため、観ている方は途中でだれに関心を持って観ればよいか分らなくなって、とういうよりむしろ人物の個性を理解するのが面倒くさくなって、結局だれも面白く感じられなくなってしまったのだと思う。主役は漫画描きの男のはずだが、この男のドラマがきちっと描けていないので、軸がなくなってしまったのが最大の欠陥だろう。あと、これは技術的な問題だが、この作品、カラーで撮った画像を色抜きしてモノクロにしたのだろうが、ところどころ青みと赤みが抜けていない画面があって気になった。それと、ラストはカラーになって病院のシーンになるが、この話のオチは私にはまったく不可解だった。観ていて一番魅力的だったのは、主人公と漫画誌の編集者と若いホモみたいな漫画家の三人が登場するシーンで、その次は、主人公が風俗嬢とカーセックスをするシーンであった。
私も現在シナリオを書いているので、自戒の念を込めて言うのだが、群像劇は難しいなあと思う。
大林宣彦監督の『理由』は、原作が宮部みゆき女史で、脚本が石森史郎さんだが、石森さんから私はいろいろなことを教わっている。また、私の書いたシナリオを読んでいただき、手厳しい批判をいただいている。石森さんから絶対守れと口をすっぱくして言われていることは、次の三か条である。
①誰の(単数)の話なのか
②その人物(主人公)は、ドラマが展開する最初と、対立や葛藤の結果、あるいは様々なドラマに翻弄された結果とでは、大きく局面と状況(situation)が変っていなければならない。
③ひと口で語ることの出来る物語(主題)であること。
まず、『ポール&マヨネーズ』(20分)。これは篠原哲雄監督ではなく、陣内天飛という人の監督の短篇。シュウマイなのか肉マンなのか分らなかったが、その製造工場で共に働く中年のおばさんと不良っぽい若い女の子との触れ合いを描いたもの。といっても内容は奇抜。おばさんはマヨネーズが大好きで、なんにでもマヨネーズをつけて食べるほど。しかも、若い女の子に弁当のおかずを無理やり食べさせようとするおせっかいなおばさん。一方、若い女の子は、昼は工場で働き、夜はライブハウスでショーに出演しているという二重生活者。おばさんが女の子が勧める切符を買ってライブハウスへ行くと、なんと女の子がヌードダンサーのような衣裳でポールに上って絡みつきスネークダンスを踊っているのでびっくり。このおばさん、若い頃はダンサーを目指していたという理由もあって、すっかり女の子のファンになってしまう。この短篇、映像的にも面白く、展開もなかなか奇想天外で良かった。ただ、見終わって考えると、なぜ、おばさんと女の子にしたのか分らず。せっかくなら男と女にすればもっと良かったのにと思う。マヨネーズの好きななよなよした若い男と、筋肉質のつっぱり女のダンサーとの関係の方がもっと説得力があったのではあるまいか。
二作目『下校するにはまだ早い』(40分)。監督は篠原哲雄、脚本は日比野ひとし(舞台挨拶したプロデューサーの平埜敬太氏のペンネーム)。小学校のPTAと先生たちの男女の入り乱れた恋模様を描いたコメディねらいの作品。展開がわざとらしく、また無理やりあれとこれをひっつけて、話を面白くしようとした作為があざとく、途中で観るに耐えなくなる。笑えるところもなく、コメディにもなっていなし、また風刺にもなっていない中途半端な作品。最後は、それまで互いに浮気をしているのではないかと嫉妬していた主人公夫婦が、妻が夫に子供が出来たことを打ち明けことで、手をつないで仲良く焼肉を食べに行くという、取って付けたような結末。
三作目『柔らかい土』(3分)。3分というこんな短い作品だとはつゆ知らず、あっと間に終って、唖然。仕事が嫌になってうつ病になった女の子が、送られてきた土に感動して、また仕事に復帰する話だったと、観終って納得。
四作目『深夜裁判』(55分)。中原俊監督の『12人の優しい日本人』は佳作、大林宣彦監督の『理由』は力作だと思うが、『深夜裁判』は、この二つの作品を足して二で割ったような作品だと思ったが、どちらと比較しても、雲泥の差で劣ることはあっても、優るところはない。裁判所の会議室かなにか知らないが、審議の場面が面白くないのでは話にならない。川上史津子さんには悪いが、隣りにいたもう一人の女性とのキャラクターの対照が際立たたなかった。
これはシナリオ上の問題だと思うが、登場人物が多すぎて、だれもかれも面白おかしく描こうとしたため、観ている方は途中でだれに関心を持って観ればよいか分らなくなって、とういうよりむしろ人物の個性を理解するのが面倒くさくなって、結局だれも面白く感じられなくなってしまったのだと思う。主役は漫画描きの男のはずだが、この男のドラマがきちっと描けていないので、軸がなくなってしまったのが最大の欠陥だろう。あと、これは技術的な問題だが、この作品、カラーで撮った画像を色抜きしてモノクロにしたのだろうが、ところどころ青みと赤みが抜けていない画面があって気になった。それと、ラストはカラーになって病院のシーンになるが、この話のオチは私にはまったく不可解だった。観ていて一番魅力的だったのは、主人公と漫画誌の編集者と若いホモみたいな漫画家の三人が登場するシーンで、その次は、主人公が風俗嬢とカーセックスをするシーンであった。
私も現在シナリオを書いているので、自戒の念を込めて言うのだが、群像劇は難しいなあと思う。
大林宣彦監督の『理由』は、原作が宮部みゆき女史で、脚本が石森史郎さんだが、石森さんから私はいろいろなことを教わっている。また、私の書いたシナリオを読んでいただき、手厳しい批判をいただいている。石森さんから絶対守れと口をすっぱくして言われていることは、次の三か条である。
①誰の(単数)の話なのか
②その人物(主人公)は、ドラマが展開する最初と、対立や葛藤の結果、あるいは様々なドラマに翻弄された結果とでは、大きく局面と状況(situation)が変っていなければならない。
③ひと口で語ることの出来る物語(主題)であること。
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