背寒日誌

2024年10月末より再開。日々感じたこと、観たこと、聴いたもの、読んだことなどについて気ままに書いていきます。

アラン・ドロン

2005年10月23日 14時59分09秒 | フランス映画
 フランスの映画スターといえば、誰が何と言おうと断然アラン・ドロンだという時代があった。それが二十年以上続いたと思う。特に日本での人気は抜群で、アラン・ドロンは「世界の恋人」とも呼ばれ、ずっと美男子の代名詞でもあった。アラン・ドロン主演の映画は必ず上映され、ほとんどが大ヒットした。フランス本国ではジャン・ポール・ベルモンドの方が人気を博していたが、日本ではドロンのファンが圧倒的に多かった。
 かく言う私も自慢ではないが、アラン・ドロンの映画は三十本以上は見ている。そのうちニ、三度見た映画も何本かある。アラン・ドロンは好きかと人から尋ねられたとすれば、嫌いではないが大好きでもない、と答えるだろう。しかし、熱烈なファンにはなれなかったとはいえ、ずっと注目してきた映画俳優だったことは間違いない。
 私の高校・浪人時代(1968年~72年)、アラン・ドロンの映画は年にニ、三本は上映され、私はそのほとんどを映画館で見た覚えがある。見た順番は忘れてしまったが、「冒険者たち」「サムライ」「友よさらば」「あの胸にもう一度」「太陽が知っている」「仁義」「シシリアン」「ボルサリーノ」などである。アラン・ドロンは当時30歳代で最も脂の乗り切った時期だった。映画はどれも満足の行くものだったし、彼の演じた役はどれもカッコ良かった。ある意味で反体制的なヒーローを演じていた。しかし、ドロンが演じるそのヒーローに私は感情移入できなかった気がする。正直言って共感も憧れも抱けなかったのだ。比較しては悪いが、ヤクザ映画の高倉健と同じだった。カッコ良いとは思うものの、アラン・ドロンは小器用で薄っぺらな印象がぬぐえず、高倉健は不器用で無粋な印象がぬぐえなかった。どちらも男の知性と感性がちょっと足りないように思えた。つまり人情の機微も女心も解さない男のような気がしたのだ。だから、私は本当に好きになれなかったのだろう。
 アラン・ドロンはすでに映画界から引退してまった。引退するまで大好きにはなれなかったが、彼の出演した映画には好きな映画はたくさんある。古い順から五本上げるとすれば、「太陽がいっぱい」「地下室のメロディー」「冒険者たち」「フリック・ストーリー」「燃えつきた納屋」ということになろうか。是非もう一度見たい映画は、「危険がいっぱい」「太陽はひとりぼっち」「悪魔のようなあなた」「あの胸にもう一度」である。いずれも共演した女優の印象が鮮烈だったからだ。ジェーン・フォンダ、モニカ・ヴィッティ、センタ・バーガー、マリアンヌ・フェイスフルで、今思うとアラン・ドロンという俳優は女優陣にも恵まれていた。羨ましい限りで、嫉妬さえ感じるほどである。
<元恋人ロミー・シュナイダーと共演した「太陽が知っている」から>
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ポール・ニューマン

2005年10月22日 16時07分19秒 | アメリカ映画
 ポール・ニューマンが好きだった。ビデオのない時代、映画は映画館に足を運んで見るか、テレビの洋画劇場で見るかのどちらかだった。60年代から70年代の頃、ポール・ニューマンはスティーヴ・マックインーンと並ぶアメリカの人気スターで、この二人のどちらかが主演した映画であれば欠かさず見ていたものだ。もちろんこれは私だけでなく、当時の映画ファンのほとんどがそうだったと思う。だから、ポール・ニューマンの映画は、封切りの映画は映画館で見て、古い映画はテレビで見ていたと思う。
 ポール・ニューマンは若い頃「第二のマーロン・ブランド」と呼ばれていた時期があったという。が、ニューマンのファンから言えば、とんでもない話で、ブランドとは比較すること自体おかしいと思っていた。ニューマンの方が数段上で、カッコ良さも魅力も比べものにならなかった。ブランドは俳優ではあってもスターではないが、ニューマンは俳優であってしかもスターだった。ブランドは暗くて、とっつきにくかったが、ニューマンは明るく愛嬌があって、親しみやすさがあった。ブランドが鳴かず飛ばずの時代、ニューマンはスターへの道を突き進み、多くのファンを獲得して行った。
 私が初めて見たポール・ニューマンの映画が何であったかははっきり覚えていない。「栄光への脱出」だったような気もする。いや、ヒチコックの「引き裂かれたカーテン」だったか?ヘミングウェイ原作の「青年」のような気もしてくる。それはともかく、映画館で「明日に向かって撃て」や「スティング」を見た頃にはすでにニューマンの映画を数本見ていたことは確かだ。「傷だらけの栄光」と「ハスラー」はテレビで初めて見た記憶がある。この二作はニューマンの若い頃の傑作だが、その後私はビデオで何度も見ている。「ハスラー2」はニューマンが脇役に近く緊張感のない映画であまり好きではない。やはり「ハスラー」は旧作に限ると私は思っている。トム・クーズなんていう若造がポール・ニューマンを押しのけて主役を演じることに、どうしても私は抵抗を感じてしまうのだ。
 「熱いトタン屋根の猫」はエイザベス・テーラーとの共演で、演技派ニューマンの面目躍如といった作品だった。「暴力脱獄」は、マックイーンの「大脱走」を意識して作ったような映画だったが、ニューマンのふりまく愛嬌が魅力的で、マックイーンのクールな演技に対し、ニューマンはホットだった。「傷だらけの栄光」より好きな映画かもしれない。
 「タワーリング・インフェルノ」はスティーブ・マックイーンとの初共演だったが、正直言って二人が一緒に出る必要もないと思った。どちらも主役を張れるスターなのだから、一つの映画にずっと出ればよい。要するにファンとしてはスターは画面を占領してもらいたいのだ。マックイーンもニューマンも脇役に渋い男優がいれば十分。女優は華を添える程度でよい。古い言葉でいうと一人で当たりをとれる「千両役者」なのだ。最近映画界にこうした男優もいなくなったなと思う。
 ニューマン主演の最新作(もう古いが)「評決」という映画はビデオで見た。さずがニューマンといった感じで、見終わって彼の久しぶりの熱演に私は思わず拍手してしまった。
<評決>
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「殺意の瞬間」のダニエル・ドロルム

2005年10月21日 14時10分38秒 | フランス映画
 ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の「殺意の瞬間」は恐ろしい映画だった。この映画はサスペンスでもスリラーでもホラーでもない。あえて言えば犯罪ドラマで、中年男をだます若い女の魔性を余すところなく描いた作品であった。女という生き物はなんと恐ろしいものか、とつくづく思うと同時に、男っていうのはなんて馬鹿なんだろうと身につまされる映画なのだ。
 パリの中央市場の近くにある高級レストランのオーナー兼シェフがこの映画の主人公である。この役を演じるのは私の大好きなジャン・ギャバン。初老にさしかかった五十男で、料理の腕は一流、客の接待もソツがなく、レストランは大いに流行っている。しかし、寂しいかな今は独り者なのだ。
 ある日、このレストランに二十歳そこそこの若い女の子が訪ねて来る。貧しい身なりで化粧もしていないが、素顔が可愛らしく不思議な魅力を持っている。気立ても良さそうで、清純な子に見える。ダニエル・ドロルムという女優がこの役を演じているのだが、これが素晴らしく良いのだ。もちろん演技の話で、この小娘がとんだ食わせ者だったのである。ちなみにダニエル・ドロルムは戦後期待の演技派女優だったが、出演した映画は数本に過ぎず、二度の結婚の末、映画のプロデューサーになってしまった。(一度目の結婚は男優のダニエル・ジュランで、二度目が映画監督のイヴ・ロベールだった。)
 ドラマはこの女の身の上話から始まる。
 「私はあなたが昔に別れた妻の一人娘で、あなたの実子ではないかもしれません。実は先だって母が死んで、身寄りがなくなってしまいました。あなたのことは母から聞いていたので、死んだことを知らせにパリまでやって来ました。」
 若くて可愛い女がそんな告白をするのだから、中年男はたまらない。年齢から考えてわが子ではないことは解ったものの、自分を頼って訪ね来た娘を追い返すことなど出来るはずがない。ギャバンはこの女に店の料理を食べさせ、自分の家に住まわせてやる。そして、あろうことか三十も年齢の離れたこの若い女に魅せられ、溺れていく……。
 しかし、この女の言ったことはみんなウソだった。玉の輿に乗って、ギャバンの財産を乗っ取ろうという魂胆だったのだ。まあ、映画の内容を紹介するのはこのくらいにしておこう。見ていない人の興味を奪ってしまうと思うからだ。ただ、この映画は、デュヴィヴィエ監督特有のペシミズムに貫かれ、人生の醜悪さを露骨に描き出していて、特に後半は目を覆いたくなる凄惨な場面が多いことだけは付け加えておきたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

気になる女優、ダニー・カレル

2005年10月20日 22時10分18秒 | フランス映画
 映画を見た後で、それもずっと後になっても、妙に印象に残って気になる女優がいるものだ。私の場合、フランス映画ではダニー・カレルがそんな女優の一人である。カレルは50年代半ばの短い期間に活躍した女優で、この頃のフランス映画のファンなら知っているはずだと思う。かく言う私はリアル・タイムのファンではなく、後年になってテレビやビデオでこの頃のフランス映画を見た者なので、大それたことは言えないのだが、その辺はお許し願いたい。
 ダニー・カレルが出演した映画でいちばん有名なのは、ジャン・ギャバンとフランソワーズ・アルヌールが主演した「ヘッドライト」である。長距離便のトラックの運転手が給油所で働く若い女の子とのっぴきならない関係になる話で、アンリ・ヴェルヌイユ監督の傑作だった。この映画でカレルは中年運転手ギャバンの娘役で出ていた。陰影のある映画で、単調な人生に疲れたギャバンと物憂げなアルヌールがとても良いのだが、良い映画というのは脇役も光るものだ。ギャバンの古女房がいかにも所帯やつれして見るも哀れなのだが、この言葉少ない暗い家庭で長女のカレルだけは減らず口を叩き、明るく振舞っている。父親ギャバンに小言を言われながらも反抗しモデルのバイトをやろうとしている。カレルが登場する場面で特に印象に残るのは、愛人アルヌールから来た手紙の内容を両親の前で暴露するところだ。まるで鬼の首でも取ったかのように父親に読んで聞かせるのだ。愛人に子供をはらませたこともバラしてしまう。父親にぶん殴られ、そばに居た母親の悲しい顔を見て、娘のカレルは我に返る。そして、出て行った父親を追っていく。このあたりのカレルが実にいいのだ。
 もう一つ、ダニー・カレルの出演した映画で名作と言えるのは、ルネ・クレール監督の「リラの門」である。これは名優ピエール・ブラッスールと人気歌手ジョルジュ・ブラッサンスが共演した映画で、パリの下町人情を描いた、いかにもクレールらしい作品だった。この中でカレルは居酒屋の女給役で、どこにでもいそうなポーッとした可愛い女の子を演じている。昔トランジスター・グラマーという女性の形容があったが、カレルにはこの言葉がぴったりあてはまる。つまり、小柄だが胸が大きく、なんとも色気があるのだ。飲んだくれでろくでなしのブラッスールは優しいカレルに岡惚れなのだが、否応なしにかくまった手負いのギャングに彼女がそそのかされて、大金を奪われてしまう。そんな話なのだが、カレルは危険な遊びに心をときめかす生娘役を見事に演じていた。いや、見事というより、これがカレルの地なのかもしれないと思ったほどだった。
 他に、ダニー・カレルは「奥様ご用心」にも出演していた。この映画はもうずいぶん昔にテレビで見た記憶があるが、その内容はあいまいである。今度また見てみようと思っている。また、カレルは60年代終わりに復帰し、「パリ大捜査網」でジャン・ギャバンと共演したという。この映画も見たとは思うが、残念ながら印象に残っていない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジャック・レモンの変装

2005年10月20日 12時14分47秒 | アメリカ映画
 ジャック・レモンは変装の名人だった。彼ほど変装して巧みに登場人物を演じた俳優もいなかったのではないかと思う。そして、その堂に入った変装ぶりは、見る者を楽しませてやまなかった。
 マリリン・モンローと共演した「お熱いのがお好き」ではトニー・カーティスと共に女装して、ドタバタ劇を演じる。この三人の掛け合いももちろん面白いが、女になったレモンがヨボヨボの金持ちの紳士(ジョー・E・ブラウン)に口説かれるシーンのおかしさといったら、もう笑いが止まらないほどだった。同じくビリー・ワイルダー監督の「あなただけ今晩は」では、イギリス人の紳士に成りすまし、パリの娼婦に入れあげる。娼婦役がシャーリー・マクレーンで、「アパートの鍵貸します」に続いての共演だった。この二人のコンビは絶妙である。「あなただけ今晩は」では、レモンは警官から始まって、失職した後、娼婦のヒモと常連客の紳士という二役を同時に演じる。この映画は一風変わった純愛映画で、娼婦の操(?)を惚れた男が守ろうとする話なのだ。私はテレビの日曜洋画劇場でこの映画を初めて見たのだが、今は亡き淀川さんの熱心な解説を懐かしく思う。きっと淀川さんの好きな作品だったのだろう。
 そして、「グレート・レース」は、レモンの変装が極致に達した映画だった。監督は「ティファニーで朝食を」で名高いブレイク・エドワースで、共演はトニー・カーティスとナタリー・ウッド。助演者には刑事コロンボで人気をとる前のピーター・フォークが出ていた。作品的には傑作とは言えないが、私には思い出深い映画である。中学1年のとき渋谷東急でロードショーでやっているのを小遣いをはたいて見たからだ。そして、ジャック・レモンを見た最初の映画だった。そのとき、なんてアクの強い演技をする俳優なのだろうと思った。大変滑稽な悪役なのだが、表情も声色も大げさで、けたたましい笑い声が妙に耳についた。だからジャック・レモンというとこの第一印象がつきまとい、しばらく離れなかった。その後、「おかしな二人」「幸せはパリで」と見ていくにつれて、徐々にイメージは変わっていった。
 ジャック・レモンは素のままでも十分味のある俳優だった。ユーモアとペーソスが自然とにじみ出る、得がたい個性の持ち主だった。普通に演じてもアカデミー賞くらいはとれる実力派の俳優でもあった。しかし、根っからの役者魂がうずくのか、あるいはエンターテイナーとしての資質からか、彼はそれだけでは満足しなかった。そこがレモンという俳優のすごいところだと思う。突然変異的に奇抜で派手な演技をして、われわれを喜ばせてくれたのだ。このギャップがまた面白かった。レモンは変装に徹するが、観客にはその正体を明かしての上で、である。映画の中で彼の正体は決してバレない。バレそうになることもあるが、うまく誤魔化して急場を乗り切ってしまう。この馬鹿馬鹿しさが、たまらなく可笑しく、観客は彼の熱演に拍手喝さいを惜しまなかった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする